交易条件悪化論と中小企業損失論をこえた円安メリット論

前回、円安メリット論を詳しく説明した。今回は、その続編であり、前回、言及することができなかった、円安をデメリットとみなす交易条件悪化論と、円安進行の結果、中小企業に発生する損失について説明することにする。

その前に、現在の円安が、いったいどの程度の円安であるかを、長期的な視点から見たグラフを下記に示す。


名目実効レート

実質実効レート

上記の2つのグラフは、今までに何度か掲載したことがあるグラフを更新しただけのものである。名目実効為替レートで見ると、スイスフラン、そして僅差で円が高い。実質実効為替レートで見ると、円が依然として断トツに高い。円は、特に韓国ウォンや中国人民元に対して割高である。なお、韓国ウォンは1964年5月の平価切り下げが過大に評価されており、実際にはグラフの線は上方に移動させる必要がある。一方、中国人民元は、1994年以前を米ドル・人民元レートだけから算出された実質為替レートで代用させている。この場合、日本の超円高・米ドル安が反映されていないので、実際にはグラフの線を下方に移動させる必要がある。

実質実効為替レートは、あくまでも為替レートの水準を判断する際の、1つの目安であるにすぎない。為替レートの水準を判断するためには、もっと多角的な視点から見る必要がある。しかし、実質実効為替レートという観点だけから見た場合、円は韓国ウォン、中国人民元と比較した場合、依然として超円高である。同じアジアにあるシンガポールドル、台湾ドル、香港ドルと比較しても相当な超円高である。実質実効為替レートという観点からだけであることを割り引いたとしても、ここまで極端な超円高・アジア通貨安は、是正させる必要がある。直近においては、円安が進行している。しかし、現時点においても、このような超円高・アジア通貨安という構造は、ほとんど変わっていないという事実を認識しておく必要がある。

前回触れられなかった問題として、円高と交易条件の関係がある。円の名目実効為替レートと交易条件との関係を表すグラフを下記に示す。


交易条件と為替

交易条件は、輸出物価/輸入物価で定義される。交易条件の悪化は、日本経済の成長率を引き下げる効果がある。交易条件悪化論を述べると長くなるので、ここでは、円高と交易条件との関係だけに限定したことを述べることにする。

上記のグラフを一見した限りでは、円高が交易条件の悪化をもたらすように見える。実際、円高と交易条件の悪化の間には、弱いながらも負の相関関係が存在する。ところが実際は、この弱い負の相関関係は、単なる偶然にすぎない。実際の因果関係は、円高→交易条件の改善、であるのだ。仮に、現在でも1ドル=360円が続いていたと仮定する。その場合、輸入するエネルギーや食料品の価格は、円建てで見たとき、今よりももっと高くなっていたはずである。円高が進行した結果、より安い現在の価格で購入することができるのである。円高は交易条件の改善をもたらしてくれる。このため、円高=交易条件改善、円安=交易条件悪化という立場から、円高メリット論、円安デメリット論を主張する声が、一部に根強く存在する。

しかし、円高による交易条件の改善効果は、前回、詳しく説明した消費者が享受する円高メリットと同種のものである。すなわち、円高が永遠に続くのであれば、交易条件の改善メリットを永遠に享受し続けることができる。しかし、永遠の円高進行はありえない。円高が長期間継続した場合、日本経済の供給サイドが崩壊してしまう。その次に発生することは、超円安しかありえない。超円安は、必ず交易条件を大幅に悪化させる。従って、円高による交易条件改善のメリットは、消費者が受ける輸入品価格低下のメリットと同様に、一時的なメリットである。この一時的でしかない交易条件改善効果を根拠にして、円高メリット論、円安デメリット論を述べることは、完全に間違っている。

1番最初のグラフで示したのであるが、わかりにくいので具体的な数字で示すと、中国は、1979年-1994年の15年間に、人民元レートを、対米ドルで83%下落させた。対円での下落率を計算すると、91%であった。この15年間にわたる超人民元安誘導政策の結果、交易条件の具体的な悪化率はわからない。しかし、最近の日本と比較した場合、はるかに大きな悪化率であったはずである。そして、長期間にわたる交易条件の大幅な悪化の最中と、その後に発生したことは、経済の崩壊ではなく、高度経済成長であった。中国以上に通貨価値が下落した国は、他にもたくさんある。しかし、為替レートが交易条件との関係で問題になるのは、「名目」ではなく「実質」の方なのである。中国の場合、2番目のグラフで示したように、実質実効為替レートがズバ抜けて下落している。中国は、交易条件の悪化にもかかわらず、高度経済成長を実現させたのである。長期的な実質GDP成長率を最大化させるためには、交易条件の悪化を覚悟してでも、通貨安が続く方がはるかに望ましいのである。

次に、円安メリットの数値化について説明する。円安メリットを数値化することは、非常に困難である。ここでは、一番近いものとして、貿易・サービス収支の改善を使うことにする。貿易・サービス収支の中には、為替レートと無関係に変動する部分が数多く存在する。円安進行の結果発生した株式時価総額の上昇効果が、200兆円以上存在していることや、対外純資産が円安要因で昨年1年間に80兆円増加した効果も無視している。円安メリットの数値化は、正確にいうと、不可能である。様々な問題を内包した、乱暴ともいえる言い換えしかできない。それでも、直近における狭義の円安メリットは、貿易・サービス収支の改善と言い換えるのが、一番正解に近いと考える。従って、ここでは、円安メリットが、貿易・サービス収支の改善を意味するものと見なす。

貿易・サービス収支と円の名目実効為替レートの関係を表すグラフを下記に示す。


貿易収支と為替

アベノミクス相場と呼ばれる円安が開始されたのは、2012年11月からである。その後、急速な円安が進行するが、貿易・サービス収支はやや悪化の傾向を示している。直近は改善傾向が見えるが、これは、円安というよりも、消費税増税により日本の需要全体が縮小した結果、輸入が減少した要因が大きい。

間違いないことは、アベノミクス相場が始まって以降、貿易・サービス収支は、改善ではなく、悪化の方向に進んでいることである。これは、2012年11月の円安発生以降、日本は貿易・サービス収支改善というメリットを享受したのではなく、貿易・サービス収支悪化というデメリットを受けているのである。円安発生後、日本の損失は拡大しているのである。

トヨタを筆頭とする輸出大企業は、巨額の円安メリットを享受し、企業収益を大幅に拡大させてきた。ところが、日本経済全体では、損失が利益を上回っている。これは、輸出大企業の収益が、新しく発生したのではなく、単に、輸入企業や消費者からの移転にすぎないことを意味している。従って、この観点から見た場合、日本経済全体では、円安発生後、損失が拡大しているのである。

『確かに輸出が多い大手自動車メーカーなどでは、1円の円安が100億円単位の収益改善につながる企業もある。みずほ銀行産業調査部が昨年まとめた試算では、10円円安になると、営業利益は上場企業全体で約1兆9千億円増える。
 
一方、中小が多い非上場企業では約1兆2千億円減るという。輸入原材料価格が上昇するなど負の影響が大きいからだ。日本商工会議所の三村明夫会頭は記者会見で、円安について「中小企業の立場ではあまり望ましくない」と述べた。』
                                    (9月15日 朝日新聞)

上記の記事では、円安進行により、大企業では利益が出るものの、中小企業では損失の方が大きいということが書かれている。数字については、正しいかどうかわからない。しかし、この朝日新聞の記事には、重大な欠陥が存在する。消費者が輸入品価格の上昇によって受けた損失が考慮されていないことである。ものすごく単純化した場合、現在の日本では、下記の式が成立しているのである。

大企業の利益<(中小企業の損失+消費者の受けた損失)

現時点においては、円安進行の結果、円安進行前よりも間違いなく損失が拡大している。理由は、貿易・サービス収支が改善しているのではなく、悪化しているからである。

それでは、円安進行が、日本経済に損失を与えたかというと、それは間違いである。前回も書いたとおり、2012年11月以降の円安進行がなければ、大手電機企業に倒産が発生し、自動車企業はよりいっそう大規模な空洞化を推し進めていたはずであるからだ。その結果、貿易・サービス収支の赤字金額は、現在よりももっと拡大し、発生した損失はより大きくなっていたはずである。

貿易・サービス統計の最新月である2014年7月と比較する対象が、2012年11月が対象の場合、2014年7月の方が損失は拡大している。比較対象が、1ドル=80円が継続していたと仮定する場合の2014年7月であるならば、円安が進行している2014年7月の方が、損失は小さくなっているのである。

円安が進行しても、貿易・サービス収支が改善するまでは、日本経済全体では、以前と比べた場合、利益よりも損失の方が大きい。必要な政策は、貿易・サービス収支の赤字を、2012年11月時点よりも縮小させ、収支が改善するように誘導する政策である。

一つ述べておきたいのは、円高進行の結果、貿易・サービス収支が悪化し、日本企業が受ける損失は、避けなければならない損失である。超円高が進行していた間、輸出大企業は、構造改革と称して、大規模な工場閉鎖や人員削減を実施してきた。中小企業もこの影響を受け、倒産件数が拡大した。こうした損失は、日本にとって全く利益をもたらさない損失であった。だから、私は、円高は創造なき破壊を日本にもたらすだけだと批判し続けてきた。

一方、円安進行の結果、中小企業では損失が発生し、倒産する企業が増えるかもしれない。現実の市場は、完全競争からはほど遠く、価格の設定に当たっては、大手メーカー、大手流通企業が支配しているケースが多い。過去の円高局面で、中小企業は、販売価格の値下げを強要されてきた。そして円安が進行すると、販売価格の値上げを中小企業が要求しても、大企業は一部しか応じないケースがしばしば見られる。従って、中小企業の中には、輸入原材料の価格が上昇するだけで、販売価格は上昇せず、損失が拡大する企業も存在する。この結果、円高がデメリットであった中小企業が、円安でもまたデメリットを感じるのである。

このような場合、特に悪質な場合があれば、下請法やその他の法律を駆使して、大企業の不当な利益獲得を許さないようにすべきである。また、大企業の円安メリットの還元を、賃金上昇だけではなく、取引先の中小企業にも回すべきという雰囲気を作り出す必要がある。上場している大企業が、円安により獲得した利益を配当に回す場合、その30%以上が海外の株主へと流出してしまうからだ。

円安のメリットを、法律の厳格な運用や、大企業から中小企業にも環流させる雰囲気を作ることは必要である。しかし、法の運用や雰囲気作りだけでは、円安メリットを中小企業に十分還元させるまでは至らないと思う。この場合、生産性の低い中小企業には、倒産してもらうしかない。円安進行の結果、生産性の低い中小企業が倒産した場合、大企業は調達先を失う。海外からの調達を考えても、円安によりコストが上昇しているので、メリットが見えない。従って、海外の企業ではなく、日本の中小企業の中で、より生産性の高い企業へと調達先を変えるケースが多くなるであろう。これによって、生産能力が、生産性の低い企業から、高い企業へと移転する。この場合に発生する倒産は、創造的破壊をもたらす倒産であり、日本経済成長の原動力となる。

円安進行が、現在のように中小企業にデメリットをもたらす場合でも、円安進行そのものを止めてはいけない。中小企業にとって望ましい法の運用や雰囲気作りまでは必要である。しかし、それ以上のことは不要である。円安による倒産が増えることは、創造的破壊であり、日本経済全体が生産性を上昇させるチャンス到来なのである。避けなければならないことは、円高進行による創造なき破壊であり、円安進行による創造的破壊は歓迎すべきことなのである。

ここまで、大企業=強者、中小企業=弱者のように書いてきた。しかし、これは、こうした傾向があるということを意味するだけであり、ステレオタイプ的な表現をしただけである。中小企業は、数も多いし、格差も非常に大きい。円安とともに販売価格を引き上げることができる、強くて優秀な企業はたくさん存在する。三村明夫日本商工会議所会頭の『円安について「中小企業の立場ではあまり望ましくない」と述べた。』が指す中小企業は、中小企業全体を代表する声ではない。多数派かもしれないが、生産性の低い中小企業を代表しているだけである。三村明夫氏は、円安反対ではなく、「大企業は円安メリットを中小企業に還元すべきである」、という主張をすべきであった。中小企業にとって必要なことは、円安メリット還元の雰囲気を作り出すことである。

それ以前に、日本経済全体では、株価上昇効果、対外純資産増加効果などを除いた、貿易・サービス収支の改善という狭義の円安メリットは、まだ発生していないのである。それにもかかわらず、大企業だけが、国内で資金移動が発生した結果としてのメリット分を、円安メリットと誤解されて独占すること自体がおかしいのである。2012年11月に円安が発生して以降、日本国内では円安のデメリットが、円安のメリットをずっと上回っているのである。そのため、1ドル100円-105円が望ましいといった、現在値より円高の為替レートを適正レートと見なすような適正レート論は、日本経済全体から見た場合、間違っているのである。

私は、円安メリット論を主張し続けているが、真の目的は、円安誘導よりも、貿易・サービス収支の改善の方である。2012年11月に大胆な金融緩和の予想が発生して以降、円安は発生したが、貿易・サービス収支の改善は発生していない。経済学では、「2012年11月以降の日本が、マーシャル・ラーナーの条件を満たしていない」という言い方をする。しかし、対内、対外資金の流出入を変更させることによって、貿易・サービス収支の改善を実現させることは、可能である。ただし、前回説明したとおり、その場合には、現在よりもいっそうの円安が進行してしまう。超円高によって大きく破壊された日本経済を再生させるためには、円安に伴う痛みを避けて通ることはできないのである。

2012年11月に大胆な金融緩和の予想が発生して以降、理論的には、金融緩和を嫌気して、巨額の資金が海外へ流出するはずであった。ところが、巨額の資金が海外から正反対に流入してきたのである。この結果、日本の金融収支の黒字が消滅し、定義として経常収支の黒字も同時に消滅した。これが、貿易・サービス収支の悪化が発生した、資金面での原因である。

貿易・サービス収支を改善させるためには、経常収支の黒字拡大が必要であり、それと定義のほぼ等しい金融収支の黒字拡大が必要である。金融収支の黒字拡大のためには、機関投資家の投資行動を、無理矢理でも変えさせ、従来は国債で運用してきた資金を、外国証券で運用するようにさせなければならない。日銀が、国債保有残高の増加金額を、現在の年間50兆円から100兆円以上に増やせば、それは可能である。その意味で、追加の大規模金融緩和は、必要不可欠なのである。


(10月3日追記)
円安で中小支援  政府系金融、返済猶予など  経産省要請

経済産業省は3日、政府系金融機関が中小企業に貸し付けている資金について、返済の猶予や条件変更に応じるよう要請したと発表した。足元で急速に円安が進んでおり、原材料やエネルギーの輸入価格が高騰している。小渕優子経産相は同日の閣議後に「(円安は)中小の収益を圧迫している」と記者団に語り、緊急の対応が必要との認識を示した。

(中略)

このほか小渕経産相は2日夜、「円安による原材料・エネルギーコスト増加分」を大企業が仕入れ価格として受け入れるよう要請文書を431団体に出した。今後も要請をつづけ、経団連や各種の業界団体など計745団体に文書を送る。

 さらに10月内にも、メーカーや小売りなど大手企業200社を対象に経産省が価格転嫁の立ち入り検査を始める。これまで実施してきた「消費増税分の転嫁」の検査に加え、エネルギーコストも中小にしわ寄せが集中しないよう配慮する。
                 (10月3日 日本経済新聞)


私が上記のブログ記事を書いたのが9月21日。経済産業省は10月2日になってようやく動き始めた。政府は、誤った円安デメリット論が拡大しないように、円安メリット還元政策を強化してもらいたい。


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論点が分かりずらい

大変失礼な表題ではありますが、一つのご参考意見として述べさせてください。

私は、アダムスミス2世さんが多様な視点から熟慮されていることに加えデータから分析する点で他の経済論者を凌駕している、と考えています。しかしながら、私の読解力が足りないためか、私には各投稿の結論がぼやけて見えてしまいます。各投稿に関し冒頭に簡潔に結論を述べるとともに、論点をしぼっていただけると助かります。

努力いたします

常にわかりやすく書くことを心がけていますが、後日、読み返すと、わかりにくい記事が多いと感じます。今後とも、ご指摘いただいたように、より論点をしぼり、簡潔にわかりやすく表現することを心がけます。ご意見ありがとうございました。
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