金融の量的緩和と円安

金融の量的緩和を強化して為替を円安に誘導すべきである、という意見を持つ人は多い。私もその中の1人である。しかし、量的緩和の強化は円安の進行につながらない、と考えている人に、説得力のある説明をするのは、かなり困難なことである。

為替レートの決定理論の1つに、マネタリーアプローチというものがある。マネタリーアプローチの考え方では、日本がアメリカよりマネーストックをより増やせば円安になり、日本がアメリカよりマネーストックをより減らせば円高になる。

この、マネタリーアプローチの考え方が、1970年代の変動相場制の下で、為替レートの決定理論として有効であるという論文を1979年に書いたのが、現日銀総裁である白川方明氏である(日銀HPに掲載)。この論文で、白川氏は、「為替レート変動はすぐれて貨幣的現象である」というマネタリーアプローチの基本命題を実証的に明らかにした、と記している。当時の白川氏は、マネタリスト強硬派か、貨幣万能主義者と思えるくらい、貨幣の経済や為替レートへの影響力を重視していたように見える。もっとも、現在の白川氏は、すっかり変身してしまったようであるが。

私は、マネタリーアプローチの考え方を支持する。しかし、為替レートの動きをマネタリーアプローチだけで説明するには無理がある、と考えている。為替レートを決定する要因は多数存在し、マネーというのは、その中の重要な要因の一つである。従って、マネーとその他いくつかの重要な要因を総合して、為替レートの決定要因として用いるべきものと考える。

現在の私の分析手法は、マネタリーアプローチより古くから存在しているフローアプローチである。国際収支表を細かく観察することにより、為替レートの分析をしている。国際収支の詳細なデータが入手可能となったため、従来よりフローアプローチの有効範囲は広まったと考えている。

現在の私の考え方では、日銀の金融政策が、国際収支の様々な項目の需給に対して、どのような影響を与えるかを考えることから始まる。


日本の国際収支の主な内訳

国際収支の項目を細かく分類すれば、非常に多岐にわたる。しかし、国際収支の項目の中で、長期的に大きな黒字、又は赤字の数値を示す項目は、経常収支、投資収支、外貨準備増減の3項目である。投資収支の中で特に重要な項目は、直接投資、証券投資である。この外に、長期的にはゼロに近いが、短期的に大きく変動する項目である「その他投資収支」がある。「その他投資収支」は大幅黒字と大幅赤字を繰り返すが、年平均をとると、わずか0.2兆円の黒字となる。「その他投資収支」に含まれる項目の数は非常に多いが、短期の資金貸借と、現先、レポを利用した資金の貸借、現預金の項目の数字が大きい。いわゆる「投機的資金」のかなりの部分は、「その他投資収支」に含まれていると考えて良いと思う。

上記の表の過去16年間の年平均の項目の数字と為替レートの関係を説明すると、次のようになる。日本は、過去16年間、経常収支の黒字で年平均15兆円の資金を稼ぎ、投資収支を通じて、8.2兆円の資金を流出してきた。しかし、これだけでは外国為替市場は均衡せず、円高圧力がかかり、その結果、6.3兆円の円売り外貨買い介入を実施し、外貨準備を増やし、その結果、外国為替市場の需給が均衡することとなった。


日本の投資収支の主な内訳

ここからさらに、投資収支の内容をより細かく分析する。投資収支は、資産サイド、すなわち日本人投資家の対外投資と、負債サイド、すなわち、外国人投資家の対内投資に分けられる。債券投資については、この他に債券発行の金額が加わるのであるが、除外しても結論は同じであるのであえて除外し、債券売買分だけの数字を掲載した。年平均で見れば、日本人投資家の対外投資は、債券投資で11.2兆円、直接投資で5.3兆円、株式投資で2.6兆円であった。一方、外国人投資家の対内投資は、債券投資が4.7兆円、株式投資が4.5兆円、直接投資が0.8兆円であった。債券投資4.7兆円のうち公的部門が5.1兆円であった。日本人投資家の資金は、直接投資、株式投資、債券投資を通じて、継続して海外に流出している。2011年はユーロ危機の影響で対外債券投資は縮小したが、2012年前半は、年率12兆円のレベルまで回復している。一方、外国人投資家の資金も、主に日本への株式投資、債券投資を通じて日本に流入している。ここで注意したいのは、外国人投資家の債券投資である。外国人投資家の債券投資の多くは、民間部門ではなく、公的部門である。普通、公的部門と言えば、政府・中央銀行の外貨準備を思い浮かべる。しかし、IMFの統計から円建て外貨準備の増加額を計算すると、年平均でわずか0.5兆円にすぎない。IMFは、通貨別外貨準備について、全体の55%を把握し、残りの45%を把握することができていない。未把握の金額を含めても、日本への外貨準備の資金流入はせいぜい年平均で1兆円くらいであろう。しかし、公的部門の対日債券投資は、年平均で5.1兆円も存在する。この差の4.1兆円の部分は、ソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)、SWF以外の政府関係機関、外国の公的年金資金等であると推定される。外国人投資家の債券投資のかなりの部分を占めるSWF等の資金は、投機性の高い資金でもあると推定される。年間に大幅に買い越す年が多いが、大幅に売り越す年もある。直近はともかく、少し前までは、日本の金利は世界一低かったので、利息収入は期待できず、期待できるのは、為替差益だけであった。だから、普通の民間部門の投資資金は、主として日本株を買い、日本債券はごくわずかしか買っていない。SWF等の資金は、主に為替差益を求めて日本に流入してくる資金であり、投機性の高い資金と考えざるを得ない。2011年はユーロ危機の深化により、デフォルトリスクを避けるために、あわててユーロから日本へと資金を移動させたようである。その金額は、昨年1年間で約20兆円である。この資金が日本に流入することにより、日本円は戦後最高値を更新し、介入によって外貨準備を13.8兆円増やすことを余儀なくされた。

昨年の大震災以降、燃料輸入金額の急増と、円高による日本の国際競争力の低下により、経常黒字は大きく減少している。この状況下で日銀がより大規模な量的緩和の強化を実施したならば、これらの収支はどう変動するかを考える。とりあえず、投機的な資金は、日本人、外国人共に、円売り外貨買いに走るであろう。これは、「その他投資収支」の赤字拡大要因となる。日本人投資家の対外債券投資については、金額を増やす方向に働くはずだ。しかし、現在は、内外金利差も少なく、過去の投資分の為替評価損も大量に抱えているために、日本人投資家の対外債券投資で、すぐに増える金額は少ないと思う。次に負債サイドを見る。外国人投資家の対日株式投資は、円安・株高期待で、円の期待下落率より、株価の期待上昇率の方が高いので、増加の方向に働く。外国の政府・中央銀行の外貨準備の対日債券投資は、ほとんど変化はないであろう。SWF等の対日債券投資はどうなるか。これは、先に述べたように、為替差益を求めた投機性の高い資金であると推定される。そうであるなら、量的緩和の強化は、円の先安期待を生じ、少なくとも対日債券投資の金額は減少するはずであり、場合によっては、日本の債券を売り越すようになることも考えられる。

経常収支は、低水準の黒字で不変と仮定する。現時点において、日銀が大規模な量的緩和の強化を実施した場合、国際収支の主要項目はどのように変化するかをまとめると、
日本人投資家の対外債券投資・・・若干赤字が増加
外国人投資家の対日株式投資・・・黒字が増加
外国人投資家の対日債券投資・・・黒字が大幅縮小か、赤字に転落
「その他投資収支」・・・・・・・・・・・・・大幅な赤字になる

これらを全部合計すると、投資収支は赤字拡大となる。国際収支が均衡するためには、円安が進んで、経常収支の黒字が拡大するまで円安が続くことになる。

経常収支が、円安の結果、黒字の水準が上昇したと仮定する。その中で、日銀が量的緩和をさらに強化した場合どうなるか。投機性の高いSWF等の資金は、日本の債券の売り越しを増やし、外国人投資家の対日債券投資は大幅な赤字に転落するであろう。日銀が量的緩和をさらに強化した場合、国際収支の主要項目がどのように変化するかをまとめると、
日本人投資家の対外債券投資・・・若干赤字が増加
外国人投資家の対日株式投資・・・黒字が増加
外国人投資家の対日債券投資・・・赤字が大幅に増加
「その他投資収支」・・・・・・・・・・・・・大幅な赤字が継続

これらを全部合計すると、投資収支は、やはり赤字拡大となる。国際収支が均衡するためには、円安が進んで、経常収支の黒字がさらに拡大するまで円安が続くことになる。

経常収支が、円安の結果、黒字の水準がさらに上昇したと仮定する。それでも手を緩めることなく、日銀が量的緩和を強化し続ければどうなるか。投機的な資金である、「その他投資収支」、SWF等が中心の外国人投資家の対日債券投資は、十分円建て資産を売ったので、赤字拡大ではなく、むしろ、赤字縮小の方向に動くと思う。外国人投資家の対日株式投資も、日本株を十分に買ってしまい、買い越し金額が減少すると思う。一方、量的緩和の強化の継続が明らかになり、実際に円安が定着すれば、外為法改正後30年以上、為替差損ばかり被り、対外債券投資をできるだけ避け続けてきた日本人投資家が、円安期待を持つようになり、対外債券投資を拡大し始めることが考えられる。日銀が量的緩和を強化し続けた場合、国際収支の主要項目がどのように変化するかをまとめると、
日本人投資家の対外債券投資・・・赤字が大幅に増加
外国人投資家の対日株式投資・・・黒字が縮小
外国人投資家の対日債券投資・・・赤字が縮小
「その他投資収支」・・・・・・・・・・・・・赤字が縮小

これらを全部合計すると、投資収支は、やはり赤字拡大となる。国際収支が均衡するためには、さらに円安が進んで、経常収支の黒字がより拡大するまで円安が続くことになる。

このように、日銀が量的緩和の強化を継続し続ければ、まずは、「その他投資収支」に含まれる投機的な資金、外国人投資家の中のSWF等の投機性の高い債券投資で、まず資金流出が始まる。それが継続すれば、いずれ日本人投資家の対外債券投資の増加を通じて海外への資金流出が増加し、円安がもたらされ、経常収支の黒字が拡大していくことになる。

もっとも、外国為替市場では、様々な心理的要因が働き、資金が流出入する。量的緩和の拡大で円安になっても、それを一時的なものと予想する投資家は、必ず存在する。こうした「円安は一時的」と考える投資家が、まとまって円買いを始めると、「その他投資収支」が大幅な黒字になり、円高がぶり返すことも十分考えられる。このような時には、円高期待を打ち消し、円安期待を持続させるために、政治的外交的な摩擦を覚悟して、財務省は大量の円売り外貨買い介入に踏み切り、円安の定着をはかるべきだ。こうした日銀の量的緩和の強化の継続を中心にして、財務省の介入を一部加え、内外の投資家が円安期待を持ち続ければ、中長期的な円安傾向が本当に実現するということは、十分考えられる話である。

上記に示したのは、日銀の量的緩和の強化が継続された場合、起こりうる有力なシナリオの1つである。相場の世界は想定外の出来事が頻繁に発生する世界である。ここでは、ユーロの無秩序的な崩壊といったシナリオは、可能性はあるが、低いということで、想定外に置くことにする。想定内のシナリオだけならば、上記のシナリオかそれに近い円安のシナリオがいくつか描け、円高継続、又は、相場の膠着不変のシナリオを考えるのは難しいのではないかと思われる。日銀の量的緩和の強化が継続し、補完的に財務省による為替介入を組み合わせれば、円安誘導を実現させることは、十分に可能であると考える。

こうした円安が進行している時の実体経済の動きは、
円安による輸出の拡大
→個人・法人の所得の増加
→個人・法人の貯蓄の拡大とマネーストックの増加
→個人・法人の過剰貯蓄の海外流出拡大
→円安・高水準の経常黒字の定着
→実質GDPの増加
という現象が背後で発生する可能性が高い。

このように、日銀による大規模な量的緩和の継続により、円安誘導が可能になれば、円安→輸出拡大→実質GDPの増加、が実現することになる。量的緩和は、前回述べた資産効果と並んで、経済成長を実現させる重要なルートとなる。日銀は、1日も早く、資産高、円安をもたらす、大規模かつ継続的な量的緩和政策の実施を開始すべきである。

テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

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