中国の経済成長と人民元安誘導政策

中国の人民元の推移については、従来も何度か触れてきた。(実質実効為替レートについては(*1)を、購買力平価については(*2)(*3)(*4)を参照)
今回は、実際の人民元の名目為替レートが、対ドルと対円でどのように変化してきたかを見ることにする。1949年の建国以来、中国は、為替制度として、固定相場制か管理変動相場制をずっと採用し続けている。多くの先進国のような変動相場制を採用したことはない。人民元の為替レートは、多かれ少なかれ、国家の管理下にあると言える。
最初に示したグラフを見てわかるように、人民元は、ドルに対しても、円に対しても、大幅に値下がりしている。1960年末-2013年末の間に、人民元は、対ドルで60%値下がりし、対円で88%値下がりしている。人民元/ドルレートが最も大きく値下がりしたのは、1979年末-1994年末であり、人民元レートは、この15年間に対ドルで83%値下がりし、対円でも91%値下がりしている。この期間は、鄧小平が、中国の最高実力者として中国に君臨していた時代とほぼ重なる。鄧小平は、文革を否定し、改革・開放のスローガンの下で、経済成長重視政策を採用してきた。この改革・開放路線は、1989年の天安門事件のため、西側諸国から制裁をくらい、一時的には挫折した。しかし、1990年代中頃から、まずは、香港系、台湾系、その後は、先進国の多国籍企業が、大挙して中国に進出し、経済特区に次々と工場を建てるようになった。この流れは、現在も続いていると言える。
鄧小平の指導下で、様々な改革が行われたはずであるが、大きな効果があったと確実に言うことができる政策は、15年間に人民元レートを、対ドルで83%、対円で91%切り下げるという、極端な人民元安誘導政策である。この人民元の大幅な切り下げにより、中国の労働者の賃金は、諸外国の企業から見て、大幅に引き下げられたように見えた。そのため、メイド・イン・チャイナの製品価格は大幅に低下=価格競争力が大幅に上昇した。その結果、外国の企業を、雇用や技術と共に、大量に中国に導き入れることに成功したのである。高度経済成長が続き、経常収支の黒字が継続した結果、2000年頃から、人民元に対して切り上げの圧力がかかった。しかし、中国政府は、人民元切り上げの圧力を、大量の外貨買い・人民元売り介入を実施することにより、その後の人民元レートの上昇幅を最小限に抑えた。その結果、中国の外貨準備高は、2013年末で3兆8200億ドルとなり、第二位の日本の1兆2668億ドルを、大幅に上回る世界一の外貨準備保有国となった。
現在の中国は、介入の継続により、貿易の拡大を維持しながら、労働者の賃金を大幅に引き上げて、内需拡大をもはかっている。最近は、人民元レートの対ドルでの若干の上昇と、労働賃金の大幅な上昇により、アメリカ系企業の工場が、中国から本国へと回帰する現象が、少しずつ広まっている。しかし、人民元レートは、対円では依然としてかなり安い状態が続いている。ユニクロなどのアパレル産業が、製造委託先の一部を、より賃金の安いベトナムやカンボジア、 バングラデシュへと分散化する動きが見られる。その代わり、安川電気のロボット工場、トヨタのハイブリッド自動車の生産工場など、本来、日本経済を牽引すべきハイテク産業が、続々と工場を中国に移転しつつあり、中国の経済成長に貢献し続けている。
こうして見ると、中国が1979年-1994年の15年間に、人民元レートを、対ドルで83%、対円で91%切り下げた政策が、中国にとてつもない利益をもたらしたことがわかる。中国の高度経済成長に貢献した政策は、他にもあるであろうが、この極端な人民元安誘導政策なしに、ここまで急速な経済成長は実現しなかったはずである。
現在の中国は、経済が成長し続ける中、格差が拡大し、不動産バブルの崩壊の危機にも直面している。将来のことはわからないが、少なくとも現時点までは、人民元安誘導政策をテコにして、高度経済成長を続け、世界第2位の経済大国にまで登りつめた事実を否定することはできない。
中国が高度経済成長を続ける中、先進国で最も経済が停滞していたのは、日本である。日本円は、人民元に対して、依然として円高が継続していることが、大きな要因であろう。中国と同様に、日本もまた、可能な限り円を安く誘導する政策こそが、日本経済に最も必要な成長戦略であるはずだ。
(2014年2月1日 データ更新)