金融抑圧による財政再建 イギリスと日本

現在の日銀が採用している政策は金融抑圧であり、将来はインフレと金利上昇によって破綻へと向かう、という日銀批判を最近よく耳にする。金融抑圧とは、インフレが進行する中、様々な手段を使って金利を低位に押さえ込む政策をとり続けることである。国債金利を上回るインフレ進行を長期間容認し、インフレによる債務帳消しを少しずつ行い、結果として財政再建を実現させるという政策である。現在の日銀による国債の大量購入の結果としての国債金利の低位維持と、2%のインフレ目標の実現は、金融抑圧に属する政策である。金融抑圧による財政再建は、過去において世界にはいくつも例が存在する。今回は、その中でも最も有名な第二次世界大戦後のイギリスの金融抑圧の中身を説明し、金融抑圧という政策が日本で成功するかどうかを考えることにする。

今回使う資料は、イングランド銀行のHPにある“The UK recession in context — what do three centuries of data tell us? "(ここでは「300年のデータ」という言葉で表現する)の中に使用されているデータを主として利用する。リーマンショック後の不況に対して、過去300年間という長期の経済データから読み取れることのできる教訓を見つけるために書かれた論文である。この中で、長期のイギリスのマクロ経済データがいくつも掲載されているので、そのデータを利用することにした。まず、「300年のデータ」から、イギリスの長期にわたる政府純債務の対GDP比率を、直近の日本の比率と合わせて表すグラフを下記に示す。


政府債務GDP

上記のデータは1830年がスタートである。一方、ネット上では、同じ内容のグラフを1692年から掲載したグラフをいくつも見ることができる。なぜ1692年かというと、その前までは、イギリス国王の私的財産と、イギリス政府の公的財産の間に区別がなかったのである。1692年に、国王の私的財産から分離された勘定で、初めて国債が発行されたという学説が有力であるからだ。「300年のデータ」の中にも、政府純債務残高として同じ数字が存在している。しかし、「300年のデータ」の作成者は、政府純債務残高の金額ではなく、1692年-1829年の推定GDPが気に入らなかったようである。そのため、1692年からのものとは異なる推定GDPを使用し、1830年からグラフ化したものが上記のグラフである。

広く使われている1692年からのグラフでは、イギリスの政府純債務の対GDP比率のピークは1821年、260%である。ナポレオン戦争のための戦費調達が原因らしい。しかし、1692年であれ、1830年であれ、その頃の数値は怪しい。2013年の数値は新SNAベースでの一般政府の純債務残高の対GDP比率である。一般政府の純債務を計算することは、2013年でも簡単な作業とは言えない。中央政府分だけでも複雑である。加えて、日本には、都道府県、市町村が合計して約1800も存在する。それぞれの資産と負債を計算し、純債務を算出して1800団体分合計する。これは、現在のようなメインフレームからパソコンまで様々なコンピューターが使える時代においても、簡単とはいえない作業である。1692年の国債残高は、実質的な政府の債務の一部にすぎず、政府保有の債権も考慮されていない。GDPもイギリスで初めて計算されたのは1948年である。それ以前は推計値であり、どこまで正しいかわからない。

いずれにしろ、左寄りの古い時代のデータは参考値として理解し、右に近づくほど正確性が高まると考えるべきであろう。イギリスの政府純債務の対GDP比率が1819年が最高で260%といっても、ほとんど信用できない。1946年の259%も、現在よりは正確性がかなり劣ることは間違いない。それでも1819年の260%と比較すれば、多少は信頼性が高そうなので、259%前後の数字であったと受け止めるしかない。

ここで重要なことは、イギリスで1692年からデータの存在する政府純債務の対GDP比率は、古い時代は信用できないとしても、政府純債務が分子になっており、政府総債務ではないことである。イギリスでは一般政府が保有する金融資産が少ない。従って、純債務と総債務の比率にそれほど大きな差は存在しない。しかし、日本の一般政府は巨額の金融資産を保有している。そのため、2013年時点で、日本の政府総債務の対GDP比率は243%と、1946年当時のイギリス近くになる。しかし、政府純資産の対GDP比率は123%でしかないことである。しかも、2013年は前年から6%も減少している。少なくとも2013年に関しては、ワニの口は閉じられたのである。これは、円安株高が進行した結果、GPIFや外為特会などで保有している金融資産の価格が大きく値上がりしたためである。2013年の日本と1946年のイギリスとを比較した場合、2013年の日本の方がはるかに財政状態は健全なのである。

ただし、日本とイギリスには大きな違いがある、「300年の歴史」のデータから、長期のイギリスの歳出と歳入の対GDP比率を表すグラフを下記に示す。


財政赤字GDP

見てわかるとおり、イギリスの政府債務の増加原因は、戦争の費用である。従って、国家総力戦であった2回の世界大戦が終了すると、財政収支は黒字化しやすかった。平時でも巨額の財政赤字を出し続ける現在の日本とは、決定的に異なっている。

他にも重要な違いがある。イギリスの歳出と歳入の金額を表すグラフを下記に示す。


歳入歳出

金額なので、縦軸は対数にした。イギリスは戦争が終わった直後に、確かに歳出が減っている。しかし、第二次世界大戦後の減少は短期間であり、すぐに増加に転じている。これは、イギリスが第二次世界大戦後に「ゆりかごから墓場まで」のスローガンを現実のものとするために、社会保障関係費を大幅に増やしたからである。第二次世界大戦後も直後の短期間を除いた場合、歳出は増加し続けていたのである。これは現在の日本と同じである。最大の違いは歳入面にある。日本は、バブルが崩壊し、それから20数年もたっているのに、いまだに20数年前よりも歳入金額が少ない。一方、イギリスでは戦争終了後も継続して歳入を増やし続けている。イギリスは、戦争で経済が疲弊した後、その後に大きな政府を目指していたのである。社会保障関連の支出は大幅に増加したのであるが、同時に歳入も同じくらい増やしている。そのため、財政収支は多少の黒字で、プライマリーバランスは大幅な黒字になっている。第二次世界大戦後のイギリスは税収を継続して増やし続けてきた点が、バブル崩壊後の日本と決定的に異なっている。日本政府がバブル崩壊後にいかに歳入を減らしたかは(*1)を始めとして何度も取り上げてきた。

ここからが金融抑圧の話になる。第二次世界大戦後の金融抑圧は、名目GDP成長率をできるだけ引き上げ、国債金利をできるだけ引き下げるという政策である。ここでは、イギリスを代表する国債としてコンソル債(永久国債)の利回りと名目GDP成長率とを比較し、その差を同じグラフに入れて下記に示す。


成長率と金利

コンソル債の利回りは、長期国債の金利の代表と考えてよい。そして「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の差を緑色のグラフで示した。緑色のグラフがプラスになっている時期が金融抑圧期といえる。第二次世界大戦の前から金融抑圧は始まっている。ただし、金融抑圧の大きさは、上記のグラフからは読み取りにくい。そこで、1830年から「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の値を累計したグラフをつくってみた。そのグラフを、政府純債務の対GDP比率のグラフと合わせて下記に示す。

政府債務比率と金融抑圧

赤が、「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の累積値である。赤の線が下向きの時期が金融抑圧ではない時期、上向きの時期が金融抑圧の時期となる。金融抑圧は1933年-1980年の48年間続いたと言える。この期間でも、第二次世界大戦の時期は、政府純債務の対GDP比率は大きく上昇している。しかし、第二次世界大戦直後の1946年から1980年まで続いた金融抑圧期には、政府純債務の対GDP比率は258%から49%まで209%も減少している。計算してみると、209%のうち、金融抑圧による減少分と、それ以外、すなわち増税と歳出削減による減少分が、だいたい半々になる。

金融抑圧による債務帳消しの効果は大きかった。問題は、それが永遠に持続可能ではないということである。金融抑圧を示す赤い線の2013年の値は、ほとんどゼロに近い。これは、長期で見た場合、コンソル債の利回り(r)と名目GDP成長率(g)が等しいことを表す。1830年-2013年の184年という長期間において、r=gが成立しているのである。これは、(*2)で説明した成熟した先進国で観察されたr=gという結論とも一致する。なお、ソローモデルやピケティモデルではr>gが結論となる。しかし、ソローモデルもピケティモデルもrは国債金利ではなく、定義の異なる別のものを意味している。従って、名目GDP成長率=長期国債金利は、ソローモデルやピケティモデルとは矛盾しない。ソローモデルやピケティモデルを根拠にして、名目GDP成長率<長期国債金利と主張するのは、経済理論の利用方法が誤っているのである。

長期でr=gが成立する場合でも、1933年-1980年のイギリスのように47年の間も、r<gが成立することがあり得る。しかし、それは永続しない。理由は、金融抑圧を長期間続けると、必ずインフレ率が上昇するからである。金融抑圧とインフレ率を表すグラフを下記に示す。


物価と金融抑圧

1933年-1980年の間の最後の10年くらいは、インフレがひどくなっている。ただ重要な点は、1970年代のインフレは、イギリスだけで発生した現象ではないということである。日本も含め、世界の多くの国で発生している。特に1970年代初頭の好況と、2度にわたるオイルショックは、世界的なスタグフレーションを引き起こした。イギリスのインフレ率のピークは1975年の24%、日本のインフレ率のピークは1974年の23%であり、イギリスは日本のインフレ率を少し上回るだけである。従って、最後の10年間のスタグフレーションに金融抑圧が与えた影響は少ないはずである。1970年代初頭の世界的な好景気や、2回にわたるオイルショックなどの世界共通の原因によるインフレの方が、より大きくインフレ率の上昇に寄与していたはずである。金融抑圧を長期間続けた場合、必ずインフレが発生するが、金融抑圧だけで10%をこえる高率のインフレは、簡単には発生しないと思う。

最後に、政策金利であるバンクレートと金融抑圧の関係を表すグラフを下記に示す。


金利と金融抑圧

金融抑圧の後半では金利がかなり大きく上昇している。ただ、金融抑圧期のイギリスの金利を巡る環境は、非常に複雑である。しかし、この金利環境の差が、金融抑圧期のイギリスと、現在の日本との決定的な差であると考える。

金融抑圧の期間に、第二次世界大戦が発生している。この戦争の前後は、戦時期特有の統制経済が存在していた。さらに重要な点は、ポンドは第二次世界大戦直後において、ドルと金に次ぐ第三番目の基軸通貨であったことである。第二次世界大戦を境に、アメリカ経済はイギリスを圧倒する世界最大の経済大国へと成長した。一方、イギリス経済は戦争を通じて相対的に弱体化した。しかし、依然として大英帝国以来のスターリング経済圏を保持していた。そのため、イギリス国外には多額のポンド建て資産の保有者が存在し、第二次世界大戦直後から1967年までの期間において、ポンドはドルに対して何度も大きく売られるという事件、すなわち通貨危機が発生していた。にもかかわらず、イギリス政府は、基軸通貨であるポンドの価値を維持することを優先課題としていたのである。

政策金利であるバンクレートは、1932年-1951年の間、2%に固定されていた。1951年に2.5%に引き上げられる。この引き上げは、金融政策の復活と呼ばれている。為替の規制も存在していた。ポンドの交換性が回復されたのは、1958年のことである。1958年にポンドとドルの交換が自由化されたわけであるが、それ以前にポンドとドルの交換が禁止されていたわけではない。一定の規制の範囲内で交換は行われていた。第二次世界大戦終了後から、段階的に規制が廃止され、多くの規制が廃止されたのが1958年であったのである。第二次世界大戦直後から、ポンドは多くの規制が存在していたにもかかわらず、常に対ドルでの売り圧力が存在していた。先に書いたスターリング経済圏のポンド建て資産保有者によるポンド売りドル買いである。その売り圧力に絶え切れなくなり、イギリスは、1949年にポンド平価の大幅な切り下げに追い込まれた。

1951年に金融政策が復活したが、その最優先の目的はポンドの価値の維持であった。ポンドはたびたび売り圧力にみまわれたので、そのたびにイングランド銀行は金利の引き上げにより、ポンドの売り圧力を押さえ込もうとせざるをえなかった。それでもポンドの売り圧力はやまず、1967年にイギリスは、再びポンド平価の切り下げに追い込まれる。この後、イギリス政府は、ポンドの基軸通貨としての地位を放棄する方向へ政策を転換した。

1967年以降、イングランド銀行は、ポンドの価値を維持するために金利を引き上げる必要性が低下した。この時からロンドンは、基軸通貨ポンド取引の中心地から、ユーロダラー取引の中心地へと大きく変貌していくことになる。1972年以降、金利はインフレ抑制のために大幅に引き上げられたが、インフレを簡単に抑制することはできなかった。しかし、これは先に書いたとおり、イギリスだけではなく、世界的な現象であったのである。1970年代初頭の世界的な好景気やオイルショックがなければ、利上げは必要であったであろうが、10%をこえるような大幅な引き上げは必要なかったはずである。

1950年代-1960年代のイギリスは、基軸通貨ポンドの価値を維持するために、常に金利を引き上げる必要性が存在していた。この点が現在の日本と全く異なっている。現在の日本は、国内に蓄積された巨額の資金が、極端なリスク回避志向のために海外に流出しようとしない。一方、海外で大量に流通しているドルが、リスク回避用の通貨として円に乗り換えられ、日本国内に流入し、円高を引き起こすという圧力に日本は常にさらされている。現在の日本は、ただでさえ資金余剰である日本国内に、海外から資金が流入し、さらなる資金余剰と円高が発生しやすいのである。1950年代-1960年代のイギリスは、金融抑圧が困難な環境であったのにもかかわらず、結果として金融抑圧を続けることに成功した。現在の日本は、金融抑圧が非常に容易な環境であり、必要な政策でもあった。しかし、少し前までは、金融緩和を渋り、デフレと円高により経済不振と巨額の財政赤字を積み上げてしまったのである。金利という点では、第二次大戦後のイギリスと現在の日本とでは、環境が180度異なっているのである。

このイギリスの経験から、現在の日本はどのような教訓を得られるであろうか。第一に、金融抑圧は絶対に採用すべき政策である。第二に、金融抑圧は永遠に続けられる政策ではないということである。いずれ必ずインフレ率が高まるとともに金利も上昇し、長期的には、r<gがr=gへと引き戻される圧力がかかるということである。従って、増税もまた必要な政策である。私は以前から繰り返し述べているとおり、発生するインフレに対しては、ドッジ・プラン・バージョン2を採用すべきと考えている。進行しつつあるインフレに対しては、増税を中心とする財政政策により押さえ込むという考え方である。消費税増税によるデフレ不況促進効果が、少なくとも短期間は大きく存在することが、日本では証明された。次に増税を実施するのは、インフレ進行時に行うべきである。消費税だけではなく、インフレやバブルを防ぐ様々な増税を組み合わせて同時に実施すべきである。

金融抑圧の実体は、インフレ税である。これは、預金、国債などの確定利付き債権の保有者に対する資産課税であり、格差縮小につながる良い税金である。しかし、日本は10数年もの間、デフレを容認し、インフレ税とは正反対のデフレ補助金を預金、国債の所有者にばらまいてきた。この巨額の債権、資産の保有者へと向かう隠れデフレ補助金のおかげで税収は減少し、日本の財政状況は大きく悪化してしまった。デフレ補助金をやめて、インフレ税の徴収に戻すことは絶対に必要なのである。

1946年-1980年の間、イギリスの財政再建は大変順調に進行した。1946年当時のイギリスと比較すれば、現在の日本の財政状況は、はるかに良好である。イギリスは、金融抑圧によるインフレ税と、増税や歳出削減の組み合わせとの半々により、財政再建に成功した。日本もこの組み合わせで財政再建に望むのがベストであろう。まずは金融抑圧、その後インフレが発生したら消費税を含む各種増税を組み合わせて実施するのが望ましい。金融抑圧なき消費税増税は、経済をデフレ不況に戻し、デフレ補助金という隠れ補助金のために税収を大きく減らしてしまう。その先は金利の急上昇を通ずる財政破綻しか道は残されていない。財政を本気で再建するために必要な政策は、消費税の増税を実施する前に、金融抑圧というインフレ税の徴収をできるだけ長く続けることなのである。


リンク先記事
財政赤字とデフレの関係(*1)
名目成長率と名目金利の比較(*2)


追記
2015年2月25日
日本経済新聞29面 経済教室
カーメン・ラインハート ハーバード大学教授
債務削減へ「金融抑圧」再び

ラインハート氏との違い
(1) ラインハート氏「(日本は)長引くデフレが金融抑圧による債務削減を阻んだ。」
→日本はバブル崩壊後、銀行の不良債権問題を処理するため、すぐにゼロ金利と量的緩和を実施すべきであったが、しなかった。2013年4月の異次元緩和は
20年遅すぎた。日本のデフレと政府債務残高膨張の最大の原因は、金融政策の失敗にあった。
(2)「金融抑圧を債務再編の代替ではなく、補完と位置づけるのが最善。」
→まず先に金融抑圧が必要。その後にインフレが発生した場合、本格的な緊縮財政を実施すべき。緊縮財政の準備だけは事前にしておく必要がある。


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いつも楽しく拝読させていただいています。

私もこのエントリーの「300年データ」をダウンロードして、色々見てみました。

そこで一つの考えに至ったのですが、もしよろしければ所感などをお聞かせ願えればと思い、コメントいたします。


お書きになっている通り、イギリスは1933から恒常的に「g>r」となる金融抑圧の状態に入ったと見受けられます。

それが揺るぎ始めたのは、これもお書きの通りインフレでした。エントリーでは触れていらっしゃらないようですが、60年代後半はアメリカがベトナム戦争に本腰を入れたため、世界的に輸入インフレが発生しました。その時のインフレは73年のオイルショックへとつながり、イギリスをスタグフレーションに追い込みました。金融抑圧が輸入インフレにより崩されたとするなら、それは

ベトナム戦争→オイルショック→賃金高騰

という3ステップを踏んだのでは、と考えるに至りました。

ここから私が思ったことなのですが、フィッシャー方程式の非対称性、つまり、

名目金利=実質金利+期待インフレ率

という関係のうち、
1.世間でデフレ期待が強い間はマネーサプライは国債購入に当てられ名目金利をもっぱら抑えるのみであるも、
2.一度デフレ期待からインフレ期待へと転換すると、マネーは国債から実物へと流入を始め、名目金利の上昇とさらなる期待インフレ率の上昇を招く、

という関係を踏まえると、イギリスではベトナム戦争、オイルショックという輸入インフレを経て、世間にインフレ期待が定着して高率のインフレを招いたのではと考えました。また、当時の英国では労働組合が強かったことも、高率の賃上げを通じてインフレを再生産したのだと思います。

これらを踏まえて日本を見ると、輸入インフレについては今のところは逆の状態であるように見えます。原油価格は低下しており、さらには「世界の工場」である中国は海外に販路を求め、過剰生産、過剰輸出をしています(主に鉄鋼などのようですが)。

ただ、雇用環境を見ますと、日本は既に完全雇用に近い水準まできているとも思えます。

すると、今後何らかの理由で輸入インフレが始まるならば、日本は前述の「マネーが国債から実物資産に流れる」というパスを経て高率のインフレが発生する可能性はあるのでは無いでしょうか。(マネーサプライも相当程度増えていますし)

つまり、日本の金融抑圧が破綻するならば、それは輸入インフレからであると考えた次第です。


以上が、私の考えです。

押し付けがましく恐縮ですが、もし何かご意見があるならばお聞かせいただければ幸いです。

今後も素晴らしいエントリーを楽しみにしています。

インフレ抑制のための政策

輸入インフレは1ドル75円から125円までの円相場下落の間に発生してきました。しかし、原油価格暴落の幸運もあって、インフレ圧力は小さかったでした。今後、さらなる円安が進行しても、抑制可能な範囲内で収まると思います。

インフレ抑制の一般論は、最後から3番目の段落に書いてある「ドッジ・ライン(プラン)・バージョン2」です。

下記の記事にも同様なことを書いていますので、参照にしてください。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-164.html

ありがとうございました。

つまりはバブル発生時の緊縮財政であろうと思います。

確かにこのプランしかないと思いますが、そうなると結局最後は政治の問題ーー緊縮しかないのか、別の道は無いのかーーで揉める、ということに帰着しそうな予感も致します。

ともあれ、ありがとうございました。勉強になりました。
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