中央銀行のバランスシート拡大 リスクからリターンへの発想の転換

中央銀行のバランンスシートについては、今まで何度も書いてきた。今回も、そのバランスシートについて、より突っ込んだ分析を示したいと思う。

まず、日本との比較対象を香港、シンガポール、台湾、スイスに設定する。その理由は、対外純資産の対GDP比率が世界最高の国であるからだ。今まで比較対象としてきた、アメリカ、イギリス、ユーロ圏は、いずれも対外純債務国である。金持ち産油国や、ヨーロッパの都市国家の中には、香港などの4ヶ国を上回る対GDP比率での対外純資産を保有する国が存在する可能性はある。しかし、データを公開していないので除かざるをえない。以前にも示したことのある同じグラフを下記に示す。


対外純資産

この4ヶ国は、日本より、はるかに対外純資産の多い国である。しかし、それだけではない。日本より、実質所得の高い国でもある。日本と4ヶ国の購買力平価ベースの1人当たりGDPのグラフを下記に示す。



1998年には、日本は3位であったが、2012年には最下位になってしまった。なお、購買力平価ベースではない現実の為替レートベースでの一人当たりGDPを見ると、台湾と香港は日本よりも貧しい。しかし、両国は、後で示すように、中央銀行の大規模な外貨建資産購入政策により、現実の為替レートを大幅に安く維持している。そのため、現実の為替レートベースでは豊かに見えないだけであるのだ。

そして、この5ヶ国の中央銀行のバランスシートについて調べる。なお、香港は、中央銀行が存在しないと言われることが多い。その代わりに、香港金融管理局がその代役を務めていると説明される。しかし、香港金融管理局の機能を調べると、直接、紙幣を発行していないために、中央銀行ではないと言われるだけである。香港金融管理局の実質的な機能は、完全に中央銀行の業務である。従って、ここでは、香港金融管理局を香港の中央銀行として扱う。残りの3ヶ国の中央銀行は、スイス国立銀行、台湾中央銀行、シンガポール金融管理局と呼ばれている。シンガポールの場合も、名前は香港と同じであるが、紙幣の発行も行い、業務の内容は、完全な中央銀行である。5ヶ国の中で、最も異質なのが、日銀である。他の4ヶ国が為替介入の権限を持っているのに対して、日銀だけは、為替介入の権限を持たず、財務省がその権限を握っている。このように中央銀行の役割が国によって多少異なることを、頭に入れる必要がある。その上で5ヶ国の中央銀行のバランスシートの対GDP比率を下記に示す。


BSとGDP

香港のバランスシートの対GDP比率が圧倒的に大きく、日銀のバランスシートの対GDP比率が圧倒的に小さい。異次元金融緩和により2014年末には、日銀のバランスシートの対GDP比率は58%前後まで膨らむことが予定されているが、それでもまだ小さい。

なぜ日本以外の4ヶ国の中央銀行のバランスシートが大きいのかを調べるために、バランスシートに占める外貨建資産の比率のグラフを下記に示す。


BSと外貨建資産

見てわかる通り、日本以外の他の4ヶ国の中央銀行の資産の大半は、外貨建資産である。シンガポール、香港、台湾は、中央銀行のバランスシートに占める外貨建資産の比率が、昔から高かった。スイスが急増したのは、2008年のリーマンショク以降である。

中央銀行のバランスシートの対GDP比率は、香港、スイスの2ヶ国で、リーマンショック後に急増している。特に香港は、リーマンショック直後の2008年10月からの13ヶ月間に、中央銀行のバランスシートの対GDP比率を78%から135%へと57%増加させている。スイスの場合、リーマンショック直前の2008年8月からの4年7ヶ月間に、中央銀行のバランスシートの対GDP比率を23%から85%へと62%増加させている。そして、増えた資産は、ほとんどが外貨建資産である。

香港は、カレンシーボード制と呼ばれる、米ドルとの固定相場制を採用している。1997年のアジア通貨危機の時は、ヘッジファンドが香港ドルを売り崩そうとしたが、完全に失敗した。当時からすでに多くの対外純資産を抱えていた香港ドルを、売り崩そうと考えたヘッジッファンドの方が、間違っていたのである。反対に、2008年のリーマンショックの直後からは、ヘッジファンドではなく、海外の投信や年金などが、安全資産である香港ドルを買おうと殺到してきた。しかし、香港金融管理局が、13ヶ月間にGDPの51%分(13ヶ月間の外貨建資産増加額は、香港の2008年のGDPの51%に相当)の香港ドル売り、米国ドル買い介入を実施し、固定相場制の維持に成功した。日本で言うならば、財務省が1年間に233兆円(2008年の日本のGDPの47%分=51%の13分の12に相当)の介入を実施し、円高を防いだのである。この時、香港が固定相場制を放棄して、香港ドルの価値を切り上げていたと仮定する。その場合、香港でのビジネスコストは跳ね上がり、海外の多国籍企業の何割かは、香港を介して中国と取引することを諦め、上海や北京の中国本社と直接ビジネスを行う体制へと切り替えていた可能性が高い。香港の存在意義は薄れ、経済成長は以前より困難になっていたはずである。そうした動きを阻止するために、13ヶ月間にGDPの51%に相当する超大規模な介入を実施し、固定相場制を守り抜いたのである。

ここが、日本と香港の経済の明暗を分けた決定的に重要な点である。香港と違って、日本がリーマンショック当時に介入を実施するためには、アメリカの許可が必要であった。リーマンショック後の円高ドル安に対して、日本の財務省がアメリカ財務省に介入の許可を求めていた場合、アメリカ財務省は間違いなく許可を出していた。リーマンショックと、その数ヶ月後まで、アメリカの金融機関は大混乱に陥っていた。その混乱が長引いた場合、ドル安が加速し、結果として、ドルが基軸通貨の地位を失う恐れがあった。そうしたドル安のリスクを避けるため、2009年2月22日に、アメリカのクリントン国務長官は、中国政府に、米国債の購入という、ドル買いの継続の要請をしたと報道されている。にもかかわらず、当時の日本の財務省は円売りドル買い介入を実施しようとしなかった。これは、当時の財務省の犯罪レベルに相当する大失態であった。結果として超円高が発生し、2009年の日本の実質GDPの成長率は、危機の震源地であるアメリカを上回るマイナス成長となった。それだけではなく、日本の電気機械産業を中心とする製造業は、回復不能の大打撃を受けた。イノベーションが爆発的に進む電気機械産業という成長産業が、日本では衰退産業となってしまった。財務省も悪いが、日銀にも大きな間違いがあった。2008年10月8日、ドルの急落を恐れたバーナンキFRB議長は、いくつかの先進国に協調利下げを呼び掛け、実際に協調利下げが実施された。呼びかけられなかったいくつかの先進国、発展途上国も、追随して利下げを行った。しかし、日銀だけは、何もしなかった。この時、日銀が香港のように、金利の引き下げプラス年間243兆円(2008年の日本のGDPの49%分=香港金融管理局がバランスシートの対GDP比率を13ヶ月間に増やした比率の13分の12に相当)の資産買いオペを実施していたならば、その後の超円高と日本の電気機械産業を中心とする製造業の崩壊は、発生していなかったはずである。リーマンショック直後から、香港ほどではないが、アメリカやイギリスでは、国債やGSE債の大規模購入という量的緩和政策が開始された。規模は、対GDP比率で年間10%前後であった。日本は2013年4月になって、ようやく対GDP比率で年間14%程度の量的緩和の拡大を実施した。しかし、あまりにも遅すぎた。

量的緩和批判論者は、日銀のバランスシートの拡大をリスクと見なし、出口戦略の際に、日本経済のインフレ率は高騰すると警告する人が多い。日銀のHPには、1940年代後半のハイパーインフレ期の前の時期よりも、現在の方が日銀のバランスシートの対GDP比率が高くなっていることを問題視する論文が掲載されてる。では、常日頃から日銀よりも巨大な中央銀行のバランスシートを保有する他の4カ国では何が起こっていたのであろうか。日本と4ヶ国の消費者物価上昇率を比較するグラフを下記に示す。


CPI.gif

香港では、中央銀行のバランスシートの対GDP比率が80%前後であった2000年代の前半に、日本以上に深刻なデフレが進行していた。そして リーマンショック後の13ヶ月の間に、中央銀行のバランスシートの対GDP比率を78%から135%まで増やした後、2011年にインフレ率は5%にまで上昇した。香港金融管理局は、その後、大きな対策は何も打ち出さなかったが、インフレ率は、2012年には低下している。リーマンショック前後の4年7ヶ月の間に、中央銀行のバランスシートの対GDP比率を23%から85%まで増やしたスイスでは、マイルドインフレからデフレへと転落している。シンガポール、台湾は、日本よりもインフレ率は高いが、経済成長に悪影響を及ぼすほどの高さではない。中央銀行のバランスシート拡大という量的緩和政策は、何種類かの効果がある政策である。しかし、大規模に実施したとしても、インフレ率を引き上げる効果は少ない政策である。

香港は、先に書いた通り、制度としてドル建資産を買うことが決められている。シンガポールは、金利ではなく、為替レートを操作することにより物価変動を調節するという金融政策を実施している。台湾、スイスは、実質的には量的緩和政策であるが、名目上は、政策金利の操作により、金融政策を実施し、為替介入も実施している。この4ヶ国は、制度は異なるが、自国の通貨を安く誘導するために、中央銀行が巨大なバランスシートと巨額の外貨建資産を保有している。他の4ヶ国と違って、日本は、大国であり、現在はG20に属している。その結果、財務省や日銀が外貨建資産を増やすためには、G20加盟国の承認が必要である。しかし、中央銀行のバランスシートは、円安誘導目的を明示しない限り、いくらでも拡大させることが可能である。

日銀が国債の購入により、香港並みに、中央銀行のバランスシ-トをGDPの135%(2008年10月から13ヶ月後の2009年11月における香港の比率)、647兆円にまで増やすと仮定する。これは、グロスで見た政府債務残高1121兆円(資金循環統計ベース、2013年3月末現在)を大きく下回る。しかし、普通、「国債」とよばれている中長期の国債と財融債の発行残高は、684兆円である。日銀が発行された国債の大半の購入を目指すと、国債市場は、需給改善予想とインフレ予想の間に挟まれて、国債価格は乱高下し、流動性は低下する可能性が高くなる。日銀はすでに国債を94兆円保有しているので、日銀以外の国債保有者の国債保有残高は、590兆円となる。日銀が国債を多少の無理をして買い取ったとしても、追加で残高の半分くらいが限度ではないであろうか。それ以上購入する場合は、大変な無理を重ねる必要がある。多少の無理をした場合、追加購入金額では295兆円、購入後のバランスシートの対GDP比率で見れば、98.1%、ほぼ100%が国債購入の限度になる。その時、中央銀行のバランスシートの対GDP比率は、香港を下回るが、シンガポール、台湾とほぼ同じで、スイスを上回る。日本は、スイスとは異なって、生産年齢人口が減少し、賃金インフレが発生しやすい構造要因があるため(*1)、中央銀行のバランスシートの対GDP比率を、100%前後にまで高めた場合、金融政策の効果を明確に認識できる可能性が高くなると思う。ただ、この100%という数字は、マイルドインフレが進行するシンガポール、台湾とほぼ同じ数字というだけの一つの目途であり、それ以前にインフレが進行し始めたならば、当然、バランスシートの拡大を止めるべきである。100%でも変化がなければ、次には、2009年11月の香港並みの135%を目指して、無理をしながら国債、短期国債などを購入し続ける必要がある。

国の規模は小さくとも、とてつもなく巨額の対外純資産を保有し、実質所得も高い国が世界に存在するのである。香港、台湾、シンガポール、スイスの中央銀行の金融政策を見習うべきである。アメリカの中央銀行の出口戦略ばかりを見ていてはだめなのである。中央銀行の巨大なバランスシートは、自国の通貨を安く誘導し、その延長線上に、経済成長や対外純資産の増加をもたらすのである。異次元金融緩和をさらに強化し、中央銀行のバランンスシートが、対GDP比率で58%ではなく、100%くらいまで増えたならば、その先には、円安進行による経済成長がもたらされる可能性が高くなる。リスクは、最大で5%程度のインフレが発生する可能性である。資産バブルの発生も警戒が必要であろう。しかし、財政政策をうまく利用すれば、インフレやバブルの発生リスクをゼロに近付けることは可能である(*2)。従来の日本では、中央銀行のバランンスシートの拡大を、リスクとみなし過ぎてきた。中央銀行のバランンスシートの拡大は、リスクではなく、リターンの源泉とみなさなければならない。中央銀行のバランンスシートの拡大は、リターン、すなわち経済成長の源泉であるという考え方こそが、現在の日本に最も求められている重要な発想の転換なのである。


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