日本の貿易構造の転換 マーシャル・ラーナー条件が成立へ

日本の貿易構造が転換しつつある。2011年3月以降、日本の貿易・サービス収支の赤字が続いていた。アベノミクス相場による円安でその構造が変化するかと思われたが、その期待は実現しなかった。しかし、最近になって大きな変化、すなわち貿易・サービス収支の改善が起こり始めた。今回は、そうした変化をふまえながら、1年後に発生する可能性のあるシナリオを提示したいと思う。その後、円安が貿易・サービス収支を改善させる条件であるマーシャル・ラーナー条件を使って現在の局面変化を説明し、それでも残された貿易・サービス収支の改善に必要な政策を述べる。

まずは、日本の輸出、輸入、貿易収支の過去10年間の推移を表すグラフを下記に示す。


輸出入金額

輸出入も貿易収支も大きな変化が続いている。その中で最も注目すべき変化は、直近における輸出の増加であり、その結果、貿易収支の赤字がかなりの速度で減少しつつあることである。

次に、輸出入の変化を貿易の数量で示す。日銀が算出している輸出、輸入数量指数を表すグラフを下記に示す。


輸出入数量

目立つのは、直近における輸出数量の増加である。リーマンショック後、輸出数量は、長らく落ち込んでいた。アベノミクス相場による円安の結果、輸出数量が増加することが期待されていた。しかし、簡単に増加しなかった。それが、2014年6月に底を打ち、ようやく輸出数量の拡大が発生し始めた。これが、輸出面における最大の変化である。

輸出数量と比較して、輸入数量の増加は緩やかである。現在、輸入サイドで発生し始めている大きな変化は、数量ではなく、価格の変化である。一言でいえば、燃料(ここでは石炭を除く)価格の急激な低下が始まろうとしている。過去10年間の燃料輸入金額の推移を表すグラフを下記に示す。
エネルギー輸入金額

リーマンショック後に急落した時期もあったが、その後はジリジリと増加し続けていた。最近になって輸入金額減少の傾向が見られる。加えて、輸入燃料の価格は、今後、いっそう低下するのである。日本の輸入原油、LNG価格と、北海ブレント原油の円建て価格を表すグラフを下記に示す。

エネルギー単価

直近の北海ブレントの月中平均の高値は、2013年12月の1バーレル当たり11,455円である。直近では輸入原油価格も急落し始めている。北海ブレントという先物市場で決定される原油価格に少し遅れる形で、日本の輸入原油価格も追随している。一方、LNG価格は、契約では原油価格を約3ヶ月後追いすることになっているものが多い。しかし、過去の推移を見ると、原油価格から3ヶ月以上遅れており、だいたい数ヶ月ほど遅れている。LNG価格の2014年12月は過去最高値である。しかし、この高値は長続きしない。今後、急速に低下していくことは間違いない。

いくつかの仮定を置いて、2015年12月の燃料輸入金額がどの程度減少するかを試算してみることにする。円建て北海ブレント価格の2013年12月平均の高値と2015年1月末とを比較すると、46%の下落になる。ここでは、2015年12月の3種類の燃料価格が高値から46%の下落となり、輸入数量に変化がないことを仮定する。LNGの高値は2014年12月と仮定する。すると、2015年12月の平均燃料価格は、2014年12月比で36%低下すると算出できる。つまり、燃料輸入金額は、2014年12月に2.2兆円であったのが、2015年12月に1.4兆円まで、0.8兆円減少すると算出できる。

燃料以外の貿易収支はどうなるのであろうか。これは、前提や計算方法により差が生じてしまう。ここでは、輸出数量が直近の底であった2014年6月を基準にする。ここから、いくつかの仮定を置きながら細かな四則計算を繰り返すのであるが、途中経過が長くなるために省略する。結論として、主として輸出金額の増加により、燃料以外の貿易収支は、0.9兆円前後の改善と算出できる。

2014年12月の季節調整済の貿易収支の赤字は0.7兆円である。その後1年間に、燃料価格の値下がりにより燃料収支が0.8兆円改善し、円安を通じて燃料以外の貿易収支が0.9兆円改善する。改善幅は合計で1.7兆円である。この場合、2015年12月の貿易収支はちょうど1兆円の黒字になる。ちょうど1兆円になったのは、仮定を変えて何種類かの数字を計算すると、大半が1兆円を少し上回ったので、少なめの数字である1兆円を選択したという事情もある。

貿易収支以外の経常収支の他の項目はどうなるのであろうか。まず、サービス収支のグラフを下記に示す。


サービス収支

旅行収支の改善がめざましく、全体の収支は改善傾向にある。

次に、第一次所得収支、第二次所得収支とその合計を表すグラフを下記に示す。


所得収支

第一次所得収支も改善傾向にある。第二次所得収支は低位で横ばいである。全体としては、2つの所得収支の合計も改善傾向である。

もう一度、貿易収支に戻る。2015年12月末の想定は1兆円の黒字であった。これをさらに保守的に見積もって、0-1兆円と想定しなおす。なお、貿易収支には2種類あり、上記で使用したのは通関ベースの数字であった。これとは別に、国際収支ベースの数字がある。若干の定義の違いから、通関ベースの数字の方が少し大きい。しかし、その差の平均は月間100億円強であり、大きな違いはない。これからは、貿易収支として国際収支ベースの数字を使う。通関ベースの貿易収支と、国際収支ベースでの貿易収支が2015年12月末時点までどのように動くかを想定するグラフを下記に示す。


貿易収支予想

次に、経常収支を計算する。サービス、第一次、第二次所得収支の合計は、保守的に見積もって1.5兆円であった。これは、仮定の多い貿易収支より実現可能性が高いので、経常収支は貿易収支に1.5兆円を加えることにする。2015年12月の経常収支を1.5-2.5兆円の黒字と想定し、そのグラフを下記に示す。

経常収支予想

このシナリオでは、円安による輸出増加、燃料価格の低下により、2015年末の貿易収支は0-1兆円程度の黒字になる。経常収支は、1.5-2.5兆円程度の黒字になる。年率に直すと、貿易収支は0-12兆円、経常収支は18-30兆円の黒字になる。これが本当に実現する場合、2015年末の貿易収支、経常収支の黒字は、リーマンショック前のピーク近辺に近づくことになる。

このシナリオが現実になる条件は、2014年1月末の世界経済が、あと11ヶ月間同じ環境を維持し、日本の貿易収支だけが改善し続けることである。つまり、2015年1月末の1ドル=117円45銭、北海ブレント価格が1バーレル=
52.99ドルで固定化され、日本の輸入燃料価格が低下し続けることである。それに加えて、世界経済に大きな変動がなく、日本の輸出が伸び、燃料以外の貿易収支も改善することである。年内に為替レート、原油価格が大きく変化せず、かつ世界経済に大きな変動が発生しなければ、上記の貿易、経常収支のシナリオは現実のものとなる可能性が高い。しかし、こうした前提条件が満たされる可能性は高くないので、これは単なる1つのシナリオでしかなく、予想とすることはできない。

上記のシナリオが実現するためには、他にもう一つだけ非常に重要な条件が存在する。(*1)で説明したとおり、だいたいにおいて、経常収支の黒字=金融収支の黒字が成立する。経常収支の黒字が年率で15-25兆円になるためには、金融収支の黒字拡大も必要である。金融収支の黒字が拡大しない場合、暴力的な円高が進行し、貿易収支を再び赤字方向に引き戻してしまうのである。

貿易収支の改善は、所得の増加をもたらし、何もしなくても所得の一部が海外へと流出し、金融収支の黒字拡大が発生することは起こりうる。また、昨年の黒田バズーカ砲第2弾とGPIFによる外国証券投資拡大の効果が顕在化し、金融収支の黒字が増える可能性も存在する。しかし、2015年1月末時点において、金融収支の安定的な黒字は、直接投資を通じる年率10兆円強の黒字しか見えていない。直接投資以外で年率5-15兆円のネットでの安定的な資金流出が実現することが、経常収支の黒字拡大にとって不可欠な条件であるのだ。現状のままでも実現する可能性はあるが、確率は高くない。これを100%の確率で実現させることが望ましい。そのために必要な手段が、日銀による金融緩和の大幅な強化なのである。リスク回避志向に固まった国内投資家の資金を無理矢理でも国債から引き剥がし、その一部を海外へと流出させる必要がある。

スイスの為替上限レート撤廃と-0.75%というマイナス金利の導入により、世界の先進国の国債金利がマイナスになるものが増えてきた。外国債券投資の困難さは以前より高くなった。現在のような環境下では、金融緩和の強化により、日本の国債金利をマイナスにさせることが、従来以上に必要になる。そうしないと、国内から海外への資金流出が拡大するどころか、海外から国内への資金流入が拡大し、ネットでの資金流出金額を拡大させることができなくなるからだ。日銀は一日も早く国債購入金額の拡大を決めなければならない。ECBの量的緩和も、裏の最大の目的は、資金の海外流出によるユーロ安誘導である。日本の場合、必要なことは、円安というよりも、ネットでの対外資金流出の拡大=金融収支の黒字拡大である。資金がネットで海外に流出しなければ、超円高が発生し、経常収支の黒字拡大は不可能になる。

しかし、経常収支の黒字が本格的に拡大し始めれば、今度こそ「一国繁栄型の近隣窮乏化政策」という非難が世界中から間違いなく高まる。昔のような強い日本の輸出産業が出現してしまうことは、外国にとっては脅威になる。そうした環境になった場合、日銀の追加金融緩和は、国際政治的観点から不可能になる。追加金融緩和のために残されている時間は、長くはないのだ。

リーマンショック前のように、国内から海外へと巨額の資金が流出する状態へと戻すことが、日本経済の成長のために最低限必要な条件なのである。にもかかわらず、資金流出拡大は金利の上昇を通じて日本経済を破滅させるという100%間違った考え方が広まりすぎている。また、「円高原油安=交易条件の急激な改善」を望む声も多い。日本の輸出産業が大崩壊を起こした2008-2009年の再来が望ましいと考える人が多いのである。日本はリーマンショックの直接の悪影響が先進国の中で小さい方であった。それにもかかわらず、2009年の実質GDP成長率は、震源地のアメリカを下回り、先進国の中でも一番低いグループに属していた。超円高を通じる急激な交易条件の改善は、とてつもなく恐ろしい結果をもたらすのである。しかし、こうした間違った考え方が広まることには、理由が存在する。2012年11月の円安発生以降、日本経済において、マーシャル・ラーナー条件が成立していなかったからだ。

マーシャル・ラーナー条件
輸出の価格弾力性+輸入の価格弾力性>1

この式が成立しない場合、円安により、貿易・サービス収支を改善させることができなくなる。昨年前半までの日本は、過去の超円高により経済の供給サイドが崩壊し、このマーシャル・ラーナー条件を成立させることができなかった。そのため、円安進行にもかかわらず、貿易・サービス収支は改善しなかった。

マーシャル・ラーナー条件が成立していない間は、我慢の時期であったのだ。円安になっても輸出は増えにくい上、輸入はより増えてしまう。円安で輸入物価が上昇しても、輸出はそれほど増えず、貿易・サービス収支の赤字は縮小しない。その場合、所得も増えない。そのため、「円安デメリット論」が昨年秋頃に急激に吹き出した。日本経済がマーシャル・ラーナー条件を永久に成立させることができないならば、円安デメリットも永久に続く。この場合でも、(*2)で説明したように、日本の資産は増加していた。しかし、(*3)の後半で説明したように、日本の所得は減少していた。所得の減少する円安政策に対して、反対の声が高まる理由は理解できる。

しかし、輸出と輸入の弾力性は、短期と長期では異なる。当初は、数ヶ月以内に弾力性が拡大し、マーシャル・ラーナー条件が成立するようになると思われた。しかし、数ヶ月後にマーシャル・ラーナー条件が成立することはなかった。その後、「円安デメリット論」が吹き出したが、それより前に、日本経済はマーシャル・ラーナー条件が成立するように転換していた。日本経済の供給サイドの再活性化とともに、昨年の春頃から輸出の弾力性が高まったからである。その後に、原油安という神風が吹き、輸入の弾力性も高まった。マーシャル・ラーナー条件が成立すると、円安進行の結果、貿易・サービス収支が改善するのである。なお、経済理論的には、マーシャル・ラーナー条件は、初級者用の理論である。上級編ではより複雑な条件を要求するものもある。現在の日本では、そうした複雑な条件も成立しているはずである。

今後の日本経済は、マーシャル・ラーナー条件の成立により、円安とともに貿易・サービス収支が改善へと向かう。しかし、問題は、円安がいつまで続くかがわからないことである。貿易・サービス収支が改善している間は、ネットでの対外資金流出の拡大が発生しているはずである。しかし、何らかの事情が発生し、ネットでの対外資金の流出が拡大から縮小へと反転したと仮定する。この場合、円高が発生し、同時に貿易・サービス収支が再び悪化に転じてしまう。マーシャル・ラーナー条件が成立していたとしても、資金の流れが変化すれば、為替レートも変化し、円安ではなく、円高が再び進行してしまう。円高が進行し始めると、マーシャル・ラーナー条件を適用することができなくなる。

ここに、マーシャル・ラーナー条件の限界がある。マーシャル・ラーナー条件は、貿易財・貿易可能サービスだけに光を当てた部分均衡分析である。私の国際収支アプローチは、財・サービス市場と資産市場とを総合して扱う国際収支の一般均衡分析である。日本で見られる貿易分析は、輸出と輸入だけに焦点を当てる部分均衡分析が主流である。部分均衡分析は、一般均衡分析よりわかりやすいという長所がある。昨年春頃から、マーシャル・ラーナー条件が成立しているため、部分均衡分析を使ってみた。しかし、部分均衡分析だけで日本の貿易を語るには限界がある。やはり、一般均衡分析を使わなければならない。前の方で詳しく説明したとおり、「ネットでの対外資金流出の拡大=金融収支の黒字拡大」が貿易・サービス収支の改善に不可欠な条件なのである。

日本経済では、マーシャル・ラーナー条件が成立するという重大な局面変化が起こった。しかし、これは円安を通じて日本の貿易・サービス収支の改善をもたらすための条件でしかない。円高になれば意味がなくなってしまう。従って、円高を再び発生させてはならない。そのためには、貿易・サービス収支の改善分以上の資金を、ネットで国内から海外へと確実に流出させなければならない。その具体的な手段として、日銀による国債購入金額を、年間80兆円から大幅に拡大させることが、必要不可欠なのである。


リンク先記事
国際収支の仕組みと貿易収支を黒字に戻す方法(*1)
資産価格の大幅増加という円安メリット論(*2)
交易条件悪化論と中小企業損失論をこえた円安メリット論(*3)




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テーマ : 経済
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