インフレの発生と所得、資産の分配の変化

デフレからインフレに転換した場合、所得や資産の分配にどのような変化が生じるかを述べたいと思う。そして、デフレ期に、資産の分配の変化が引き起こしてきた問題点についても言及する。

インフレが発生すると、貧しい人たちがより貧しくなる、と主張する人もいる。しかし、これは、全く誤った主張である。前回述べたことを繰り返すが、インフレと賃金が完全に連動することはないが、今後は、両者が連動するか、インフレ率よりも賃金の方がより大きく上昇する可能性が高くなっている。理由は、日本の生産年齢人口が減少し、労働力の新規の供給が減少しつつあるからだ。加えて、以前は生産性の爆発的とも言える上昇を実現してきた電気機械産業が、超円高を原因とする価格競争で敗北を続け、大きく破壊され、その結果、医療、介護などの生産性の上昇率が非常に低い労働集約型の産業が、日本経済の雇用の受け皿となり、経済全体の生産性の伸びが鈍化しているという要因もある。こうした日本経済の大きな構造変化の結果、不景気だというのに、失業率は下がり続け、2012年11月の完全失業率は、4.1%まで低下してしまった。今後、日本経済が順調に成長を続ける場合、日本は労働力不足社会に陥るのは確実である。11月14日から始まった株高と円安の後に、景気回復が続いたならば、次は労働力不足の結果、賃金が上昇する局面へと移らざるを得ない。賃金が上昇すれば、コストの増加からインフレが発生する。今後は、インフレと賃金の相関が高まるのである。そして、インフレ率以上に賃金が上昇し、実質賃金は上昇する可能性が高い。

デフレからインフレへと転換すると、賃金などの所得分配よりも、もっと大きな変化をもたらすものがある。それは、資産の分配の変化である。現在の日本において、資金の最大の貸し手は家計であり、資金の最大の借り手は政府である。デフレ期には、デフレを通じる実質的な債権価値の増加という形で、政府から、国債や預貯金などの確定利付き債権(現金も含む)の保有者に、資産の一部が移転する。これが、インフレになると、インフレを通じる実質的な債権価値の減少という形で、確定利付き債権の保有者から、政府に、資産の一部が移転する。デフレ期には、政府の歳入が減少しやすくなり、インフレになると政府の歳入が増加しやすくなる。デフレ期の歳入の減少こそが、確定利付き債権の保有者に対するデフレ減税であり、インフレ期の歳入の増加こそが、確定利付き債権の保有者に対するインフレ増税である。日本は十数年間に渡り、デフレ減税を続けてきたため、政府債務があまりにも巨額になるまで積み上がってしまった(*1)

インフレで確実に損をする預貯金、債券などの確定利付き債権を最も多く保有する主体が家計であるとしても、家計の中で、どのような人たちが、そうした資産を多く保有しているのであろうか。それを下記に記す。

1世帯当たりの貯蓄金額
上記のグラフは、世帯主の年齢別の貯蓄金額を、総資産金額と、総資産から、住宅ローンなどの負債、株や外債などの資産を差し引いた資産金額を示している。後者は、家計が保有する、ネットの預貯金、債券などの確定利付き債権の総額に等しい。保険は確定利付き債権とは言い切れないが、確定利付き債権に準ずるものとして、確定利付き債権に含めることにする。このグラフから見ると、確定利付き債権を多く保有する主体は、世帯主の年齢が50歳以上の家計である。若者はそうした資産を少ししか保有していないか、住宅ローンなどの借金の方が多いのである。

インフレというのは、主に50歳以上の年齢で、預貯金、債券などの確定利付き債権を多額に保有する家計に大きな打撃を与える。逆に、デフレ期には、こうした高年齢者層は、一方的にデフレの利益を享受してきたのである。

実は、バブル崩壊後、この資産家たちの確定利付き債権に対する過剰貯蓄が、消費や投資に回ることがなく、貯蓄という形で凍り付いてしまったため、日本経済は需要不足で不況が深化してしまったのである。資産家たちの確定利付き債権に対する過剰貯蓄は、失われた20年の原因の一つでもあったのだ。その巨大な不況圧力を軽減するために、政府が毎年国債を発行して、資産家たちの過剰貯蓄を吸い上げ、社会保障や公共投資などに回すことにより、不況圧力を軽減してきたのである。本来なら、この資産家たちに税金を負担してもらい、社会保障や公共投資などの財源として利用していたならば、ここまで政府債務は膨らまなかったのだ。しかし、資産を正確に把握して課税することは、技術的に困難である。その上、グローバル時代において、資産課税を強化すると、資産家の海外移住という事態を招くかもしれない。その点、インフレというのは、税務署の仕事を増やすことなく、隠れ資産も含めて、確定利付き債権に確実に税金を課することができる手段である。日本以外のほとんどの国がインフレ課税を実施しているので、資産家が海外に移住することもない。にもかかわらず、日本は十数年間にわたり、インフレ増税ではなく、デフレ減税を実施してきた。その結果が、1133兆円(2012年9月末の資金循環表の数字)もの巨額の政府債務が積み上がる大きな要因ともなった。

資産家がインフレ課税を嫌い、株や外国証券などに資金を移せば、日本経済に大変好ましい影響をもたらす。資産家が、保有資産を、確定利付き債権から、株や外国証券に大規模に移せば、間違いなく大幅な株高、円安が起こる。前回詳しく述べたように、11月14日を境にして、株高、円安が発生している。しかし、株を買い越しているのは、ほとんどが外国人投資家であり、日本の資産家たちは、逆に株を売りまくっているのである。日本の資産家の株の売り越しが、できる限り早い時期に、買い越しに転じることができれば、株価は確実に上昇トレンドが続くことになるであろう。そして、外国人投資家に株の値上がり益を献上するという、対外純資産が減少する金額を少なくすることも可能になる。(*2)。為替については、確実なことはわからないが、株と同様に、円売り外貨買いを実施している主体の多くは、外国人投資家である可能性が高い。こうした外国人投資家の円売りは、投機性が高く、なんらかの別の材料が出て、円を買い始めると、再び円高に戻ってしまうことも考えられる。日本の資産家が継続的に外国証券を購入し続けるようになれば、円安基調が崩れる可能性は減少する。外国人投資家が主導する株高、円安よりも、日本人投資家が主導する株高、円安の方が、より望ましいのである。資産家の資金が海外に流出すると国内の金利が上昇するので、こうしたキャピタル・フライトの発生は避けなければならないという意見もある。しかし、現在の日本において、キャピタル・フライトによる金利上昇の発生の可能性は、確実にゼロである。国内では、量的緩和で資金が次々と供給されており、増加分の一部が海外に流出しているわけであり、国内に資金が増えることはあっても、減ることは無いのである。インフレの発生は、金利の上昇要因であると考えるが、キャピタル・フライトが原因で金利が上昇することは、絶対に無い。

日本の資産家が、確定利付き債権から、株などに資産を移すことのもう一つのメリットは、日本におけるリスクマネーの供給拡大にある。量的緩和無効論者の言うように、現在の日本企業に、借り入れの需要が無い、というのは正しくないしにても、借り入れの需要が少ないことは、事実だと思う。一方、大幅に不足している資金もある。それは、リスクマネーである。ベンチャー企業は言うまでもなく、大企業でも、借金を増やしたくないけれども、新株の発行により資金を調達したいというニーズは多い。現在のベンチャー市場、株式市場では、そうしたリスクマネーの供給量が決定的に不足している。リスクマネーを増やす最も効果的な方法は、株価全体を引き上げることである。株価が上昇基調に復帰したならば、上場企業に対する増資ニーズに十分答えることが可能になってくる。それに加えて、上場株よりハイリスク・ハイリターンのベンチャー市場にも資金が流れて行くのである。上場株での運用収益が安定的に高まれば、上場株での低いリターンに満足できず、リスクは高くても、より高いリターンを獲得できるベンチャー企業に投資する投資家が現れるはずであるからだ。現在、リスクマネーが決定的に不足している最大の要因は、日本株という日本人にとって一番身近なリスク資産への投資で、収益を上げることが非常に困難になっているためである。上場株で儲けられない環境下において、よりハイリスクのベンチャー企業の株で儲けようと考える投資家が少なくなるのは当然なのである。従って、リスクマネーを増やす一番効果的な方法は、日本株という身近なリスク資産で儲けることができるように、株価を緩やかでもよいから右肩上がりに誘導することなのである。すなわち、11月14日から始まった、株価上昇のトレンドを持続させることにある。

このように、資産家が、インフレが発生しても確定利付き債権を保有し続ければ、実質的な税金を負担することになる。それを嫌気して、株や外国証券に資産を移せば、持続的な株高、円安により、日本経済がより安定的な成長を実現することが可能になる。株や外国証券だけではなく、資産の移転先は土地であってもかまわない。ただ、人口が減少する環境下での不動産投資は、日本の土地全体ではなく、都会の一部の土地に集中する可能性が高い。従って、政府は、地価税の復活などの、土地の局地的なバブルの発生を防ぐ政策を、先回りして準備をしておくべきである。

日本の確定利付き債権という資産の多くは、50歳以上の資産家が保有しているが、50歳以上の人たちの資産格差は非常に大きいはずである。インフレ税のもう一つの望ましい点は、確定利付き債権という資産を保有していない人たちに税金は課せられず、資産を保有している人たちにのみに税金を課することができることである。資産より借金が多い人、保有資産がゼロの人は、税金をほとんど負担しなくてよい。高齢者で資産が無い人たちも多いが、そういう人たちの年金収入は、インフレにスライドして増加するので、インフレ税を負担をする必要が無い。インフレ税は、消費税とは正反対の、非常に累進性の高い良い税金なのである。それを逃れるために、資産家が、株や外国証券あるいは土地へと資産を移してくれれば、日本経済の成長に貢献することができるのである。日本経済が低迷する中、格差の拡大が問題となった理由の一つのは、多額の確定利付き債権を保有する資産家に対して、インフレという税金を課さずに、デフレという減税を長期間実施してきたことが一因である。そうした資産家に対して、デフレ減税から、インフレ増税へと実質的な税制を変更することは、現在の日本経済にとって、必要不可欠な政策なのである。その結果は、財政再建に役立つだけではない。消費税増税などの他の多くの増税は、日本経済の成長率を、少なくとも一時的には低下させるが、インフレ増税は、円安や資産価格の上昇を通じて、日本経済の成長率を引き上げる力を持つ。

デフレ減税からインフレ増税への転換は、「魔法の杖」でも「打ち出の小槌」でもない。諸外国と異なって、十数年間デフレ経済が継続し、インフレ継続ならば避けられたはずのいくつかの問題が、現在の日本では現実化してしまっているのである。デフレからインフレへの転換は、デフレの継続の結果発生した、いくつかの深刻な問題の一部を解決することには大変役立つ。ただそれだけのことなのである。


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目から鱗

アダムスミス2世氏ほどの適確な経済分析は見たことがありません。苛立つような日本経済低迷の病巣がはっきりとわかりました。デフレが確定利付け債権保有者、即ち多くの退役世代に対する減税だという指摘は正に目から鱗でした。
しかし、わかってみれば至極当たり前の内容ながら、メディアに登場する専門家の誰もこうしたことについて指摘していないように思えます。
わかっていないのか、わかっているのに何らかの意図によって指摘しないのかどちらでしょう。前者だとすれば情けない限りだし、後者だとすればその意図は何なのか興味があります。
大晦日深夜にある経済討論番組を見ましたが、日銀の量的緩和の具体的意味について列席されていた政界、経済界御歴々の少なからずが理解していないように見受けられました。世の中ってこんなものなのでしょうか。

アダムスミス2世氏の更新を楽しみにしています。

あけましておめでとう

管理人さん、今年もまた素晴らしい分析をお願いします

No title

教育コストの増加とともに
産業構造の寡占化、効率化、労働者の権利低下によって給与が下がり子供を産みづらくなり

「日本の生産年齢人口が減少し」ました。
もちろん減りすぎれば今度は足りなくなってくるのかもしれませんが実際はどうなのでしょう。
これはとても長期的な変化に思いますから。

日本の失業率は主婦も含まなければ職安で就職活動をしていない人も含まないのではなかったでしたっけ。実際の数字は低くなさそうです。
社内失業者も一時期600万人と言われていました。

しかし、それでも20、30年後になると本当に働き手が足りず、あらゆる職種の給与が増加傾向になるかもしれませんね。
そして底へ向けての競争という過剰競争も緩和されるかもしれません。
働き手が過剰でなければ過剰競争も起こりえません。
コストベネフィットも上昇し、生活レベルも実質的に上昇するでしょう。

ただ、働き手とともに人口も減ってゆくのでそう極端でもありますまい。

賃金上昇圧力

失業率の定義は、国によって異なります。ちなみに、アメリカの基準で日本の失業率を量れば、より低い数字になるようです。昨年11月は日本基準で4.1%、アメリカ基準では3.7%です。
http://www.bls.gov/fls/intl_unemployment_rates_monthly.htm

中長期的に見れば、労働力不足から、賃金の上がり安い状況が訪れることは間違いないと思います。そして、移民受け入れの是非の議論が、国民的な論争を呼び起こすことになると思います。
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