人手不足にもかかわらず賃金が上昇しにくい理由

このところ、人手不足の声が、やむことなく聞こえてくる。一方、労働者の賃金の上昇率は、非常に小幅である。消費税増税の影響もあり、実質賃金の上昇率は、マイナスという状況が続いている。ここでは、日本の雇用環境を観察することによって、人手不足にもかかわらず、名目賃金が上昇しにくくなっている構造を明らかにしたいと思う。そして賃金が上昇しにくい構造を解消する政策を、いつものように提示することにする。

まず、日本の生産年齢人口、労働力人口、就業者数、雇用者数を表すグラフを下記に示す。


日本の労働力男女

日本の生産年齢人口は、1997年1月にピークを打ち、その後、低下に向かっている。その割には、労働力人口、就業者数の減り方は鈍い。雇用者数にいたっては、直近が過去最高である。

同じ内容を、性別に見ることにする。最初は、男性のグラフを下記に示す。


日本の労働力男

男性の場合、生産年齢人口ほどには、労働力人口、就業者数、雇用者数は減少してはいない。それでも減少率は比較的高い。

次に、同じ内容の女性のグラフを下記に示す。


日本の労働力女

女性も、生産年齢人口は減少しているが、労働力人口、就業者数、雇用者数は、直近が過去最高である。人口の減少速度を上回る、女性の社会進出が進行しているからである。

次に、2014年3月時点の就業率が、日本が、世界の中で、どれくらいの位置にあるかを表すグラフを下記に示す。


世界就業率男女

上記に掲載している国数は、34ヶ国である。これにユーロ圏、OECD合計などを合わせて38本のグラフを描いている。日本は34ヶ国中で9位である。まだもう少し就業率を引き上げる余地があると思う。

次に、同じ内容の男性だけのグラフを下記に示す。


世界就業率男

34ヶ国中第3位。男性の就業率をここからさらに大きく引き上げることは、難しそうである。

次に、同じ内容の女性だけのグラフを下記に示す。


世界就業率女

34ヶ国中16位。日本の女性は、過去との比較では就業率を大きく引き上げてきたが、世界との比較では、トップとの差がかなり残っている。今後も引き続き上昇することを、期待してもよいであろう。

ここまでは、女性を中心とする新しい労働力が、市場に参入してきたことを示した。生産年齢人口の減少の割には、人手不足が深刻化しなかったという、プラスの意味に捉えることが可能である。

ここから先は、同じ現象が、マイナスの影響をも及ぼしていることを指摘する。

まず、名目賃金の上昇率と失業率の推移を表すグラフを下記に示す。


失業率と賃金

人手不足が叫ばれる中、名目賃金はあまり上昇していない。直近の6月は、前年比+1%であったが、ボーナスの寄与率が高かった。7月と12月のボーナス月以外では、名目賃金の上昇率は、前年比+1%を下回る可能性が高い。賃金が上昇しにくい最大の原因は、失業率が3.7%と高すぎるからである。賃金上昇率、より厳密にはインフレ率が加速化し始める失業率は、NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment インフレ率が加速化しない失業率)と呼ばれている。NAIRUは、おそらく3.5%を少し下回る水準に位置していると思う。

リーマンショック前の好況期は、失業率が3.6%-4.3%くらいの範囲で動いていたが、名目賃金上昇率は、平均するとマイナスであった。

1997年消費税増税前の好況期は、3%-3.5%くらいの失業率が続いていたが、その時の名目賃金上昇率は、+1.5%前後であった。こうした数字から、NAIRUは3.5%を少し下回る位置にある可能性が高い。直近6月の3.7%の失業率は、NAIRUに届いておらず、まだ高すぎるのである。

最近、よく話題となる話は、小幅な名目賃金の上昇や実質賃金の低下ではなく、人手不足の方である。これは事実ではあるが、過去との比較ではそれほど大きなものではない。

このことを示すために、日銀短観の雇用人員判断のグラフを下記に示す。


短観雇用判断

現在の人手不足を否定しないが、バブル期や、第一次オイルショック期の方がはるかに激しかったのである。

次に、有効求人倍率のグラフを下記に示す。


有効求人倍数

このグラフも少し前に掲載したことがある。日銀短観の数字と同じく、有効求人倍率は上昇しているが、バブル期、第一次オイルショック前と比較すれば、たいしたことはない。6月の正社員の有効求人倍率は0.68倍。パートは1.4倍である。企業は低賃金労働を求め、失業者はより賃金の高い正社員を求めている。そして、正社員の職は、相変わらず不足しているのである。

普通は、この有効求人倍率を、さらに職業ごとに細かく分けて観察し、職業ごとの有効求人倍率が大きく異なるために、人手不足が賃金の上昇につながりにくくなっているという説明が、標準的な説明である。この説明に納得できる部分もあるのだが、納得できない部分も多い。私は、標準的な説明とは異なった角度からの説明も可能であると思う。

異なった説明をするため、女性の正規、非正規雇用者の従事者数を表すグラフを下記に示す。

女性の非正規雇用

古い時代と新しい時代とでは、目盛りの期間が異なることを、頭に入れていただきたい。直近において、正規労働者の数が増えている。これは、4月に正規社員が新入社員として雇用が開始されるという季節要因である。ただ、それを除いても増加数は大きい。これは、今年4月から、日本郵政を始めとして、非正規社員の一部を正規化させた企業が存在していたこと、消費勢増税前の景気回復などの要因が、影響していると思われる。非正規社員の減少は、一部の非正規社員の正規化と、駆け込み需要の反動という特殊要因がきいている。

長期で見れば、女性の雇用者が増えているといっても、その全てが非正規社員であったということは、否定しようのない事実である。これは、悲劇としか言いようがない。女性の雇用者が、女性の才能に見合った賃金の高い正規社員の分野で全く増加していない。そして、才能とは無関係の、パートを中心とする非正規で低賃金の雇用ばかりが増加してきたのである。労働力不足が、女性の活用により解消されるということ自体は、本来なら、望ましいはずの現象である。しかし、こうした低賃金労働に従事させられる女性たちの数だけが大幅に増えているという事実が、望ましい現象であるはずがない。

男性の雇用者が増えない中、女性の雇用者は増え続けている。失業者の数は、女性より男性の方が多い。しかし、雇用者になる人は、職を探す失業者、すなわち労働力市場の中から雇用者になるとは限らない。労働力市場外から、直接雇用者になる人も多いはずである。おそらく、男性の雇用者は、失業者という労働力市場の中から雇用者になる割合が高いと思う。一方、非正規雇用者になる女性は、労働力市場外から、直接、非正規雇用者になる割合が高いはずである。このような人たちは、先に示した有効求人倍率にカウントされないのである。この要因を考慮すると、直近の有効求人倍率は、先のグラフで示した数字より低くなる可能性が高い。労働力市場外からの潜在的な参入者をも考慮した場合、パート労働者の有効求人倍率は、1.4倍よりもかなり低いと考えるべきである。

なお、失業率で使う失業者と、有効求人倍率で使う求職者は、定義が異なっている。定義は異なっていても、失業者と求職者は、多くが重なっている。実際、失業率は、有効求人倍率より少し遅れながら、動く方向性は、かなり似た動きをしている。そのため、ここでは、普通に扱われているように、失業者と求職者、失業率と有効求人倍率を、同じようなものとして扱うことにする。

パート労働における人手不足の広がりは間違いない。しかし、同時に、労働力市場外から、女性を中心とする新規の労働者が常に参入してくることにより、人手不足の何割かが解消され続けているはずである。ここに、人手不足の割には賃金が上がらず、失業率も下がらない大きな理由が存在すると考える。仮に、労働力市場外からの新規参入者がなかったとすれば、失業率は低下し、NAIRUを下回り、賃金上昇率は高まっていたはずである。

もちろん、労働力市場外から、女性を中心とする新規の労働者の参入は、人手不足が拡大する前から存在していたので、現在、人手不足が拡大していることは事実である。そして、人手不足の中心は、パート労働者の不足である。しかし、人手不足の尺度を有効求人倍率で見るならば、上昇してはいるが、その絶対水準、特にパート労働者の絶対水準は、公表値より低いのである。問題は、人手不足が発生していることではなく、人手不足の拡大が不十分であり、真の有効求人倍率の上昇が不十分であるため、失業率がNAIRUまで下がらないことなのである。

この問題を解決するためには、賃金の高い労働需要、あるいは正社員の労働需要を拡大させることが必要である。同一労働同一賃金といった規制を導入することには賛成できない。悪平等が広まるだけで、経済成長も豊かさも、もたらさないからだ。重要なことは、賃金の高い産業を創出し、低賃金労働に依存する産業を縮小させることである。加えて、低賃金労働者の賃金水準をより高めることである。そのためには、異次元緩和の第二弾という政策が大変有効である。

異次元緩和は、資本の対外流出の増加ではなく、資本の対内流入の増加を招いた。その結果、必然的に金融収支の黒字が消滅し、定義として、経常収支の黒字もまた同時に消滅した。しかし、日銀が国債購入金額を、年間50兆円から100兆円に増やした場合、環境はがらりと変わる。日銀以外の国内投資家は、保有する国債の残高を、大幅に減らさざるをえなくなるからだ。国債を売らざるをえなくなった国内投資家は、その売却代金の何割かを、外国証券の購入に回さざるをえない。これは金融収支の黒字拡大が発生することを意味する。そして同時に、定義として経常収支の黒字が拡大することをも意味する。経常収支の黒字拡大は、日本においては、貿易収支の改善、すなわち輸出の拡大と輸入の減少を意味する。これは、日本の輸出製造業が復活し、生産を増やすと同時に、雇用を拡大させることをも意味する。円安になっても、輸出は増えないと言う人は多い。そういう人たちは、金融収支と経常収支の定義がほとんど同じであることを、知らない人たちである。

一般論ではあるが、サービス業よりも、製造業の方が、賃金は高く、正規雇用の割合も高い。輸出製造業が復活するにつれて、賃金の高い正規労働者に対する需要が増加し、失業率は低下に向かう。この結果、実際の失業率がNAIRUを下回ると、労働者の名目賃金の上昇率は高まるのである。失業率は低下し、賃金の上昇は加速していく。多くの失業者が、正社員となって事務労働をすることを希望しているが、その希望が満たされる可能性は低い。しかし、そうした失業者の何割かは、工場労働ではあるが、賃金の高い正社員の職が増えたならば、工場労働への就職を選択するはずである。

賃金が上昇し始めると、経営が成り立たなくなる企業が出てくるはずである。そうした企業には、つぶれてもらうことが望ましい。つぶれたくなければ、生産性を上昇させ、賃金を引き上げるしか方法はないのである。生産性を上昇させずに、低賃金労働者の人海戦術で成り立ってきた企業の倒産が広がることこそが、本物の創造的破壊であり、経済成長の原動力となる。超円高の時期は、生産性や成長性の高い輸出製造業が、比較劣位のため次々と崩壊し、創造なき破壊が蔓延し、潜在成長率を大きく引き下げてしまった(*1)。生産性、成長性の高い製造業の復活と、生産性の低い一部のサービス企業の倒産こそが、創造的破壊による経済成長なのである。ただ、これには、いくつかの例外がある。医療、介護といった、ほとんど社会主義的計画経済で成り立っている部門は、経済成長の結果として増加する税収の一部を、この部門で働く労働者の賃上げに回すなどの、特別の措置が必要である。その他、資本主義経済下にあっても、一定の社会的意義のある低生産性部門は、政府の補助などにより維持させることも、少しは必要であろう。また、建設業では、これとはかなり異なるメカニズムが発生していることを、以前説明したことがある(*2)

黒田日銀総裁は、8月23日のジャクソンホールの演説で、パート労働者の増加が過去のデフレの原因になったこと、これからも女性労働力の活用が重要であることを訴えていた。この意見には完全に同意する。しかし、現在の金融政策では、多くの女性をパートの低賃金労働に押し込める間違った現状を、変えることはできないのである。こうした現状を改善するためには、金融政策の現状維持では力不足であり、異次元緩和の第二弾を一日も早く実行することが、必要不可欠なのである。


リンク先記事
労働生産性と潜在成長率の低下(*1)
人手不足による賃金引き上げの必要性(*2)


テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

「労働職市場外から直接雇用者になる」が意味するもの

質問
Econopunk ‏@spritzer_ 一点不明なところがあったので教えていただきたいのですが、「労働市場外から直接(正規または非正規)雇用者となる」とはどういう意味でしょうか。

回答
労働力人口=就業者+失業者、が定義です。仕事をしていなくても、求職活動をしていない人は、労働力市場外、となります。

例えば、それまで仕事をする気のなかった家庭の主婦が、たまたま条件の良い雇用先を見つけて働く気になり、実際に雇用者となった場合、労働力市場外からの直接雇用と言えます。
全記事表示リンク
目次のページを表示

株式関連 株 コメント一覧

  • 投資部門別 現物先物 時系列表

  • 投資部門別売買状況 時系列グラフ

  • 5月第3週 株 コメント

  • 5月第2週 株 コメント

  • 5月第1週 株 コメント

  • 4月第4週 株 コメント

  • 4月第3週 株 コメント

  • 4月第2週 株 コメント

  • 4月第1週 株 コメント

  • 3月第5週 株 コメント

  • 3月第4週 株 コメント

  • 3月第3週 株 コメント

  • 3月第2週 株 コメント

  • 3月第1週 株 コメント

  • 2月第4週 株 コメント

  • 2月第3週 株 コメント

  • 2月第2週 株 コメント

  • 2月第1週 株 コメント

  • 1月第4週 株 コメント

  • 2016年 年間 株 コメント

  • 投資部門別売買状況アノマリー

  • 日本株 株式分布状況調査

  • 日銀資金循環統計 株 長期グラフ

  • 日銀資金循環統計 株 コメント

  • 株式先物投資部門別売買状況

  • 大手証券 先物建玉推移 グラフ

  • 海外投資家の株式買い越し金額

  • 世界の株価 国別 長期推移

  • 最新記事
    カテゴリ
    最新コメント
    Twitterを表示
    経済指標が意味するところを解説
    FC2カウンター
    最新トラックバック
    検索フォーム
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    RSSリンクの表示
    Web Analytics