経常収支赤字の問題点

日本の経常収支は、第二次オイルショック時に一時的に赤字になったが、1981年からずっと黒字が続いている。しかし、2013暦年では3.2兆円、2013年度では0.8兆円とわずかな黒字へと減少している。月次ベースでは赤字の月も多くなった。

私の考え方は、経常赤字=悪であり、輸出を輸入以上に伸ばすことにより、貿易収支、経常収支の改善をはかることが重要というものである。今までも、すべてそうした観点から意見を述べてきた。一方、最近よく聞かれることが増えた考え方として、次のようなものがある。経常赤字は企業の赤字とは全く意味が異なる、経常赤字を気にする必要は全くない、経常赤字=悪と見なす考え方自体が根本的に間違った考え方である、というものである。私はこの考え方を全面的には否定しない。しかし、21世紀の日本という時代と場所を限定した場合、経常赤字=悪であり、経常収支の黒字復帰に向けて努力すべきである、と考えている。

貿易というものは、それ自体が、貿易相手国同士に利益をもたらすものである。経常赤字が絶対に嫌ならば、日本は鎖国をすればよい。しかし、その場合、日本人の生活水準が大きく下がってしまうことは、間違いない。従って、経常収支が赤字の場合でも、貿易それ自体からは、常に利益が発生しているのである。そうした貿易の利益が存在することを大前提としながら、経常赤字が追加してもたらす利益と不利益について考えたいと思う。

まず、歴史的な事実を見ることにする。1981年から2013年までの世界各国の実質GDP成長率と経常収支の対名目GDP比率の年平均をとり、その2つの数字の相関関係を表すグラフを下記に示す。


GDPと経常収支世界

実質GDP成長率と経常収支の対名目GDP比率の間にはほんの少しの負の相関がある。しかし、決定係数が0.0114と非常に低いので、これは無相関と理解すべきである。

次に、1956年から2013年までの日本の実質GDP成長率と経常収支の対名目GDP比率の相関関係を表すグラフを下記に示す。


GDPと経常収支日本

戦後の高度成長期から直近に至るまでの実質GDP成長率と経常収支の対名目GDP比率には、弱いながらも負の相関が存在する。これは、経常収支の赤字が拡大するほど、実質GDP成長率が低下するのではなく、上昇しやすい傾向があるように見える。しかし、この解釈は正しくない。

日本の場合、実質GDP成長率と経常収支の対名目GDP比率の間に弱い負の相関関係があることは事実である。しかしその理由は、高度成長期に、高い実質GDP成長率と低水準の経常収支、バブル崩壊以降は、低い実質GDP成長率と高水準の経常黒字、という組み合わせがあったため、全期を通してみると、実質GDP成長率が低下すると、経常収支の対名目GDP比率が高まるように見えてしまうだけであるからだ。

私の考え方は、経常赤字すべてを十把一絡げで扱うのではなく、経常赤字の原因を見ながら、経済成長にプラスに働く経常赤字、マイナスに働く経常赤字に分けるという考え方である。つまり、経常赤字には、良い経常赤字と悪い経常赤字が存在する、と考える。当然、良い悪いに区別が不可能な経常赤字も存在する。先に書いたとおり、21世紀の日本という時代と場所を限定した場合、経常収支の赤字は経済にマイナスの影響を与え、経常赤字=悪であると考える。

経常収支の赤字が、日本に決定的というほど良い影響を及ぼしたケースが過去には存在した。より長く明治までさかのぼって日本経済の歴史を見ると、1905年という年に、経常収支の赤字額が急激に増大していたことに気がつく。輸出金額と経常赤字の金額がほぼ等しいという、とてつもなく大きな経常赤字を記録していた。これは、日露戦争の時期であり、当時の日本は、外国から大量の借金をして、外国から武器や弾薬を輸入していた。その結果、必然的に貿易収支、経常収支の赤字は急激に拡大する。この時の巨額の経常赤字は、日本という国家の存続のためには絶対に必要な経常赤字であった。当時の大国ロシアと戦争をして勝つためには、外国から借金をしてでも大量の武器や弾薬を買うことが最低限必要な条件であった。ここで経常赤字=悪と決めつけて、経常収支の黒字を維持していたならば、戦争に敗北し、この時点で日本はロシアの植民地になっていた可能性が高い。1905年の経常収支の赤字急増は、経済的な利益以前に、日本という国家が存続し発展するために、欠かすことができない絶対に必要な巨額の経常赤字であったのである。

ちなみに、第二次世界大戦の時期には、同様な経常赤字の急激な拡大は見られなかった。日本に金を貸して、同時に武器や弾薬を売ってくれるような国が、地球上に存在しなかったからである。仮に、そのような国が第二次世界大戦時に地球上に存在していたとしたならば、日本は武器や弾薬を大量に輸入しながら経常収支の赤字を大幅に拡大させ、戦争に負けることもなかったという仮説を立てることもできる。第二次世界大戦は、日露戦争と違って、経常赤字を拡大させることができなかったために戦争に負けた、という言い方は変な言い方であるが、間違いではないと思われる。

日露戦争の例は、わかりやすいが、特殊な例である。高度成長期の日本や、現在、高度経済成長を実現しているいくつかの国では、その国の経済成長に必要な資金を外国から借り入れることが、プラスの利益になる局面がしばしば存在する。外国からの借金を増やす=金融収支の赤字を増やす=経常収支の赤字を増やす、はほぼ同意義である。高度成長期の日本も、世界銀行から金を借り入れ、高速道路や新幹線、発電所などを建設してきた。こうしたインフラを短期間に整備することが可能になったのは、世界銀行からの借り入れ=金融収支の赤字拡大=経常収支の赤字拡大、があったからこそ可能になったのである。現在、高度経済成長を実現している発展途上国も、インフラなどを整備するために外国から資金を借り入れている。日本もそうした途上国に対して、世界銀行やアジア開発銀行を通したり、あるいはJICA(国際協力機構)を通して、ODAの形で資金を贈与したり低利で貸し出したりしている。有償の貸し出しは、民間の銀行も行っている。今年から経常収支の定義が少し変わったので、新旧双方の定義で正しく表現すると、有償の資金援助、すなわち市場金利を大きく下回る低金利で資金の借り入れを受けた場合、あるいは外国の金融機関からその国の成長に必要な資金を借り入れた場合、借り入れた国の経常収支は赤字になりやすい。しかし、経常赤字を通して経済成長の基盤が作られ、経済成長や輸出拡大を通して、将来的には借金の返済が可能になる。この場合の経常赤字は、良い経常赤字であるはずだ。

しかし、すべての経常赤字が良い経常赤字にはならない。当然、悪い経常赤字も存在する。悪い経常赤字は、借り手が借り入れた資金を、外国からモノを輸入して消費に回してしまうケースが多い。投資に回す場合でも、投資自体が成功せず、生産を十分に増やすことができなくなり、借金返済のメドが立たなくなる場合は、悪い経常赤字となる。こうした場合には、経常収支の赤字が何年も累積し、対外債務が一方的に増え続ける。そしてある時点まで到達すると、借金返済ができなくなり、通貨危機が発生する。そして、IMFの管理下に置かれ、痛い手術を受けさせられる。最近では、ユーロ圏に属するギリシャ、アイルランド、ポルトガル、キプロスがこのような形でIMFの管理下に置かれた。また、1997年には、韓国、タイ、インドネシアで通貨危機が発生し、IMFの管理下に入った。こうした通貨危機は、経常収支の赤字が継続し、対外純債務が拡大した場合、発生するケースが多い。対外純債務が拡大しても、IMFの管理下に入らない国も存在する。債務が大きくても、きちんと管理可能であれば、通貨危機は発生しない。その例として、オーストラリアとニュージーランドをあげることができる。しかし、両国といえども、現在の経常赤字が継続し、対外純債務がさらに拡大した場合、将来の通貨危機の発生を完全に否定することはできない。繰り返すが、国家がIMFの管理下に置かれる最大の原因は、対外純債務の拡大であり、対外純債務の拡大の大半の原因は、経常赤字の累積である。こうした国々における経常赤字は、「悪」以外の何物でもないのである。

日本の場合、通貨危機を原因としてIMFの管理下に置かれたことはない。その理由は、高度成長期の日本では、経済成長に必要な資金を外国から借り入れたことはあったが、借金を増やし過ぎないように経常収支の赤字拡大を阻止する政策が厳格に実施されてきたからである。高度成長期においては、景気回復が続くと消費や投資が活発になり、まだ経済の供給サイドが強くなかった頃は、輸入が増加し、貿易収支ないしは経常収支が赤字化したのである。そうなると日銀が公定歩合を引き上げ、景気の過熱を抑え、同時に経常収支の赤字拡大を阻止した。こうした金融政策が繰り返し実施されたために、日本は経常収支の赤字が累積することなく、高度経済成長を実現することが可能になったのである。高度成長期において、当時の日銀には、「悪い経常赤字」が見えていたのである。「悪い経常赤字」の拡大阻止を最優先にした金融引き締め政策が厳格に実施され、当時の景気循環を形成していた。1960年代後半から日本経済の供給サイドは強化され、好景気が続いても、経常収支が赤字化することはなくなった。

では、2013年の終わり頃から発生し始めた経常赤字についてはどうであろうか。この赤字は、「悪い経常赤字」と考えるべきだと思う。

直近の経常赤字の原因は、通説的には日本企業の国際競争力が低下したこと、日本企業の工場が海外に移転してしまったことが原因とされる。日本周辺の賃金の低いアジア諸国が経済発展した結果、日本という国の立地競争力が低下したというものであろう。私の考え方は、日本という国の立地競争力が低下した原因を、日本周辺のアジア諸国が極端な自国通貨安誘導政策を続け、日本が超円高を放置したということをより強調する点が、通説とは異なっている。ただ、どちらの立場を取ったとしても、原因は日本製の製品の競争力低下である。

現在の経常赤字が今後も定着するかどうかはわからない。日本の供給サイドが大きく弱体化したことは間違いないが、2012年11月からの円安転換以降、競争力を回復しつつある業界もいくつか存在するからだ。円安効果の結果として、経常収支が黒字に復帰できる可能性は残されているので、経常赤字の定着を断言するのは現時点では早すぎる。しかしながら、より長い目で見た場合、日本の経常収支は、構造的な赤字へと転落する可能性が非常に高い。

これからの日本では、超少子高齢化、人口減少が進行する。日本全体の貯蓄が減少し、消費が伸びるという、すでにずっと前から進行し続けている現象を止めることは不可能である。マクロ的には、消費が増え続けて需要が強まったとしても、生産年齢人口の減少による労働力不足から供給不足が発生し、その差を輸入で埋めるしかなくなる。この場合、輸入超過が続き、経常収支は構造的な赤字となる可能性が高い。一時的ではなく、長期にわたって黒字復帰が困難であるため、この経常赤字は、悪い経常赤字である。現時点では日本が保有する対外純資産は世界最大ではあるが、毎年、経常赤字の拡大が続けば、いずれは対外純債務国へ転落し、対外純債務が増え続けることになる。為替レートは、こうした構造的な赤字を十分に調整する機能を持っていない。経常収支は為替レートの決定要因の一つであるが、全てではないため、ある程度の調整機能があるとしても、「十分に」調整する機能はない。しかし、対外純債務がある一定限度をこえて大きくなった場合には、為替レートは調整機能を必ず発揮し、超円安が発生することは100%間違いない。供給サイドが衰退してしまった日本では、超円安が発生しても外国から高い価格でモノを買い続ける必要があるが、その時は必要な外貨を誰も貸してくれなくなる。IMFの管理下で痛い手術を受けるしかなくなる。

遠い将来のこととはいえ、IMFの管理下での構造改革を強いられた場合の日本人の痛みは、想像を絶する痛みとなるであろう。供給サイドが崩壊しているため、経常収支を黒字化して借金返済をするためには、生活水準を大幅に引き下げるしかない。老人大国化して新しい環境への適応力が低下したその時の日本は、非常に大きな痛みに苦しむことになる。現在のギリシャ以上の悲惨な目にあうことは十分に考えられる。

私の基本的な認識の根底には、超少子高齢化、人口減少社会の中で、長期的には、日本経済の衰退は避けることはできないという悲観的な見通しが存在する。だが、衰退を先延ばしすることは可能である。すなわち、超少子高齢化、人口減少が本格化する前に、少しでも経常黒字と対外純資産を積み上げ、衰退時期をできるだけ先延ばしにするという考え方である。この場合、十分衰退してIMFの管理下に入る前に、予想もしなかったイノベーションが日本で発生するかもしれず、それによって日本経済の衰退を止めることが可能になるかもしれない。こうした予想もできない幸運が発生する確率を高めるには、日本経済の衰退時期をできるだけ先にまで伸ばすことが必要である。

超少子高齢化、人口減少を止める手段として、移民という選択肢がある。しかし、移民には、様々な社会的、政治的なコストが存在する。移民は一つの有力な選択肢であり、問題の一部を解決できる手段にはなりうるが、問題の全部を解決する手段にはなりえない。将来、移民問題が、日本の世論が真っ二つに分かれる大問題になることまでは予想できるが、その先はよくわからない。

最後はいつもと同じ結論になる。現在の日本における経常赤字は、悪い経常赤字である。経常収支の黒字をできるだけ長く維持する必要がある。その具体的な方法は、日銀による国債購入金額を大幅に拡大し、日本国内の余剰資金を大量に海外に流出させることである。余剰資金の海外流出拡大=金融収支の黒字拡大=経常収支の黒字拡大が、ほぼ定義として成り立つ。インフレやバブルが発生すれば、増税で封じ込め、財政再建を一気に進めれば良い。資金の海外流出拡大に伴う円安を通して、エネルギーや食料品の価格が上昇し、一時的には大きな痛みを伴うことも避けられない。海外からも政治的な非難を浴びることも間違いない。そうした痛みや非難にも耐えて、現在の経常収支の黒字を拡大させることは、我々の子や孫のために必要不可欠な政策なのである。


追記 2014年6月3日
上記の記事は2014年5月28日に公開。一方、2014年6月3日日本経済新聞17面大機小機に、横風というペンネームの人が「良い経常赤字と悪い経常赤字」という表題で、上記の内容と比較的似た小文を掲載している。

「良い経常赤字」、「悪い経常赤字」は、私の創作のつもりであったが、ネットで検索してみると、この用語は以前からも少しは使われていたようだ。この考え方は、ごく一部の限られた人たちの間では、当然の考え方であったのであろう。



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アジア諸国の経済成長と為替政策

4月29日に、世界銀行が、国際比較プログラム(ICP)という作業の中で実施していた新しい購買力平価を発表した。ICPについては、以前説明したことがある(*1)。今回は、第8回目であり、2011年基準の購買力平価が発表されたのである。

この時、新しい購買力平価の発表よりも、中国の購買力平価ベースGDP《GDP(PPP)と記す》が、今年、アメリカを抜いて世界一になるということが、より大きく報道された。これは推計ベースであるのだが、その推計を示すグラフを下記に示す。


購買力平価ベースGDP

世界銀行の購買力平価は、米ドルを基準としているので、アメリカのGDPは購買力平価ベースであろうとなかろうと、数値は一つしか存在しない。一方、アメリカ以外の国のGDP(PPP)は、数年に一度行われる調査のたびに、いくらか変動する。上記のグラフで示したとおり、中国、インド、ドイツのGDP(PPP)を、新しい購買力平価に基づいて計算すると、従来の購買力平価に基づいたGDP(PPP)が上方修正されたのである。日本は、ごくわずかであるが、下方修正であった。そして、中国の2014年のGDP(PPP)は、アメリカを上回ると推計されるのである。

従来のIMFは、世界銀行のICPで得られた2005年の購買力平価を使い、2006年以降は、独自の購買力平価換算用デフレーターを作ってGDP(PPP)を計算し、2014年以降の予測値も出していた。2005年基準の購買力平価に基づく予測値では、中国のGDP(PPP)は2019年にアメリカを追い抜くと予測していた。それが、2011年基準の新しい購買力平価を算出してみると、人民元の購買力平価は、旧基準の購買力平価よりも、17.1%低くなることが確認できた。そこで、新しい2011年のGDP(PPP)と、旧基準での購買力平価換算用デフレーターを使って2014年の予測値を計算すると、上記のグラフのようになる。2014年の中国のGDP(PPP)は、アメリカのGDP(PPP)をほんのわずかだが上回ることになる。ただし、この差は112億ドル、2014年の中国のGDP(PPP)のわずか0.6%と非常に小さい。加えて、2014年のGDPは実現値ではなく、IMFによる予測値である。確かなことは、2015年の春に2014年のGDPの実現値が出るまでわからない。しかし、米中の経済成長率格差はかなり大きいので、2015年の中国のGDP(PPP)が、アメリカのGDP(PPP)を上回る可能性は高いと思う。

私は、GDP(PPP)だけではなく、新しい2011年基準の購買力平価にも大きな関心を持っている。為替レートの水準を判断する絶対的な評価尺度というものは存在しない。購買力平価それ自体も、為替レートの水準を評価する尺度になりえない。絶対的な評価尺度が存在しないために、通貨問題というものが常に発生し続けるのである。しかし、購買力平価をうまく使うことにより、為替レートの水準を判断する参照値にすることは可能である。

その為替レートの水準を判断する参照値になりうる2011年基準の購買力平価が改訂され、発表されたのである。従来の2005年基準の数値と、かなり大きな変動が見られた。そこで主要な先進諸国とアジア諸国の2011年基準の2005年基準に対する修正率を下記の表に示す。


2011年PPP修正率

表にはないが、最大の上方修正は、バルバドスというカリブ海に浮かぶ小国であり、修正率は+57.9%にも及んだ。上方修正の国の数は、下方修正の国の数よりずっと少なく、バルバドスと同様のカリブ海の小国が多い。最大の下方修正は、ジンバブエであり、-59.5%であった。しかし、前回の調査が行われた2005年のジンバブエは、ハイパーインフレが始まっており、精度の高い購買力平価を算出できるような環境にはなかったと思う。しかし、それ以外にもアジア、アフリカではかなり大きな下方修正がなされた国がいくつも存在している。上記の表の中でも、インドネシアの-45.8%という数値は、想定をこえていた。一方、先進国の中では、あまり大きな修正はない。最も大きく修正された先進国は、シンガポールの-17.1%、欧米ではノルウェーの-14.6%である。生活水準だけではなく、生活様式の異なる国々の購買力平価を算出するには、技術的な困難が大きいのは、やむを得ない。購買力平価、特に発展途上国の購買力平価には、こうした大きめの誤差が含まれることがあるので、そのことを頭に入れて使用するようにしなければならない。

次に、先進諸国の2011年基準の購買力平価と、2005年基準のIMFによる購買力平価換算用デフレーターを用いて、主要先進国通貨の購買力平価に対する割高・割安度合いを米ドル=100にして表すグラフを下記に示す。


先進国PPP

日本は、1995年前後は超円高であり、2011年頃も比較的円高であったが、2013年には円安進行の結果、ほぼ適切といってもよいレートに位置している。ノルウェー、スイス、オーストラリアといった国々よりはかなり円安ではある。一方、アメリカ、ドイツとの比較では、ほんの少しだけ円高である。2013年の数値は、少し前までは計算値、確定値であったが、基準変更が行われた現在では推計値、参考値であり、今後発表される確定値とは異なる。しかし、2005年基準と2011年基準の間で発生したほど大きな差が生じる可能性は低い。

次に、日本周辺の主要アジア諸国の2011年基準の購買力平価と、2005年基準のIMFによる購買力平価換算用デフレーターを用いて、主要アジア諸国通貨の購買力平価に対する割高・割安度合いを米ドル=100にして表すグラフを下記に示す。


アジア諸国PPP

先進諸国と同様に、推計値であり、確定値とは少し異なるであろうが、大きくは異ならない。購買力平価に対する割高・割安度合いを見ると、日本以外は、いずれの通貨も割安である。購買力平価に対するアジア諸国の通貨が割安だからといって、アジア諸国の通貨価値が安すぎると判断することは、大変大きな誤りであり、絶対に避けなければならないことである。生活水準の低い発展途上国の通貨価値は、購買力平価よりも、割安になるという傾向があるからだ。しかし、生活水準が上昇するにつれて、アジア諸国の通貨価値は、対ドルで上昇し続けることが自然な姿なのである。実際、1980年-1995年の円の価値は上昇し続けていた。これは、バラッサ=サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)と呼ばれている。上記の国の一人当たりGDP(PPP)で見ると、シンガポール、香港、台湾は日本よりも高く、日本より豊かな国である。にもかかわらず、購買力平価に対する通貨価値は、日本が割高なのに対して、この3ヶ国の通貨は大幅な割安である。シンガポール、香港、台湾の3ヶ国の通貨価値は、非常に不自然であり、安すぎると判断せざるをえない。それ以外の国々も、現在は日本よりも貧しいが、日本を大幅に上回る経済成長を遂げている。しかし、購買力平価に対する通貨価値は、日本と異なって上昇していない。そして、いずれの国も巨額の外貨準備を抱えている。上記のグラフの韓国からタイまでの国は、外貨準備の対GDP比率が日本よりも高い。

このことが意味するところは、日本周辺のアジア諸国は、本来、経済成長と並行して、円のように購買力平価に対する通貨価値の割安度合いが年々小さくならなければならないのである。ところが、日本周辺のアジア諸国は、大規模な介入により、通貨価値の上昇を防いできた。これは大規模な為替操作と決めつけざるをえない。なお、購買力平価が2005年基準から2011年基準に変わることにより、日本と韓国以外の通貨の割安度合いを示す上記のグラフの線は、以前に比べて、かなり大きく下方へと移動した。今後も修正はあるであろうが、2011年以前の線の傾きが大きくなることは、永久にありえない。

こうした日本周辺のアジア諸国は、そろって大規模な為替操作により、自国の通貨価値を安く誘導し、工業製品の価格を安く維持し、先進国に対する輸出を大幅に増やし、経済成長を遂げてきたのであった。先進諸国は多かれ少なかれこうした国々による為替操作の被害国である。最も大きな被害を受けたのは、距離的に近く、アジア諸国と貿易量の多い日本であった。為替操作の被害は、操作した国に近い国が、最も大きな被害を受ける。従って、こうした為替操作は、近隣窮乏化政策と呼ばれる。日本は日本周辺のアジア諸国が、長年そろって近隣窮乏化政策をとったため、その結果、日本は見事に窮乏化してしまった。今や、工業製品の多くは日本周辺のアジア諸国で生産され、日本は輸出大国から輸入大国に転落し、巨額の貿易赤字を抱えることになった。

日本周辺のアジア諸国が近隣窮乏化政策を始めたのは、1997年のアジア通貨危機の後からである。外貨準備の少なさが通貨危機発生の一つの原因であったため、通貨危機の再発を防ぐため、日本周辺のアジア諸国の政府、中央銀行は、外貨準備を増やすために、大規模な為替介入を繰り返したのであった。大規模な為替介入を繰り返したため、日本周辺のアジア諸国は、日本とは異なって、経済成長の中で、自国通貨価値の上昇が発生しなかった。割安な為替レートを維持しながら、日本を中心とする先進国への輸出を増やし、高度経済成長を実現したのであった。中国だけは為替操作の歴史はもう少し古く、改革、開放政策を始めた直後の1980年以降である。上記のグラフで示した人民元の購買力平価に対する割高、割安度合いの数値は、1980年100.7→1994年28.6→2013年56.8となっている。中国は、改革、開放政策を始めた頃は、生活水準を考慮すると、人民元レートは割高な状態にあった。それ以降、改革、開放政策を進めながら、人民元の通貨価値を極端に切り下げ、外貨建てで見た中国の労働者の賃金を大きく引き下げたのである。その結果、1990年代半ばになって、中国の労働者の低賃金が注目され、世界の多国籍企業が続々と中国に工場を建設し始めた。そして中国は、日本を押しのけて、世界の工場となったのである。アジア諸国の労働者の低賃金は、経済の発展段階が低いことだけが原因ではない。国家による大規模な為替操作の結果でもあるのだ。

2012年11月以降、超円高は是正に向かった。にもかかわらず、日本の貿易赤字は増えるばかりである。これは、一度円高で製造業をつぶしてしまうと、再び以前の円安水準に戻ったとしても、製造業は元の状態には戻らないからである。2000年頃から、産業の空洞化が大規模化し、日本国内の工場は次々と閉鎖され、アジア諸国へと移転していった。しかし、工場を完全に閉鎖してしまうと、製造技術が失われ、円安に戻ったとしても、新しい工場を建てることができなくなる。日本は、日本周辺のアジア諸国がそろって実施した近隣窮乏化政策を認識することができず、日本の製造業を次々と破壊し、その多くを再生不能にしてしまったのである。

現在の日本に最低限必要な政策は、現在も続く超円高・アジア通貨安を是正することである。それでも、日本の製造業が簡単に復活することはできないであろう。日本の製造業を本格的に復活させるためには、超円高の是正をこえて、超円安を実現することが必要になる。超人民元安誘導債策を始めた1980年頃の中国をまねるのである。

超円安誘導は、金融緩和を大幅に強化することによって、経済的には実現可能である。日銀が国債の購入規模を拡大すると、国債という運用手段を失った日本の投資家の資金の多くは、海外に流出していかざるをえない。その結果、資金の大規模な海外流出=金融収支の黒字拡大=経常収支の黒字拡大が、定義として100%の確率で実現するのである(厳密な定義式は、金融収支-資本移転等収支-誤差脱漏=経常収支。資本移転等収支と誤差脱漏の値は比較的小さく、無視しても問題ない)。そして、この定義式が実現するという、一見夢のような不思議な現象が発生する過程で必然的に発生する現象が、超円安であり、輸出の拡大と輸入の縮小、製造業の復活なのである。ただ、以前よりも大幅な円安が必要なので、輸入物価の大幅上昇というかなり大きな痛み、副作用が、短期的には発生することは間違いない。この副作用は甘受するしかない。

現在の日本では、賃金の低いアジア諸国と工業生産を競うこと自体が根本的に間違っている、工業製品の生産はアジア諸国に任せるべきであり、日本は脱工業化社会を目指さなければならない、という製造業あきらめ派が大きく増えてしまった。ただ、製造業あきらめ派は、日本周辺のアジア諸国が実施してきた長年の近隣窮乏化政策が全く見えていない。日本周辺のアジア諸国が経済成長するにつれて、日本の工業製品が競争力を失う傾向を完全に止めることはできない。従って、ある程度はあきらめることも必要である。しかし、日本周辺のアジア諸国による大規模な近隣窮乏化政策がなければ、日本がここまで大きく窮乏化することがなかったのも事実なのである。日本の窮乏化の原因は、半分はアジア諸国の経済発展、半分はアジア諸国の極端な自国通貨安誘導政策であろう。

実現可能で具体的な脱工業化政策のプランがあるのであれば、脱工業化政策をとってもかまわない。しかし、現在唱えられている脱工業化政策は、中身のほとんどないスローガンだけである。残念ながら、現時点では、脱工業化社会は完全な夢なのである。具体的な道筋を示すことなく、脱工業化のスローガンを叫ぶだけでは、日本の窮乏化は進行するばかりである。日本にもアップルやグーグルのような企業は必要であり、アップルやグーグルのような企業を輩出できるような政策をとるべきである。しかし、アップルやグーグルのような企業を輩出するような政策は、世界中の多くの国が目指している政策でもある。しかし、アメリカ以外に成功している国はない。将来の夢、理想を持つことは必要であるが、実現性の低い夢のようなスローガンを叫び、製造業の衰退を容認することは、日本を窮乏化させるだけである。

現在の日本は、生産性の上昇率の高い産業から生産性の上昇率の低い産業へ、税金創出産業から税金消費産業へと、大規模な労働者の移動が発生している(*2)。アップルやグーグルのようなハイテク産業は、日本には少ないので、製造業を去った労働者の多くは、最終的には、医療・介護といった生産性の上昇率が低く、税金を消費する産業へ向かっている。このままでは日本から税金創造産業がなくなってしまい、日本経済は、滅亡へと向かうしかなくなる。こうした間違った労働者の移動の方向を逆転させる政策が必要である。アップルやグーグルに匹敵するハイテク産業が十分に日本国内で成長するのを見届けるまでは、古いと言われても、超円安を通じた従来型の製造業の再生を図り、生産性の上昇と税金の創造を目指すしか方法はない。

しかし、アメリカを中心とする先進諸国が、日本の超円安誘導政策を是認することはありえない。日本は長年にわたる日本周辺のアジア諸国の近隣窮乏化政策の最大の被害国であった。しかし、2012年11月に円安是正が開始されると、さっそく2013年1月のダボス会議で、日本が為替操作をしているという非難がいくつかの国から巻き起こった。日本周辺のアジア諸国の為替操作は誰にも非難されないが、日本が超円高の是正策を採用しようとすると、被害国であるにもかかわらず、加害国扱いされるのである。日本は通貨外交という点では、政治力が弱く、かつ拙劣であり、完全に国際政治の舞台で差別扱いされている。日本は、周辺のアジア諸国と異なって、自国の判断で為替介入をすることが許されていない。金融緩和を強化することにより、さらなる円安を目指そうとしても、先進国、特にアメリカからストップをかけられる可能性が非常に高い。日本経済が本当に復活するためには、超円安誘導政策が必要であるが、経済的には可能であっても政治的には不可能であろう。

日本は国際政治の中で許されるギリギリの線まで円安を追求していくしかない。今までの金融緩和政策の大義名分は、デフレ脱却であった。しかし、2%のインフレ率が実現してしまうと、デフレ脱却という大義名分がなくなってしまう。単なる金融緩和は、円安誘導と見なされ、政治的に許されなくなる。政治的に可能な方法は、財政再建のための金融緩和という新しい旗を掲げることである。日本は政府総債務の対GDP比率が世界で断トツの第一位である。財政再建は国際的にも求められている重要な政策である。財政再建を実現するためには、増税の実施が不可欠である。しかし、金融緩和を伴わない増税を繰り返すと、デフレ不況が深化し、税収の減少から政府債務の減少ではなく、政府債務の増大を招いてしまう。これは、空理空論ではなく、バブル崩壊後から2013年4月までに実際に日本で発生し続けてきた歴史的事実である。増税による増収を実現するためには、増税とさらなる大規模な金融緩和がセットでなければならない。しばらくは、2%のインフレ実現のための金融緩和、その次は財政再建と増税による景気後退を防ぐための金融緩和、これを看板に掲げ、裏で円安誘導を続けるしかない。

日銀による大規模な金融緩和が繰り返され、インフレとバブルが発生しかけると、その進行を防ぐために大規模な増税を行う。この繰り返しにより、モノと資産の価格を上昇させ、同時に上昇しすぎないように誘導するのである。この政策を続けた場合、資金の海外流出拡大の結果、円レートはかなり大幅な円安方向に向かい、経常収支は黒字に復帰し、その先には貿易収支の黒字復帰と製造業の再生が見えてくる。財政再建の実現、財政再建に伴う不況を防ぐための大規模な金融緩和、これを大義名分にして、政治的に許される限りの金融緩和による円安誘導を目指すべきである。


リンク先記事
購買力平価とは(*1)
雇用の流動化による生産性と成長率の劇的な低下(*2)


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日本国内の投資家による止まらない日本株売りとその損失

日本の株価が上がらない。5月7日に日経平均株価は前年比上昇率がマイナスに転落した。TOPIXは、4月11日に前年の水準を下回り、その後少しプラスに戻したが、4月25日に再びマイナスになった。ここでは、アベノミクス相場が始まった2012月11月第2週から、直近の2014年4月第4週までの期間を、1年前の以前と以後に分けることにする。2014年4月第4週(4月26日)のTOPIXは前年比で8.8ポイント上昇しているが、前日の4月25日は前年比2.79ポイントのマイナスであった。直近の1年間は、株価がほぼ横ばいで上昇していないので、その理由を調べることにする。

2012年11月第2週は、野田前首相が衆議院解散を表明した週である。この時から、大胆な金融緩和を主張していた当時の安倍自民党総裁の政策が現実のものとなると予想され、円安と株高が始まった。アベノミクス相場の出発点とも言える。2012年11月第2週以降の海外投資家による日本株の買い越し金額と、TOPIXの推移を表すグラフを下記に示す。


海外投資家の日本株株買い

海外投資家の日本株買い越し金額=国内投資家の日本株売り越し金額と考えても良い。2012年11月第2週以降、海外投資家の日本株買い越し=国内投資家の日本株売り越しの金額は急増し、その中で、TOPIXもかなりの勢いで上昇し続けた。しかし、2013年5月第1週以降は、海外投資家は買い越し基調であるが、TOPIXの上昇は明らかに鈍くなった。それから約1年、TOPIXは、結局のところは行って来いであり、1年前の水準と変わらなくなった。

この期間の日本株の投資部門別売買状況を、2012年11月第2週-2013年4月第4週(1年前より以前)と、2013年5月第1週-2014年4月第4週(過去1年間)に分けた表を下記に示す。


投資部門別売買

2012年11月第2週以降は、ほぼ海外投資家の一手買いである。事法、投信、その他法人は買い越しにはなっているが、その金額は海外投資家よりも規模がはるかに小さい。そして、過去1年間、海外投資家の日本株の買い越し金額が少し減少しただけであるが、株価の方はほとんど上がらないようになってしまった。

この海外投資家の買い越し金額=国内投資家の売り越し金額が、TOPIXをどのように動かしたかを表すグラフを下記に示す。


外国人買い短期

縦軸がTOPIXの上昇幅で、横軸が海外投資家の日本株の買い越し金額である。海外投資家の日本株の買い越し金額とTOPIXの変動幅は、正の相関が高いことがわかる。これは海外投資家が順張りの投資をしていることを表す。反対に、国内投資家は、逆バリの投資になっていることを同時に意味する。一番重要な点は、グラフの左上の第一象限である。ここには点が1つしかない。2013年7月第5週である。この週だけ、国内投資家の買い越し=海外投資家の売り越しという状況で、TOPIXが上昇した。しかし、それ以外の75週間は、株価の上昇局面では、必ず海外投資家の買い越し=国内投資家の売り越しが成立していた。国内投資家が株の上値を買い上がることはほとんどないのである。一方、表の右下、第三象限では、いくつもの点が存在している。これは、TOPIXが上昇する局面では、ほぼ間違いなく、海外投資家の買い越し=国内投資家の売り越しが成立するが、TOPIXが下落する局面では、国内投資家が売り越すケースと海外投資家が売り越すケースの2通りがあることを意味している。

上記のグラフで青点で示したアベノミクス相場の初期の頃に比べ、過去1年間の赤点は、点の位置が全体的に下か左へと移動している。これは、海外投資家の買い越し金額が少し減少する中で、TOPIXが上がりにくくなっていることを意味する。国内投資家の売り指し値が全体として下に下がっているのである。始めのうちは上値の指し値売りであったが、次第に現値かそれ以下の指し値に変わっているのである。今年に入って、海外投資家が日本株を売り越しに転じた結果、株価が大きく下がり、国内投資家は株の買い越しに転じている。それでも、4月以降、海外投資家は再び買い越し基調となったが、国内投資家の下値の指し値売りが増え、株価は下落のトレンドが続いている。

このような、海外投資家の順張り、国内投資家の逆張りは、ずっと前から続いている。1976年以降の海外投資家と国内投資家の売買動向が、TOPIXをどのように動かしたかを表すグラフを下記に示す。


外国人買い長期

株価の水準が大きく変わっているため、縦軸をTOPIXの変動幅から変動率に変えた。横軸は前の表と同じ、海外投資家の買い越し金額である。青の点が、1974年7月-1989年、すなわちバブル以前の動きを示し、赤の点が、1990年以降、すなわち、バブル崩壊後の動きを示す。見てわかるように、バブル以前は、海外投資家の逆張り=国内投資家の順張りの傾向が見られた。1990年のバブル崩壊後は、明らかに右肩上がりの正の相関を示しており、海外投資家の順張り=国内投資家の逆張りへと見事に転換している。そして、左上の第一象限に、赤点は一つも存在しない。これは、年次で見た場合、国内投資家の買い越し=海外投資家の売り越しによりTOPIXが上昇した年が、バブル崩壊後は、1年たりとも存在しなかったことを意味している。また、2013年は、年間の海外投資家の日本株の買い越し金額=国内投資家の売り越し金額が過去最高になっているが、株価上昇率は、1999年に次ぐ2番目にとどまっている。

バブル崩壊後、取引所内での海外投資家による日本株の買い越し金額=国内投資家の売り越し金額は85兆円にものぼっている。海外投資家が大量に日本株を買い越すとTOPIXは少し上昇し、海外投資家が少量の日本株を売り越すと、TOPIXは大きく下落してきた。その結果、海外投資家が巨額の日本株を買い越す中、日本の株価は下落、低迷のトレンドから抜け出すことができなかった。

この点は、私が繰り返し書いてきた、日本の株式市場におけるヒステリシス(*1)という現象である。この場合のヒステリシスとは、日本国内の投資家が、株価が上昇した場合、株を必ず売り越すという決まった行動パターンを常にとるようになり、その結果、日本の株価が上がらなくなることを意味する。ヒステリシスという病気に一度かかってしまうと、そこから抜け出すことが非常に困難になる。

昨年4月の異次元緩和は、モノの価格をある程度上昇させることに成功した。そして、一見すれば、株価を引き上げる効果も大きかったように見える。しかし、株価は上昇したが、海外投資家が過去最高の金額で日本株を買い越しただけである。国内投資家は、バブル崩壊後、ずっと株価が戻ると売るという姿勢をとり続けてきた。アベノミクス相場で株価が上昇する中、そうした売り越し金額を、過去最高の水準にまで増やしただけであるのだ。

予想や期待には、様々な種類のものが存在し、経済に様々な影響を与える。しかし同時に、予想や期待は見えないものであり、それを計測するのは非常に困難である。普通、用いられているのが、債券市場におけるブレーク・イーブン・インフレ率である。ブレーク・イーブン・インフレ率は、債券市場の投資家の期待インフレ率を見る有効な手段であると思われる。その他にも期待インフレ率を調べるために、いくつかのアンケート調査が実施されている。そこで入手できる期待インフレ率は、財・サービス価格の期待インフレ率であることが多い。

株価の将来期待を調べるためには、東証の発表する投資部門別売買状況を見ることが必要である。そこからわかることは、国内投資家の株価の将来期待は、バブル崩壊後の株価上昇局面では常に下落期待であった。その間、株価の上昇期待を持っていたのは、ほとんどの場合、海外投資家であった。これは、バブル崩壊後、ほぼ24年間以上続く現象である。アベノミクス相場の開始後、国内投資家の株価下落期待は減少したのではなく、過去最高の水準まで拡大したのである。そして、過去1年間は、海外投資家が大量に日本株を買い越しているにもかかわらず、TOPIXは上がらなくなってしまった。これは、国内投資家の株価下落期待がさらに強まったことを意味する。今年の年初に、国内投資家は、海外投資家の売り越しの結果としての株価下落局面で、NISA特需の買いもあって株の買い越しになっている。しかし、4月以降は、株価が下落する局面であるにもかからず、株を売り越している。国内投資家の株価下落期待、株価が戻れば売るというヒステリシスは、アベノミクス相場開始以降も強くなり続けているのである。

モノの価格は日銀の予想通りに上昇している。しかし、株式市場における国内投資家のヒステリシスは全く治っておらず、株価下落期待は、過去最高の水準にまで高まっているのである。ここで重要なことは、モノの価格が上昇に転じていることを理由に、金融引き締め政策をとるべきではないということである。仮に、消費者物価上昇率2%を達成した後、金融引き締め政策を実施し、株価が下落に転じ、株価の低迷が長引けば、株式市場のヒステリシスがますます強力なものとなってしまうからだ。現在のところ、日本の株式市場では、海外投資家による株の保有比率が約30%である。この比率が拡大すると、将来の日本が貧困化する大きな原因になるからである。

2013年は、円安が原因で、対外純資産は過去最高を更新した。しかし、株高が原因で、ドル建ての対外純資産は大きく減少してしまった(*2)。現在の日本は、株価を引き下げることにより、国民全体が貧しくなるのを我慢するか、株価を引き上げることにより、国民全体をある程度豊かにすると同時に、その利益の何割かを海外投資家に献上するかの、2つに1つの将来しか存在していない。現在の政策の延長線上には、海外投資家の日本株保有比率が、30%から50%、あるいはそれ以上にまで上昇し、日本の株価が上がればその利益のより多くの部分を海外投資家に献上する傾向が強まるばかりである。潜在成長率が低下し、加えて、海外投資家に利益を献上すれば、日本国内の貧困化は進むばかりである。ここは、あらゆる手段を使って、国内投資家が日本株を買い越すように誘導させるような政策をとり、将来の富の海外流出を可能な限り減らすことが必要不可欠である。

異次元緩和という、文字通りの普通ではない強力な金融緩和が実施されたことは、高く評価されるべきである。普通なら、異次元緩和という大規模な金融緩和策が実施されたならば、国内投資家は日本株の買い越しに転じるか、売り越し金額を減らすのが、当然予想される結果であるはずだ。しかし、実際には、日本の国内投資家は過去最高の規模で株を売り越し始めた。そして、過去1年間に、株価は上がらなくなり、直近では株価の下落局面でも株を売り越し始めるようになった。異次元緩和でさえも、日本の株式市場に強くこびり付いたヒステリシスを解決するのに全く役に立たなかったのである。今回、株価の上昇トレンドが定着しなければ、ヒステリシスは今後さらに強まるだけである。この将来的な損失は、計算が不可能なほど大きい。そしてもう一つの大きな問題は、このヒステリシスという大問題が問題として認識されていないことである。「バブルを再燃させる金融緩和は絶対反対」という長年誤り続けたにもかかわらず、現在でも根強く存在する思想が、将来の日本をより大きく貧困化させるのである。

今、必要とされる政策は、国内投資家による株の買い越しが定着するまで、金融緩和の強化を続ける政策である。そのためには異次元緩和をさらに何次元も上回る金融緩和が必要である。日銀が国債の買い取り金額を大幅に増やしていけば、国債という運用手段を失った国内投資家の資金は、消去法的だが株式市場に流入していかざるをえなくなる。従って、異次元緩和をさらに何次元も上回る金融緩和の強化を実施した場合、ヒステリシスという重い病気は治療可能である。しかしその場合、消費者物価は2%をこえて上昇するはずである。その際、金融引き締めを行ってはならない。金融緩和を強化しながら、所得税の大規模な増税や、消費税増税の上のせなどによる総需要抑制策をとるべきである。インフレによる所得の増加分を大規模な増税で吸い上げ、インフレを押さえ込み、長期金利の上昇を限定的なものにするのである。この政策を実施する前後の時期には、政治的にも経済的にも相当大きな混乱が起こることが予想されるが、そのコストを支払ってもやり抜く必要がある。そして金融緩和の強化を続け、国内投資家による株の買い越しが続き、その結果、海外投資家の日本株保有比率が大きく低下するようになるまで待つ必要がある。それが達成された場合、金融緩和の強化を維持しながら、株にかかるキャピタルゲイン税率を大幅に引き上げ、バブルの進行を防止し、税収を大幅に増やせば良い。これで財政再建が一挙に進む。

日本が抱えるデフレという問題は、モノのデフレだけではない。資産デフレもモノ以上に深刻なのである。経済のストック化の中で、日本は対外資産の量と収益率を増やし、稼げなくなった輸出産業を補完する必要性が増している。しかし、現在の日本は世界最大の対外純資産を持つとは言え、日本の株価が上がるとドル建ての対外純資産が減少(円安が進行しなければ円建てでも減少)するという構造になっている。日本自体が稼ぐ主体にならなければならないのにもかかわらず、外国が少額の投資で、日本の株高により大金を稼ぐという構造ができ上がってしまっているのである。現時点において、日本は世界最大の対外純資産を保有しているが、日本の株価が大きく上昇すると、経常赤字の金額とはケタ違いの富が海外に流出し、日本の対外純資産は大きく減少してしまうのである。

24年間以上の株価低迷の結果、とてつもなく強力なものとなったヒステリシスから抜け出すための政策は、最優先になされなければならない。ヒステリシスが生み出す大きな損失、すなわち対外純資産の大幅な減少についての認識を広めなければならない。モノのインフレ率を2%に引き上げるだけでは全く不十分である。そして、国内投資家が日本株を大量に買い越すようになるまで、追加の大規模な金融緩和を継続し続けることが何よりも必要なのである。


リンク先記事
日本の株式市場のヒステリシス(*1)
2013年末対外純資産が過去最高を更新 ドル建てでは減少(*2)


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