金融政策と潜在成長率の上昇

「金融政策は潜在成長率を上昇させることができるか」という命題がある。この命題に対しては、大半の経済学者、エコノミストは、「できない」と考えているようである。私は少数派だとは思うが、「できる」と言う立場である。ただし、この答えは、あらゆる時代、場所において正しいかどうかは、検証していないのでわからない。しかし、20世紀の後半から21世紀の前半の日本という時間と場所を限定した場合、「できる」と考える。

日本の場合、あまりにも長期間、金融政策を間違い続けてきた。日本は、1980年代後半に、バブルを膨らませすぎたという点で、金融政策に間違いがあったと思う。しかし、それ以上に大きな金融政策の間違いは、バブル崩壊後の金融政策である。バブルが崩壊した後は、下がりすぎた資産価格を上昇させるため、大規模な金融緩和、量的緩和を速やかに実施することが必要であった。しかし、バブル崩壊後の日本では、資産価格上昇を目指す大規模な金融緩和策は実施されなかった。バブル崩壊後の金融政策については、あまりもの長い期間、大きな間違いを犯し続けてきたと考える。

2007年頃から深刻化し始めたアメリカの住宅バブルの崩壊は、2008年9月にリーマンショックを引き起こし、グリーンスパンをして「100年に1度の信用の津波」と言わしめる大混乱を引き起こした。しかし、住宅バブルの崩壊が明らかになると、アメリカでは急激に金利が引き下げられ、リーマンショック後は金利をゼロに近づけたまま、大規模な量的緩和政策が開始された。その結果、現在、株価は住宅バブルの前の水準をこえ、史上最高値近辺にある。住宅価格はまだ史上最高値には距離があるが、急速に戻しつつある。一方、日本においては、1990年代初頭に始まったバブルが崩壊して、その後、地価は下がり続け、ピークの4割前後となり、株価もピークの4割弱という水準で低迷し続けている。株の場合、バブル崩壊後、海外投資家が、流通市場だけで90兆円近くも日本株を買い越したにもかかわらず、こうした低水準にある。仮に90兆円もの海外投資家の買いがなかった場合、現在の株価は、ずっと安かったことは間違いない。バブル崩壊後25年近く経過しているにもかかわらず、日本はバブル崩壊後から脱していないのである。これは、日本の金融政策が、アメリカを中心とする先進諸国と異なり、長年にわたって間違い続けてきたからである。

1990年代初頭にバブルが崩壊した後、日銀は速やかに金利をゼロ近くに引き下げ、量的緩和を実施すべきであった。私は何度も2013年4月の異次元緩和は20年遅すぎたと繰り返し主張してきた。なぜ1993年4月の時点でゼロ金利プラス大規模量的緩和が実施できなかったのか。1992年8月に株価はピークから63%下落し、昭和恐慌以来の大暴落となっていた。その年、宮崎義一氏の書いた「複合不況」という本がベストセラーとなり、資産価格の暴落が不況の原因になっていることがすでに認識されていた(正しい問題解決策は書かれていなかった)。しかし、暴落する株価や地価を見ながら、金融機関も、大蔵省も、日銀も、下げは一時的であり、そのうち戻る、という楽観的な見方の方が支配的であった。

資産価格の下落の中で、当時の日銀がより警戒していたことは、金利の引き下げの結果としてのバブルの再燃であった。そのため、金利の引き下げは実施したものの、あまりにもスピードが遅すぎたのである。そのため、金利の引き下げ策に効果が発生しなかったのである。資産価格が大きく下落し、ゼロ金利プラス大規模量的緩和が早急に必要とされる環境に入っても、非常に慎重な速度でしか金利を引き下げなかった。金利の引き下げがあまりにも遅すぎただけではなかった。1994年中頃には、景気回復が明らかになったが、依然として資産価格、特に地価は下がり続けていた。にもかかわらず、日銀は、短期金利を少し高めに誘導し始めた。景気回復が明らかになり、インフレとバブルの再燃を警戒したのである。しかし、その後、円高株安が進行し、景気回復は一時挫折しかけた。日銀は金利を再び引き下げた。しかし、日銀は金利の絶対水準が低くなると、もうこれ以上金利の引き下げはできないと決めつけて、金利引き下げを渋った。量的緩和どころか、ゼロ金利の発想もなかったのである。

ただ、これは、日銀だけが異常なわけではなかった。銀行預金の金利の低さに不満を持ち、金利引き下げ反対の声は世間一般にも存在していたからである。1990年代後半から日銀総裁を努めた速水氏は、「金利をこれ以上低下させると、年金生活者が困る」といった発言を繰り返し、金利の引き下げを渋った。その結果、名目GDP成長率は、名目長期国債金利を、ほとんどの期間において下回り続けた(*1)。このことは、国債の発行者から、国債の保有者へと資金を移動させるというデフレ減税を実施していることと同じであった。結果として政府の債務残高は膨れあがる一方であった。今でも日銀は、政府の財政赤字の拡大を批判し続けているが、政府の債務残高がここまで膨張してしまった最大の原因は、日銀による金融緩和の遅れである(*2)。1993年4月に異次元緩和を実施していたならば、財政赤字の金額は、現在よりもはるかに小さくなっていたはずである。

2013年4月に異次元緩和が実施され、ようやく日本でも米英並の本格的な量的緩和政策が始まったが、あまりにも遅すぎた。異次元緩和のような大規模な金融緩和政策が実施されると、国内の投資家は、無リスク資産から株や外国証券などのリスク資産に資金を移すのが普通の行動である。ところが、日本の投資家は、株や外国証券などのリスク資産を大量に売却し、預金などの無リスク資産へと資金を大規模に移したのである。金融緩和に効果がないという見方は、一部は正しい面がある。金融緩和が遅すぎると、その効果はなくなるのである。実際、2013年4月の異次元緩和は、すでに時期が遅すぎであり、効果は少なかった。

効果があるように見えたのは、海外投資家が大量に日本株を買い、保有円資産の円安による目減りリスクを避けるために、円のヘッジ売りを大規模に実施し、結果として円安株高が進行したからである。国内投資家は、日本株を海外投資家に売り渡しながら、外国証券も売り越した。これは、海外から国内への大規模な資金流入を意味していた。その結果、資金流出は、海外投資家が円資産のヘッジ売りを実施するため、円資金を大量に借り入れるための資金流出と、国内企業が直接投資を実施するための資金流出くらいしかなかった。結果として異次元緩和後、ネットの資金流出金額は減少し、金融収支の黒字の減少、すなわち、定義としての経常収支の黒字の減少、月によっては赤字への転落が発生した。金融収支と経常収支の定義は同じではないが、近い金額となるので、ここでは金融収支と経常収支を同じものとして扱う。そして、経常収支の黒字縮小は、貿易収支の赤字拡大を意味する。日本の貿易収支の赤字は、異次元緩和の後、縮小ではなく、拡大に向かった。これは、異次元緩和の実施が20年も遅れたために、効果が発揮できなかったからである。金融収支の黒字拡大と、貿易赤字縮小、黒字への復帰という効果のある金融緩和にするためには、より大規模な金融緩和が必要であった。

海外投資家による日本株買い、円のヘッジ売りの結果、円安株高が発生し、輸出企業を中心に企業収益が急回復した。同時に、公共投資拡大という財政政策も大規模に実施されたため、この財政政策の効果で、昨年後半の日本の実質GDPは上昇し続けた。異次元緩和は必要不可欠であったが、あまりにも遅すぎた。

異次元緩和は1993年4月に実施されるべき政策であった。この時、異次元緩和が実施されていたならば、国内投資家はまだリスク拒否症にかかっていなかったので、余剰資金は、株、土地、外国証券へと向かっていたであろう。この場合、株価と地価は上昇し、銀行の不良債権門題は早期に解決されていたはずである。

また、異次元緩和が20年早かった場合、国内に余った資金が、内外金利差拡大の結果、大規模に海外へと流出し続け、金融収支は大幅な黒字が続いていたはずである。これは、定義として大幅な経常収支の黒字継続をも意味する。その時の円相場は、今よりはるかに円安の水準を維持していたであろう。日本企業は円安メリットで利益を拡大させ、その後、台頭してきたアジア諸国の企業と、互角以上の戦いを続けることができたであろう。電機産業が現在のようにボロボロになることはなかったはずである。日本は世界で突出した経常収支の黒字を維持し、巨額の対外純資産を積み上げていたであろう。この場合、アメリカを中心とした世界の国から、現在でもジャパンバッシングを受け続けていたであろう。

しかし、実際に異次元緩和が開始されたのは、2013年4月からである。この時、日本の国内投資家には、日本株式に対しては、強烈なヒステリシス(*3)ができあがっていた。為替についてはそこまではひどくなかったが、為替リスク拒否症にかかっていた。その結果、異次元緩和の実施により、金融収支の黒字が拡大せず、むしろ縮小し、経常収支の黒字も定義として縮小し、貿易収支の赤字の拡大が発生してしまったのである。

貿易収支が黒字から赤字へと転落し、赤字幅が拡大する場合、日本国内においては、比較優位にない産業から崩壊が始まる。日本は、長年、電気機械、輸送機械、一般機械などの大きな輸出産業が存在していた。従来は、日本企業の中で、この3業種はいずれも強い競争力を保持していた。そのため、電機産業は、日本国内で比較優位にあるとは必ずしも言えなかった。一方、日本周辺の台頭しつつあるアジア諸国の中では、国内で一番比較優位を保持していた産業は、電機産業である国が多かった。こうした環境下で日本の貿易収支が黒字から赤字に転落すると、最初に崩壊する産業は、日本国内で必ずしも比較優位を保持していなかった電機産業とならざるをえないのである。実際に、2011年から、金融収支の黒字は縮小し、定義として経常収支の黒字縮小、そして貿易収支の赤字転落、赤字拡大が発生した。この時、最初に崩壊した産業は、電機産業であった。電機産業は、日本国内で、実質GDPの上昇率、生産性の上昇率が最も高い産業であったが、国内で一番比較優位にはなかったという理由で、一番最初に崩壊してしまったのである。

今後の日本が、金融収支の黒字を拡大させ、その結果として貿易収支の黒字復帰と黒字拡大を実現させ、電機産業が復活する道は、経済的には存在する。しかし、弱体化した日本の電機産業が再び復活し、輸出を拡大させることは簡単ではない。こうした環境下で金融収支の黒字を拡大させると、小幅な円安ではなく、超円安が発生してしまう。超円安が発生すると、日本の電機産業を含むいくつかの製造業が復活し、輸出が拡大し、日本経済は復活を遂げる。しかし、その過程で発生する超円安を、アメリカを中心とする他の先進諸国が、政治的に容認をすることは絶対にありえない。この場合、電機産業の復活は、経済的には可能であるが、政治的には不可能なのである。これは、日本が追加金融緩和を継続し、超円安の進行とともに電機産業の復活を、経済的には実現することができても、政治的には実現できないことを意味する。追加金融緩和は、円安が進行するため、途中で外圧により実施できなくなるのである。この場合、経済成長率が高く、生産性の伸び率も高い電機産業を日本は一部しか復活させることができない。従って、日本の潜在成長率は、少しは上昇させることはできても、大きくは上昇させることはできないのである。

なお、日本において、長年、間違い続けられた政策は、金融政策だけではなかった。日本では、少子高齢化を防ぐ抜本的な対策が長年とられることはなかった。この政策の間違いにより、日本の少子高齢化、人口減少は現状とあまり変わることなく続いていたであろう。この間違いの悪影響は、今後、今以上に大きく顕在化し、日本経済の潜在成長率が低下する大きな要因となり続ける。加えて、中国経済の巨大化に伴う資源価格の上昇、すなわち、交易条件の悪化も続いていたであろう。こうしたことを原因として、日本経済は、正しく金融政策が運営されていた場合でも、少しずつ衰退へと向かっていたはずである。しかし、現状のように速く大きく衰退することはありえなかった。

金融緩和の強化が、潜在成長率の上昇をもたらすメカニズムをもう少し深く説明すると、金融緩和を強化しない場合と比べて、余剰資金の対外流出が拡大して、金融収支の黒字拡大と、定義としての経常収支の黒字拡大が続くことが最大の理由である。これは、電機産業を中心とする輸出製造業の復活が、現実のものとなることを意味する。この場合、電機産業を中心とする生産性が爆発的に上昇してきた産業から、生産性の上昇率の低い、あるいは低下する産業へと、雇用の大規模な移動が発生してきた状況(*4)を、その正反対方向への移動へと再逆転させることが可能になり、生産性を大幅に上昇させる効果をもたらす。加えて、前回指摘したとおり、製造業の復活による超人手不足をきっかけにして、製造業以外の企業もまた、収益の拡大の手段として、賃下げではなく、生産性の上昇をはかるインセンティブを持つようになるからだ。現在は、IT化、ロボット化という技術革新により、生産性の上昇が難しいとされた産業において、生産性の上昇が可能になる範囲が、以前より大きく拡大しつつある。その他、地価や株価といった資産価格の上昇は、潜在成長率の上昇に直接は寄与しないが、安定的な需要の創出という間接的な貢献をすることになる。政策失敗の結果である労働力人口の減少率を、大きく上回る全要素生産性の上昇率が、実現可能になる時代が近づきつつある。金融政策は、そうした技術革新の流れを日本国内に再導入し、可能性を現実のものとする大きな力を保持しているのだ。

金融政策の失敗は、日本の潜在成長率を大きく低下させてきた。しかし、金融政策を最適なものに変えた場合、潜在成長率は再び上昇する。金融緩和はいっそう強化されるべきである。金融緩和の結果としてのインフレとバブルが発生すれば、大規模な増税で封じ込め、財政再建を一気に進めれば良い。金融緩和の強化により、潜在成長率を大きく引き上げることは、経済的に可能であっても、政治的には不可能である。しかし、政治的に許される潜在成長率の引き上げが可能な、ギリギリの範囲まで金融緩和を強化する政策こそが、現在、最も求められている政策なのである。


リンク先記事
名目成長率と名目金利の比較(*1)
財政赤字とデフレの関係(*2)
株式市場のヒステリシス(*3)
雇用の流動化による生産性と成長率の劇的な低下(*4)

テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

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