Fed ビュー、BIS ビュー、日本が選択すべき ビュー

「主要国・地域の中央銀行や監督当局で構成する金融安定理事会(FSB)は先週、国際金融システム全体にとって重要な金融機関(G-SIFIs)の破綻時に納税者負担を回避するためのトータルな損失吸収能力に関する規制案で暫定合意に達した。

非公開情報であることを理由に事情に詳しい関係者3人が匿名を条件に語ったところでは、リスク加重資産の16-20%に相当する自己資本および損失吸収可能な劣後債などの証券の確保が2019年までに義務付けられる。」
              (2014年9月26日ブルームバーグ)

日本の3大メガバンクに対する自己資本比率規制の強化が、ほぼ確定した。この内容については、かなり以前から検討が進められていることが報道されてきた。9月14日に、日本経済新聞が、金融安定理事会(FSB)が最終調整に入ると大きく報道していた。それが一段と進み、暫定合意にまで達したようである。なお、ブルームバーグの英語版では、規制の比率を米英が20%、日仏が16%と主張していることが書かれている。

日本人の感覚からすると、大規模な金融緩和を実施し、銀行貸出を拡大しようとしているときに、自己資本比率規制を強化することは、貸出の増加が妨げられるだけの迷惑な規制に見えるであろう。仮にメガバンクが、規制達成のために劣後債の発行を大量に実施することになった場合、大量の劣後債を買うことのできる投資家がいるのか、という問題が発生することも予想される。

しかし、より重要と思われる点は、自己資本比率規制の強化が必要な理由である。上記の記事では、「国際金融システム全体にとって重要な金融機関の破綻時に納税者負担を回避するため」と書いてある。米英は、メガバンクの破綻という事態を想定しているのである。メガバンクは、再び破綻するかもしれない。その場合に、公的資金を注入すると、世論の反発をくらうので、破綻しても納税者の負担を増やさないようにすることが、自己資本比率規制強化の目的である。

この点は、多くの日本人にとっては、違和感のある考え方だと思う。メガバンクの破綻を想定するのではなく、メガバンクが破綻することがないような政策を採用することの方がより重要ではないか、という考え方である。日本のバブル崩壊やリーマンショックの発生前には、資産バブルが発生していた。従って、資産バブルが発生することを回避することがより重要であり、資産バブルが再び発生し、崩壊し、メガバンクが破綻し、その後の納税者の負担を避けるための規制強化というのは、方法論としておかしいのではないかと、多くの日本人は考えるであろう。

こうした日本と米英との違いは、思想の対立である。日本的な考え方は、BISビューという考え方に属する。一方、米英の考え方は、Fedビューという考え方である。Fedビュー、BISビューの定義は、人によって多少異なる。ここでは、Fedビュー、BISビューの資産バブルに対処する考え方の違いという点だけについて、説明することにする。

BISビュー
資産バブルの発生は、事前に防止する必要がある。その具体的な手法は、金融引き締めの強化である。

Fedビュー
資産バブルが悪い現象であるにしても、事前に資産バブルかどうかを見極めることは難しい。金融政策は、失業率の低下などのより重要で明確な目標に対して、優先的に使用されるべきである。金融政策が資産バブルかどうかわからないものに対して使用された場合、コストがかかるので、使用されるべきではない。資産バブルにつながる可能性のある現象が発生した場合、マクロプルーデンス(金融システム全体の安定を確保するための金融規制)の強化で対応すべきである。そして仮に資産バブルが発生して崩壊した場合、徹底的な金融緩和を実施するとともに、崩壊後のダメージをできるだけ少なくするための政策を、事前に準備しておけばよい。

私流の解釈が入っているので、人によっては納得できない点があるかもしれない。それでも大きな間違いはないと思う。

最初に示した米英が提案しているメガバンクに対する規制強化は、その背景に、Fedビューの思想が見えてくる。資産バブル崩壊とメガバンクの破綻を容認し、その時のダメージの最小化をはかるという考え方であるからだ。そのため、BISビュー的な思想を持つ多くの日本人にとっては、納得しづらい規制である。

日本の場合、1980年代後半にバブルが発生し、1990年代初頭にバブルが崩壊し、その後、長年バブル崩壊の後遺症に悩ませられてきた。従って、バブルにつながるような金融緩和政策は、極力避けるべきだと多くの人は考えていると思う。

ここで、日・米・英の株価と地価の長期推移を表すグラフを下記に示す。


日米英 株価

日米英 地価

日本人の中では、アメリカの株価はバブルであり、イギリスの住宅価格はバブルであると決めつける人は多いと思う。しかし、イエレンFRB議長は、アメリカの株価はバブルではないと発言し、カーニーイングランド銀行総裁は、イギリスの住宅価格高騰に警戒感を示してはいるが、バブルではないと発言している。イエレン、カーニー両氏にとっては、バブルの抑制以上に重要な役割が中央銀行にあると考えているのだ。それは、失業率を低下させることである。日・米・英3ヶ国の失業率を表すグラフを下記に示す。

日米英 失業率

米英の失業率は、最近大きく低下してはいるものの、日本よりもまだ水準が高い。特にアメリカでは、職探しを諦めたと思われる人が多くいるため、実際の失業率は統計上の失業率を上回っているとイエレンFRB議長は考えているのである。

日本の場合、金融政策の目標は、物価の安定である。アメリカの場合は、物価の安定に加えて雇用の最大化という目標が法律で定められている。イギリスの場合、物価の安定に加えて、物価の安定を妨げない範囲において、雇用に関する政府の経済政策を支援することが法律で定められている。米英の場合、物価が安定している現時点において、一番重要なことは、失業率をより低下させることなのである。そのため、現時点においては、金融引き締めを急いではいない。資産価格は上昇しているので、マクロプルーデンスの強化により、バブルの進行を抑制することを重視している。そして、不幸にもバブルが崩壊してしまった場合には、その後のダメージを最小化させるために、最初に示したメガバンクの自己資本比率規制の強化を提案しているのである。

日本が平時の状態にある場合なら、私は、BISビューを支持する。しかし、現在の日本は平時ではない。政府債務が大きく膨らみ、財政再建が重要な政策課題になっている。こうした環境下では、BISビュー、Fedビューとも異なる政策を採用すべきと考える。Fedビューとは異なり、事前的なバブルの防止は必要である。しかし、バブル発生の防止を、BISビューのように金融政策で対応すると、金利の上昇というコストが財政の方に発生してしまう。従って、バブル発生の防止を、金融政策ではなく、増税という財政政策によって対応すべきであるというのが、私の考え方である。

米英とは異なって、日本は、バブル崩壊後、バブル崩壊による痛みをやわらげるために、財政出動をあまりにも多用しすぎた。米英は、バブル崩壊後、すみやかに量的緩和政策を実施した。日本では、1990年代初頭にバブルが崩壊した後、意味があるとは思えない小規模な量的緩和政策が、2001年に開始された。しかし、本格的な量的緩和政策は、2013年まで待たなければならなかった。日本の量的緩和政策の開始は、あまりにも遅すぎたのであった。日本の場合、生産年齢人口が減少し、かつ労働者が賃金の引き下げを容認するという環境があったため、失業率はそれほど高くはならなかった。しかし、失業率以外では、大きな打撃を受けた部門がいくつも存在する。その中で最も大きなものとして、政府債務の拡大があると思う。

このブログでは、政府債務の拡大の原因が、モノのデフレ(*1)、地価のデフレ(*2)、株価のデフレ(*3)にあると主張し続けてきた。通説的には、社会保障費の拡大が、財政赤字の原因だと見られている。しかし、団塊の世代が完全に引退し、超少子高齢化がより進行してしまう今後においては、社会保障費の増加が財政赤字の最大の原因になるであろう。しかし、過去においては、社会保障費の増加率はそれほど高くはない。税収が多少なりとも増え続けていた場合、財政赤字の拡大は発生しなかったはずである。財政赤字の拡大は、税収の減少が最大の原因である。そして、税収の減少の原因が、モノと資産のデフレであったのである。

黒田氏が総裁となる以前の日銀は、日銀による国債の購入は、政治家の安易な歳出拡大を招き、金利の急上昇、ハイパーインフレを招くと主張し、大規模な国債の購入を拒否し続けてきた。ところが実際は、日銀が国債の購入を拒否したために、モノと資産のデフレが長引き、税収が大きく減少してしまった。そして、政府がデフレ不況対策として、建設国債の増発による公共投資の拡大という景気対策を、断続的に実施し続けた。その結果、政府債務が異常なレベルまで拡大してしまった。長年にわたる日銀による国債の購入拒否が、金利の急上昇とハイパーインフレが発生する可能性を劇的に高めてしまったのである。日本では、BISビューのような金融引き締め政策は、あまり行われてこなかった。しかし、金融緩和の不足という、結果としては、ずっと厳しいバブル発生防止策につながる政策が、長年続けられてきた。そのため、バブル崩壊からの立ち直りに時間がかかりすぎた。さらには、バブル再発の防止には成功したが、日本経済をデフレ不況でガタガタにしてしまった。バブル再発の防止は必要な政策であるが、その対価として、あまりにも高すぎるコストがかかっていることに気がつくことができなかったのである。

私は、アメリカの株価、イギリスの住宅価格が実現できるくらいまで金融緩和を徹底的に強化すべき、と考えている。現在の日本の株価、地価は、米英を基準にした場合、あまりにも安すぎるのは明白である。資産価格が少しでも米英に近づくことができるまで、日本は金融緩和を繰り返し続けるべきである。

現在、日本の株価は上昇中である。しかし、1991年から24年間続く、株価上昇局面での海外投資家買いvs国内投資家売りという構図は変わっていない。その累積金額は、89兆円にまで及んでいる。国内投資家買いvs海外投資家売りという、ある意味では正常な構図を作ることにより、累積で89兆円も売り越してしまった日本株の何割かを買い戻す必要がある。バブル発生防止のためのキャピタルゲイン課税を、海外投資家に対して実施することが不可能であるからだ。まず始めに、キャピタルゲイン課税を実施することのできない30%強の海外投資家による日本株保有比率を、引き下げることから始める必要がある。過去24年間、国内投資家の資金は、対外投資を除けば、リスク資産から無リスク資産への移動というグレート・ローテーションを続けてきた。バブル再発の懸念もあって、こうした動きは問題とは見なされてこなかった。

日銀による国債購入金額を、現在の年間50兆円から、100兆円、200兆円と引き上げ続ければ、国債を売却した機関投資家の資金の何割かが日本株へと回ってくるはずである。グレート・ローテーションの方向を、1日も早く逆転させなければならない。方向を逆転させ、海外投資家による日本株保有比率を、目に見えるほど引き下げる必要がある。これは、海外投資家に安値で大量に売却した株を、高値で大量に買い戻すわけであるから、本当は実に馬鹿げたことなのである。私が、異次元緩和の実施が20年遅すぎたため、あまりにも多くのものを失ってしまい、取り戻すことができなくなってしまったと何度も非難してきた具体的な例の1つが、日本株という日本の大切な財産を、安値で89兆円も海外投資家に売り渡してしまったことである。それでも、さらなる損失の拡大をくい止めるためには、1日も早く買い戻すしか方法がないのである。その後も資産価格が上昇し続けた場合、そのキャピタルゲイン(株と土地)、売買(土地)、保有(土地)、に対する税率を大幅に引き上げることによって、資産価格の上昇を防ぐべきである。その増税分を財政再建に回すのである。

財政政策は、金融政策とは効果が共通する面がある。従って、バブルだけではなく、同時に発生するモノのインフレに対しても、増税という財政政策で封じ込めることが可能である。しかし、効果が完全に一致しているわけではない。金融引き締め政策ではなく、バブル発生を増税で封じ込めようとした場合、さまざまな歪みが発生することも予想できる。仮に、歪みの少ない理想的な増税案ができあがったとしても、その増税案が国会で成立するとは限らない。バブル発生防止のための増税は、口で言うほど簡単なことではない。

しかし、財政再建のためには、歳出削減だけでは不可能であり、増税は多くの人が必要と考えている政策である。そして、普通は、その増税が、消費税の増税であることが当然視されている。しかし、消費税の増税というのは、少なくとも短期間は、経済に非常に大きな悪影響があることは、2度の増税で証明済みである。超少子高齢化、人口減少、潜在成長率低下という重すぎる荷物を背負う将来の日本経済が、消費税増税の痛みに簡単に耐えられるとは思えない。従って、通常の政策では財政再建はもはや不可能であり、ハイパーインフレを起こすしかないという意見も出ている。私は、消費税増税とハイパーインフレの間に、資産バブルが発生するくらいの徹底的な金融緩和と、資産バブルを封じ込める大規模な増税の組み合わせという道が残されていると思う。この道も、安易な道ではないが、問題の発生が一番少ない道だと考える。

日本人が改めるべき考え方は、バブルは絶対悪という考え方である。米英は、バブルの発生と崩壊よりも、目の前の失業率の低下を優先させている。こうした政策の背後にある、Fedビューという考え方の理解を広げる必要がある。Fedビューと対立するBISビューは、日本の伝統的な考え方に近い。しかし、BISビューでは財政再建はできない。資産価格の上昇が定着すれば、金融引き締めではなく、バブル発生防止のための増税を実施すべきである。この場合、資産バブルの拡大を抑制し、崩壊を防ぐと同時に、税収が増大することにより、政府債務の削減に貢献することができる。バブル抑制のための増税策は、今から準備を始めるべきである。現在予定されている増税策は、実施が少し怪しくなった消費税の再増税だけである。そのため、さらなる金融緩和はバブルの再発をもたらすだけだ、出口戦略で金利が急上昇するという、反リフレ派の反対意見を封じ込めることができないのである。資産バブルを抑制する増税策の検討は、早急に始めなければならない。そして同時に、一刻も早くより大規模な追加金融緩和を実施することは、必要不可欠なのである。


リンク先記事
財政赤字とデフレの関係(*1)
地価の下落がもたらす財政破綻とその回避策(*2)
株価によって決定される国の税収(*3)



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ジャンル : 政治・経済

交易条件悪化論と中小企業損失論をこえた円安メリット論

前回、円安メリット論を詳しく説明した。今回は、その続編であり、前回、言及することができなかった、円安をデメリットとみなす交易条件悪化論と、円安進行の結果、中小企業に発生する損失について説明することにする。

その前に、現在の円安が、いったいどの程度の円安であるかを、長期的な視点から見たグラフを下記に示す。


名目実効レート

実質実効レート

上記の2つのグラフは、今までに何度か掲載したことがあるグラフを更新しただけのものである。名目実効為替レートで見ると、スイスフラン、そして僅差で円が高い。実質実効為替レートで見ると、円が依然として断トツに高い。円は、特に韓国ウォンや中国人民元に対して割高である。なお、韓国ウォンは1964年5月の平価切り下げが過大に評価されており、実際にはグラフの線は上方に移動させる必要がある。一方、中国人民元は、1994年以前を米ドル・人民元レートだけから算出された実質為替レートで代用させている。この場合、日本の超円高・米ドル安が反映されていないので、実際にはグラフの線を下方に移動させる必要がある。

実質実効為替レートは、あくまでも為替レートの水準を判断する際の、1つの目安であるにすぎない。為替レートの水準を判断するためには、もっと多角的な視点から見る必要がある。しかし、実質実効為替レートという観点だけから見た場合、円は韓国ウォン、中国人民元と比較した場合、依然として超円高である。同じアジアにあるシンガポールドル、台湾ドル、香港ドルと比較しても相当な超円高である。実質実効為替レートという観点からだけであることを割り引いたとしても、ここまで極端な超円高・アジア通貨安は、是正させる必要がある。直近においては、円安が進行している。しかし、現時点においても、このような超円高・アジア通貨安という構造は、ほとんど変わっていないという事実を認識しておく必要がある。

前回触れられなかった問題として、円高と交易条件の関係がある。円の名目実効為替レートと交易条件との関係を表すグラフを下記に示す。


交易条件と為替

交易条件は、輸出物価/輸入物価で定義される。交易条件の悪化は、日本経済の成長率を引き下げる効果がある。交易条件悪化論を述べると長くなるので、ここでは、円高と交易条件との関係だけに限定したことを述べることにする。

上記のグラフを一見した限りでは、円高が交易条件の悪化をもたらすように見える。実際、円高と交易条件の悪化の間には、弱いながらも負の相関関係が存在する。ところが実際は、この弱い負の相関関係は、単なる偶然にすぎない。実際の因果関係は、円高→交易条件の改善、であるのだ。仮に、現在でも1ドル=360円が続いていたと仮定する。その場合、輸入するエネルギーや食料品の価格は、円建てで見たとき、今よりももっと高くなっていたはずである。円高が進行した結果、より安い現在の価格で購入することができるのである。円高は交易条件の改善をもたらしてくれる。このため、円高=交易条件改善、円安=交易条件悪化という立場から、円高メリット論、円安デメリット論を主張する声が、一部に根強く存在する。

しかし、円高による交易条件の改善効果は、前回、詳しく説明した消費者が享受する円高メリットと同種のものである。すなわち、円高が永遠に続くのであれば、交易条件の改善メリットを永遠に享受し続けることができる。しかし、永遠の円高進行はありえない。円高が長期間継続した場合、日本経済の供給サイドが崩壊してしまう。その次に発生することは、超円安しかありえない。超円安は、必ず交易条件を大幅に悪化させる。従って、円高による交易条件改善のメリットは、消費者が受ける輸入品価格低下のメリットと同様に、一時的なメリットである。この一時的でしかない交易条件改善効果を根拠にして、円高メリット論、円安デメリット論を述べることは、完全に間違っている。

1番最初のグラフで示したのであるが、わかりにくいので具体的な数字で示すと、中国は、1979年-1994年の15年間に、人民元レートを、対米ドルで83%下落させた。対円での下落率を計算すると、91%であった。この15年間にわたる超人民元安誘導政策の結果、交易条件の具体的な悪化率はわからない。しかし、最近の日本と比較した場合、はるかに大きな悪化率であったはずである。そして、長期間にわたる交易条件の大幅な悪化の最中と、その後に発生したことは、経済の崩壊ではなく、高度経済成長であった。中国以上に通貨価値が下落した国は、他にもたくさんある。しかし、為替レートが交易条件との関係で問題になるのは、「名目」ではなく「実質」の方なのである。中国の場合、2番目のグラフで示したように、実質実効為替レートがズバ抜けて下落している。中国は、交易条件の悪化にもかかわらず、高度経済成長を実現させたのである。長期的な実質GDP成長率を最大化させるためには、交易条件の悪化を覚悟してでも、通貨安が続く方がはるかに望ましいのである。

次に、円安メリットの数値化について説明する。円安メリットを数値化することは、非常に困難である。ここでは、一番近いものとして、貿易・サービス収支の改善を使うことにする。貿易・サービス収支の中には、為替レートと無関係に変動する部分が数多く存在する。円安進行の結果発生した株式時価総額の上昇効果が、200兆円以上存在していることや、対外純資産が円安要因で昨年1年間に80兆円増加した効果も無視している。円安メリットの数値化は、正確にいうと、不可能である。様々な問題を内包した、乱暴ともいえる言い換えしかできない。それでも、直近における狭義の円安メリットは、貿易・サービス収支の改善と言い換えるのが、一番正解に近いと考える。従って、ここでは、円安メリットが、貿易・サービス収支の改善を意味するものと見なす。

貿易・サービス収支と円の名目実効為替レートの関係を表すグラフを下記に示す。


貿易収支と為替

アベノミクス相場と呼ばれる円安が開始されたのは、2012年11月からである。その後、急速な円安が進行するが、貿易・サービス収支はやや悪化の傾向を示している。直近は改善傾向が見えるが、これは、円安というよりも、消費税増税により日本の需要全体が縮小した結果、輸入が減少した要因が大きい。

間違いないことは、アベノミクス相場が始まって以降、貿易・サービス収支は、改善ではなく、悪化の方向に進んでいることである。これは、2012年11月の円安発生以降、日本は貿易・サービス収支改善というメリットを享受したのではなく、貿易・サービス収支悪化というデメリットを受けているのである。円安発生後、日本の損失は拡大しているのである。

トヨタを筆頭とする輸出大企業は、巨額の円安メリットを享受し、企業収益を大幅に拡大させてきた。ところが、日本経済全体では、損失が利益を上回っている。これは、輸出大企業の収益が、新しく発生したのではなく、単に、輸入企業や消費者からの移転にすぎないことを意味している。従って、この観点から見た場合、日本経済全体では、円安発生後、損失が拡大しているのである。

『確かに輸出が多い大手自動車メーカーなどでは、1円の円安が100億円単位の収益改善につながる企業もある。みずほ銀行産業調査部が昨年まとめた試算では、10円円安になると、営業利益は上場企業全体で約1兆9千億円増える。
 
一方、中小が多い非上場企業では約1兆2千億円減るという。輸入原材料価格が上昇するなど負の影響が大きいからだ。日本商工会議所の三村明夫会頭は記者会見で、円安について「中小企業の立場ではあまり望ましくない」と述べた。』
                                    (9月15日 朝日新聞)

上記の記事では、円安進行により、大企業では利益が出るものの、中小企業では損失の方が大きいということが書かれている。数字については、正しいかどうかわからない。しかし、この朝日新聞の記事には、重大な欠陥が存在する。消費者が輸入品価格の上昇によって受けた損失が考慮されていないことである。ものすごく単純化した場合、現在の日本では、下記の式が成立しているのである。

大企業の利益<(中小企業の損失+消費者の受けた損失)

現時点においては、円安進行の結果、円安進行前よりも間違いなく損失が拡大している。理由は、貿易・サービス収支が改善しているのではなく、悪化しているからである。

それでは、円安進行が、日本経済に損失を与えたかというと、それは間違いである。前回も書いたとおり、2012年11月以降の円安進行がなければ、大手電機企業に倒産が発生し、自動車企業はよりいっそう大規模な空洞化を推し進めていたはずであるからだ。その結果、貿易・サービス収支の赤字金額は、現在よりももっと拡大し、発生した損失はより大きくなっていたはずである。

貿易・サービス統計の最新月である2014年7月と比較する対象が、2012年11月が対象の場合、2014年7月の方が損失は拡大している。比較対象が、1ドル=80円が継続していたと仮定する場合の2014年7月であるならば、円安が進行している2014年7月の方が、損失は小さくなっているのである。

円安が進行しても、貿易・サービス収支が改善するまでは、日本経済全体では、以前と比べた場合、利益よりも損失の方が大きい。必要な政策は、貿易・サービス収支の赤字を、2012年11月時点よりも縮小させ、収支が改善するように誘導する政策である。

一つ述べておきたいのは、円高進行の結果、貿易・サービス収支が悪化し、日本企業が受ける損失は、避けなければならない損失である。超円高が進行していた間、輸出大企業は、構造改革と称して、大規模な工場閉鎖や人員削減を実施してきた。中小企業もこの影響を受け、倒産件数が拡大した。こうした損失は、日本にとって全く利益をもたらさない損失であった。だから、私は、円高は創造なき破壊を日本にもたらすだけだと批判し続けてきた。

一方、円安進行の結果、中小企業では損失が発生し、倒産する企業が増えるかもしれない。現実の市場は、完全競争からはほど遠く、価格の設定に当たっては、大手メーカー、大手流通企業が支配しているケースが多い。過去の円高局面で、中小企業は、販売価格の値下げを強要されてきた。そして円安が進行すると、販売価格の値上げを中小企業が要求しても、大企業は一部しか応じないケースがしばしば見られる。従って、中小企業の中には、輸入原材料の価格が上昇するだけで、販売価格は上昇せず、損失が拡大する企業も存在する。この結果、円高がデメリットであった中小企業が、円安でもまたデメリットを感じるのである。

このような場合、特に悪質な場合があれば、下請法やその他の法律を駆使して、大企業の不当な利益獲得を許さないようにすべきである。また、大企業の円安メリットの還元を、賃金上昇だけではなく、取引先の中小企業にも回すべきという雰囲気を作り出す必要がある。上場している大企業が、円安により獲得した利益を配当に回す場合、その30%以上が海外の株主へと流出してしまうからだ。

円安のメリットを、法律の厳格な運用や、大企業から中小企業にも環流させる雰囲気を作ることは必要である。しかし、法の運用や雰囲気作りだけでは、円安メリットを中小企業に十分還元させるまでは至らないと思う。この場合、生産性の低い中小企業には、倒産してもらうしかない。円安進行の結果、生産性の低い中小企業が倒産した場合、大企業は調達先を失う。海外からの調達を考えても、円安によりコストが上昇しているので、メリットが見えない。従って、海外の企業ではなく、日本の中小企業の中で、より生産性の高い企業へと調達先を変えるケースが多くなるであろう。これによって、生産能力が、生産性の低い企業から、高い企業へと移転する。この場合に発生する倒産は、創造的破壊をもたらす倒産であり、日本経済成長の原動力となる。

円安進行が、現在のように中小企業にデメリットをもたらす場合でも、円安進行そのものを止めてはいけない。中小企業にとって望ましい法の運用や雰囲気作りまでは必要である。しかし、それ以上のことは不要である。円安による倒産が増えることは、創造的破壊であり、日本経済全体が生産性を上昇させるチャンス到来なのである。避けなければならないことは、円高進行による創造なき破壊であり、円安進行による創造的破壊は歓迎すべきことなのである。

ここまで、大企業=強者、中小企業=弱者のように書いてきた。しかし、これは、こうした傾向があるということを意味するだけであり、ステレオタイプ的な表現をしただけである。中小企業は、数も多いし、格差も非常に大きい。円安とともに販売価格を引き上げることができる、強くて優秀な企業はたくさん存在する。三村明夫日本商工会議所会頭の『円安について「中小企業の立場ではあまり望ましくない」と述べた。』が指す中小企業は、中小企業全体を代表する声ではない。多数派かもしれないが、生産性の低い中小企業を代表しているだけである。三村明夫氏は、円安反対ではなく、「大企業は円安メリットを中小企業に還元すべきである」、という主張をすべきであった。中小企業にとって必要なことは、円安メリット還元の雰囲気を作り出すことである。

それ以前に、日本経済全体では、株価上昇効果、対外純資産増加効果などを除いた、貿易・サービス収支の改善という狭義の円安メリットは、まだ発生していないのである。それにもかかわらず、大企業だけが、国内で資金移動が発生した結果としてのメリット分を、円安メリットと誤解されて独占すること自体がおかしいのである。2012年11月に円安が発生して以降、日本国内では円安のデメリットが、円安のメリットをずっと上回っているのである。そのため、1ドル100円-105円が望ましいといった、現在値より円高の為替レートを適正レートと見なすような適正レート論は、日本経済全体から見た場合、間違っているのである。

私は、円安メリット論を主張し続けているが、真の目的は、円安誘導よりも、貿易・サービス収支の改善の方である。2012年11月に大胆な金融緩和の予想が発生して以降、円安は発生したが、貿易・サービス収支の改善は発生していない。経済学では、「2012年11月以降の日本が、マーシャル・ラーナーの条件を満たしていない」という言い方をする。しかし、対内、対外資金の流出入を変更させることによって、貿易・サービス収支の改善を実現させることは、可能である。ただし、前回説明したとおり、その場合には、現在よりもいっそうの円安が進行してしまう。超円高によって大きく破壊された日本経済を再生させるためには、円安に伴う痛みを避けて通ることはできないのである。

2012年11月に大胆な金融緩和の予想が発生して以降、理論的には、金融緩和を嫌気して、巨額の資金が海外へ流出するはずであった。ところが、巨額の資金が海外から正反対に流入してきたのである。この結果、日本の金融収支の黒字が消滅し、定義として経常収支の黒字も同時に消滅した。これが、貿易・サービス収支の悪化が発生した、資金面での原因である。

貿易・サービス収支を改善させるためには、経常収支の黒字拡大が必要であり、それと定義のほぼ等しい金融収支の黒字拡大が必要である。金融収支の黒字拡大のためには、機関投資家の投資行動を、無理矢理でも変えさせ、従来は国債で運用してきた資金を、外国証券で運用するようにさせなければならない。日銀が、国債保有残高の増加金額を、現在の年間50兆円から100兆円以上に増やせば、それは可能である。その意味で、追加の大規模金融緩和は、必要不可欠なのである。


(10月3日追記)
円安で中小支援  政府系金融、返済猶予など  経産省要請

経済産業省は3日、政府系金融機関が中小企業に貸し付けている資金について、返済の猶予や条件変更に応じるよう要請したと発表した。足元で急速に円安が進んでおり、原材料やエネルギーの輸入価格が高騰している。小渕優子経産相は同日の閣議後に「(円安は)中小の収益を圧迫している」と記者団に語り、緊急の対応が必要との認識を示した。

(中略)

このほか小渕経産相は2日夜、「円安による原材料・エネルギーコスト増加分」を大企業が仕入れ価格として受け入れるよう要請文書を431団体に出した。今後も要請をつづけ、経団連や各種の業界団体など計745団体に文書を送る。

 さらに10月内にも、メーカーや小売りなど大手企業200社を対象に経産省が価格転嫁の立ち入り検査を始める。これまで実施してきた「消費増税分の転嫁」の検査に加え、エネルギーコストも中小にしわ寄せが集中しないよう配慮する。
                 (10月3日 日本経済新聞)


私が上記のブログ記事を書いたのが9月21日。経済産業省は10月2日になってようやく動き始めた。政府は、誤った円安デメリット論が拡大しないように、円安メリット還元政策を強化してもらいたい。

テーマ : 経済
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これ以上の円安は本当にメリットか

2012円11月以降、円安が進行し、直近では、円レートが戻り安値を更新している。しかし、輸出の増加が、ごくわずかしか発生していない。その結果、円安進行の開始の後、貿易収支の赤字金額は拡大した。これは、多くの人たちが予想していたことを裏切る結果であった。このため、円安にはもはやメリットはない。これ以上円安が進行すれば、コスト高を招き、日本経済に悪い影響を及ぼすだけだ、という声が日増しに強くなっている。今回は、現時点で、円安により輸出はあまり増えていないが、それでも円安のメリットは大きく、円高のデメリットは大きいことに変わりがないことを説明する。

最近は、円の適正レート論、例えば、円レートは95円から105円の間が望ましい、などの見解がよく示される。この場合の「適正」の定義は、「インフレなき完全雇用」を意味するケースが多いようである。しかし、私の考え方では、「適正」とは「長期的な実質GDP成長率の最大化」である。私と同様な考え方を持つ人もいるはずであり、「適正」の定義はあいまいである。定義のあいまいな問題に対して、論理的に正しく反論することは不可能なので、適正レート論に対しては反論しない。

円安メリットを説明するために、実際にはほとんど発生する可能性のない極端なことが発生するという2つの場合を、例として取り上げる。すなわち、円レートが1ドル=100円の時に、ヘッジファンドが円を猛烈に買い、1ドル=10円に上昇させ、そのレートを持続させ、10年後に反対売買により、1ドル=100円に戻るという仮定をする。もう1つは、ヘッジファンドが円を猛烈に売り、1ドル=1000円に下落させ、そのレートを持続させ、10年後に反対売買により、1ドル=100円に戻るという仮定をする。この超円高シナリオと、超円安シナリオで発生する現象の差を考えるのである、1ドル=80円や1ドル=120円の場合でも、同じ内容のことが起こる。ただ、小幅な円安や円高を例にすると、現実的ではあるが、メリット、デメリットの規模が小さすぎて、わかりにくくなってしまう。事の本質をわかりやすくするために、あえて、極端で現実離れしているが、わかりやすい例を設定する。なお、スタート時点において、これ以外のGDP、貿易収支、経常収支、対外純資産などは、現在の日本と同じ状況にあると仮定する。

(例1)1ドル=10円が10年間続いた場合
この場合、日本経済に何が起こるであろうか。ドルの価値が10分の1になるわけであるから、輸入品の価格は10分の1になる。100%輸入に依存しているガソリン価格は、税金や流通コストなどがかかるために、10分の1にはならないが、単純化のために10分の1になると仮定し、それ以外も同様と仮定する。輸入している食料の価格も10分の1になる。安くなるのはそれだけではない。自動車もテレビも、いわゆる「貿易財」の価格は、すべて10分の1になるのである。輸入品だけではなく、従来、国内向けに生産されていた貿易財は、すべて輸入品にとって替わられ、すべての価格が10分の1になるのである。すべての貿易財の価格が10分の1になることは、消費者や輸入業者の立場からすると、大変大きなメリットである。

しかし、立ち位置を変えると全く異なることになる。生産者の立場に立った場合、外国のライバル企業の製品価格が、10分の1になるのである。貿易財の国内生産では、輸出製造業だけではなく、国内市場向けの貿易財生産業もまた、外国のライバル企業の輸入製品に勝てなくなる。貿易財を生産する日本企業は、日本の国内工場、研究開発施設をすべて閉鎖し、海外に移転するしか生き残る道はなくなる。おそらく、本社も海外に移転する企業が続出するであろう。日本に残る施設は、貿易財を生産するメーカーの販売拠点くらいである。それ以外のものを海外に移転しなければ、「倒産」しかありえないからである。貿易可能な工業製品の国内生産は、ほとんどなくなると考えてよいと思う。それだけではない。現在、米の関税率は、778%である。ドルの為替レートが10分の1になれば、海外の米の価格は10分の1となり、778%の関税をかけても、国内産の米よりも安くなる。すなわち、米は、オーストラリア、アメリカなどからの輸入品にほとんどとって替わられるのである。魚沼産コシヒカリなどのブランド米だけは、ごく少量生き残る可能性はある。その他の農産物でも同じ現象が発生するはずだ。

国内の貿易財生産業は、ほとんど全滅に近くなる。国内に残る大半の産業は、非貿易財、サービス産業だけになる。つまり、販売拠点を除く貿易財生産企業の国内部門が、ほとんど消滅してしまう。同時に、多くの失業者が発生することになる。この場合、経常収支はどうなるであろうか。現在の日本においては、足元の経常収支はゼロに近く、貿易収支は赤字が恒常化している。この貿易収支の赤字水準は、貿易財産業の全滅によって、大幅に拡大することは間違いない。当然、経常収支の赤字も急拡大する。これが10年も続き、累積すると、対外債務が大幅に増えることは間違いない。

現在の日本は、対外純債権を325兆円保有する、世界最大の対外純債権国である。しかし、日本の債権の大半は外貨建てで、債務の大半は円貨建てである。この場合、超円高が発生すると、巨額の為替差損が発生し、対外純債務国に転落する。これは、大変大きなマイナスである。しかし、10年後に為替レートが元に戻ることを仮定しているので、このマイナスが長続きするとは限らない。従って、このマイナスは無視する。

ただし、対外純債務国に転落したからには、最初は外貨建ての債権の取り崩しで対応するであろうが、途中からは、ドル建てで借金をして、輸入代金を支払っていくしかない。毎年、巨額の経常収支の赤字が発生する場合、10年後の対外純債務は、それなりに大きな金額になるであろう。しかも、その債務のほとんどが、ドル建てである。超円高発生時に、対外純債権国から対外純債務国に転落した日本は、10年後には、それなりに大きなドル建ての対外純債務を保有する国家へと変貌することは、間違いない。

最初に、10年後に1ドル=10円から1ドル=100円に戻ると仮定している。その場合、対外ポジションはどう変化するのであろうか。ドル建てで見たときは不変であるが、円建てで見たとき、対外純債務が10倍になるのである。借金が膨らみすぎるため、日本は借金を返済する必要性が生じる。一方、国内の輸出産業は壊滅してしまっているために、輸出は少しずつしか増えない。そのため、巨額の対外純債務を保有する日本は、借金の利払いすらできなくなる。この結果、円レートは、1ドル=10円から1ドル=100円までの下落で止まることはありえない。その後も、際限なく円は売られ続けることは間違いない。仮に、円が1ドル=1000円まで売られたと仮定する。この場合、1ドル=10円の時から、それなりに大きな金額であった対外純債務は、円安進行だけで、円建ての対外純債務金額は100倍になるのである。これは、とてつもなく大きな円安のデメリットである。こういう時には、超円高がメリットであるため、何としても円高に誘導したいが、円高ではなく、円安方向に動いてしまうのである。

10年後に、為替レートが1ドル=1000円にまで暴落する場合、すべての輸入品の価格は100倍になる。工業製品、農産物、エネルギーのすべての価格が100倍になる。輸出産業、貿易財生産業が10年前に全滅し、新規に借金を増やすこともできないので、急騰した輸入品を買うことができなくなる。この場合、まずは、食料を大増産する必要が生じる。10年前に破棄された農地を再び農地に戻すだけではなく、それよりも広い新規の農地をつくらなければならない。困難ではあるが、やり遂げなければ、餓死者が増える。エネルギーも高価すぎて輸入できなくなる。自然エネルギー以外では、とっくの昔に閉鎖した北海道と九州の炭鉱に再び穴を掘り、石炭を使うくらいしか方法がなくなる。しかし、穴を掘る掘削機械を輸入することもできない。手持ちの機械、あるいは人力を使って穴を掘り、採掘するしかない。

この時、非貿易財、サービス産業だけで維持してきたGDPは、間違いなく大きく低下する。輸入が完全に止まったならば、食料、エネルギーなどの供給が停止し、生活していけなくなる。それまで従事していた非貿易財・サービス産業から、農業や石炭採掘業などに多くの人材を移すしかなくなる。超円高下でも繁栄し続けていた非貿易財・サービス産業の何割かをつぶし、輸入必需品の代替品の生産を始めなければならないからだ。状況としては、第二次世界大戦終了直後の状況に戻るであろう。外国から食料もエネルギーも買うことができなくなるのである。国民の多くは、GDPが減って生活が苦しくなるだけではなく、飢えにも苦しむことになるであろう。

加えて、日本は巨額の対外純債務を保有しているのである。借金の利息すら支払えない。おそらく、日本はIMFの管理下におかれ、借金と利息の一部は帳消しにしてもらうことはできるかもしれない。それでもなお巨額の対外純債務は残る。そのため、食料、エネルギーの自給を達成した後、輸出製造業を復活させ、輸出を増やしても、輸出代金の大半を借金の返済に回すことになる。第二次世界大戦直後は、戦後補償などの潜在的な債務は存在していたが、現在のような意味での対外債務はほとんど存在していなかった。しかし、今回は膨大な対外純債務が存在する。非常に長い時間をかけてでも返済し続けなければならないのである。この場合、将来の日本人の生活水準、具体的には1人当たりのGDPは、現在よりもはるかに低い状況が続くであろう。

ただ、第二次世界大戦直後との最大の違いは、超円高で海外に移住、移転していた日本人、日本企業が、円高が解消されると、その何割かがカネと技術を携えて日本に戻ってきてくれるであろう。こうした日本人、日本企業の貢献により、超円高のために全滅してしまった日本経済の貿易財生産部門は、少しずつ再生していくであろう。それでも巨額の対外純債務を返済するには、気の遠くなる年月が必要になることに変わりはない。

(例2)1ドル=1000円が10年間続いた場合
この場合、(例1)と同じような説明が可能である。しかし、もう一度説明すると、説明が長くなってしまう。従って、ここでは、重要な論点だけに絞った短い説明にする。

この場合は、ガソリンや輸入食料の価格が10倍になるということが最大の問題点である。しかし、すべての輸入品価格が10倍になることはない。1ドル=1000円になったら、速やかに輸入品から国産品へと代替される工業製品が、何割か存在するからである。それでも、1ドル=100円から1ドル=1000円に急落する過程で、消費者や輸入業者は、大変大きな痛みを感じることは間違いない。しかし、その痛みは、1年目だけである。2年目以降の輸入品価格は同じである。一方、超円安の結果として輸出が増加し、GDPも増加し始める。GDPの増加と並行して賃金も必ず上昇する。GDPないしは所得が、毎年増加し続ければ、輸入品価格上昇による実質所得がマイナスであったのが、プラスへと変化する。すなわち、痛みは、GDPの上昇とともに消失するのである。ただ、輸入品販売に特化していた企業は、何割かが倒産するであろう。

なお、電力多消費型製造業の倒産は増えるであろう。しかし、この原因は、円安ではなく、福島原発の事故である。超円安発生だけの場合、ドル建てのコストは変わらず、電気代という観点からの国際競争力に変化はない。しかし、原発停止による電気代上昇は、電力多消費型製造業の国際競争力の低下を招く。電力多消費型製造業の経営者から見ると、原発事故の後、ずっとコスト高に苦しんできたのである。それが、超円安の進行により、コストがさらに増えるので、何としても円安を阻止したいと感じる。感じるかもしれないが、本当の原因は、円安ではなく、原発停止による電気代上昇なのである。

10年後には、1ドル=100円に戻るというのが最初に設けた仮定である。このとき、GDPや経常収支の黒字は増大しているが、大幅に増大するような力は、現在の日本には存在していない。生産年齢人口の減少スピードが止まらないからである。従って、そこからさらに1ドル=10円にまで円高が進行することはありえない。1ドル=100円前後か、それより若干円高方向で落ち着く可能性が高い。経済の供給サイドのうち、貿易財生産業は、10年後に為替レートが元に戻る際に、円高進行を原因として、その一部が破壊される。しかし、その前の10年間に、より多くの貿易財生産業が創造されていたはずであり、一部破壊後も、10年前の水準を上回っているはずである。

そして少なくとも、(例1)の超円高が10年続いた場合のように、日本の供給サイドのうち、貿易財生産業が全滅することはありえない。(例1)の超円高シナリオよりも、(例2)の超円安シナリオの方が、10年目以降の日本人の所得は、はるかに高いはずである。また、(例2)の超円安シナリオにおいては、(例1)の超円高シナリオのように、巨額の対外純債務を持つことも絶対にありえない。(例2)の超円安シナリオにおける対外ポジションは、2013年末の325兆円の対外純債権を上回っているはずである。

極端な超円高シナリオと、極端な超円安シナリオを比較すると、極端な超円安シナリオが圧倒的に有利な結果で終わるのである。超円高シナリオの場合、消費者、輸入業者の立場に立てば、輸入品だけではなく、貿易財全体の価格低下という大きなメリットを享受することができる。永遠に円高を続けることが可能であるならば、私も円高メリット論を断固として支持する。残念ながら、永遠の円高が続くことは絶対にありえない。円高が、大幅かつ長期間続けば続くほど、その後に発生する円安は極端に大きなものとなる。そして、その場合の超円安は、メリットではなく、とてつもなく大きなデメリットをもたらすのである。

円安がメリットをもたらす条件は、(A)対外純資産を保有していること、(B)強い経済の供給サイドを保持していること、である。少し前の日本はこの(A)(B)の条件を両方とも備えていた。そのため、必ず円安はメリットであった。しかし、リーマンショック後の超円高の間、日本経済の供給サイドは大きく破壊され、回復困難な大打撃を受けたのである。そのため、(B)の強い経済の供給サイドの保持という条件が、現在ではあやしくなったのである。その結果、現在の日本経済は、(A)の対外純資産を保有しているというストック面からのメリットは大きいのであるが、(B)のフロー面のメリットが、目に見えないくらい小さなものとなってしまっているのである。

だからといって円高を望むことは完全に間違っている。円高は、弱体化した供給サイドをますます弱体化させ、(例1)で示したように、ある時点から急激な円安が必然的に発生する。その時は、(A)(B)の条件が両方失われており、円安がとてつもなく大きなデメリットをもたらすのである。

現在、円安にもかかわらず、輸出が伸びない、メリットがない、ガソリン価格が値上がりして苦しくなっただけであると、日本人および日本企業の何割かが感じ始めている。しかし、輸出が伸びない原因が円安であるというのは、とんでもなく間違った考え方である。輸出が伸びない最大の原因は、リーマンショック後の超円高で、日本経済の供給サイドが大きく破壊されてしまった結果なのである。1ドル=80円が現在も続いていたと仮定する。この場合、大手電機メーカーの何社かは、倒産に追い込まれていたであろう。自動車メーカーは、工場のより本格的な海外移転を計画し、実行に移し続けていたであろう。その場合、貿易収支の赤字金額は、今よりも、もっと大きくなっていたはずである。超円高が是正されたため、1ドル=80円が続いた場合よりも、貿易収支の赤字金額は小さくなっているのである。残念ながら、この円安による貿易収支改善効果は、目には見えないのである。

繰り返すが、現在、多くの人が円安のデメリットを感じるようになった原因は、日本経済の供給サイドが弱体化したことの結果である。従って、必要な政策は、経済の供給サイドを再生させることである。円安のメリットを感じやすい経済、以前の強い日本経済の供給サイドを復活させなければならないのである。先に円安がメリットをもたらす条件は、(A)対外純資産を保有していること、(B)強い経済の供給サイドを保持していること、と書いた。この2つの条件を欠いている国は、世界には多数存在する。トルコを中心とした「フラジャイル5」が、少し前に有名になった。よりわかりやすい例は、ギリシャである。最近、ギリシャ関連の報道は減少したが、ギリシャ経済の悲惨さは凄まじい。日本はかつての経済大国の地位から転落し、ギリシャへの道を歩みつつある。これは大変危険な道である。かつての経済大国への道に引き返さなければならない。

過去の超円高によって大きく破壊された日本経済の供給サイドを再生させる方法は、存在している。追加の異次元緩和を繰り返すことにより、日本国内の余剰資金を海外に流出させることである。異次元緩和の年間国債購入金額50兆円はあまりにも少なすぎ、海外からの資本流入を招いてしまった。金融収支の黒字が消失し、ほぼ定義として、経常収支の黒字の消失をも招いた。しかし、国債の購入金額を少なくとも年間100兆円、それでも足りなければもっと引き上げれば、国内資金の対外流出、金融収支の黒字拡大、そして定義としての経常収支の黒字拡大が発生する。経常収支の黒字拡大が続けば、次には、貿易収支が黒字に復帰し、貿易収支の黒字拡大となる。

追加金融緩和の最大の目的は、円安誘導ではない。最大の目的は、金融収支の黒字拡大であり、それとほぼ定義が等しい経常収支の黒字拡大である。しかし、大規模な追加金融緩和を実施した場合、どうしても円安が付随して発生してしまう。そして、円安進行のレベルは、過去の超円高により大きく破壊された国内経済の供給サイドが、復活できるまでの時間の長さによって決定される。国内の供給サイドの復活に時間がかかる場合、1ドル=200円といった超円安が発生する。そして輸出が少し増える中、輸入が大きく減少し、貿易収支の黒字拡大が発生する。この場合、消費者、輸入業者の痛みは非常に大きなものとなる。輸入業者の倒産が相次ぐであろう。一方、国内の供給サイドの復活が早ければ、1ドル=
120円程度の円安で止まり、輸入より輸出が大幅に拡大することによって、貿易収支の黒字復帰、黒字拡大が実現する。この場合でも、消費者、輸入業者は一時的には痛みを感じるが、それほど大きなものにはならない。「もう円安で輸出は拡大しない」という人は、国際収支の定義を知らない人たちである。

「これ以上の円安はデメリットが多い」という認識は完全に間違っている。円高が進行した場合、輸出産業の崩壊が拡大するため、その後は必ず円安に戻り、その時には、大きな円安デメリッットを受けざるをえなくなるからだ。輸出が増えない理由は、リーマンショック後の超円高により、日本経済の供給サイドが大きく弱体化してしまった結果である。日本経済の供給サイドを復活させる方法は、金融収支の黒字を大幅に拡大させることである。その結果、定義として、経常収支の黒字が大幅に拡大し、必然的に貿易収支の黒字復帰、黒字拡大が発生する。ただ、その途中で必ず円安が発生する。日本経済の供給サイドを再生させるためには、円安が必ず付随して発生し、場合によっては、超円安となり、輸入インフレという大きな痛みは避けられない。痛みを避けることはできないが、その先に、経済成長と所得の拡大が必ず発生し、痛みは消えていく。こうした経済成長と所得拡大を実現させるために、最初に必要な政策として、追加の大規模金融緩和を繰り返し実施することが、必要不可欠なのである。


テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

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