名目成長率と名目金利の比較

 今年4月4日に異次元金融緩和が開始されて以降、長期金利が若干の上昇に向かっている。異次元金融緩和が成功して、インフレ率がより明確に上昇し始めると、長期金利はより一層上昇する可能性が高い。その場合、800兆円近くまで積み上がっている国の長期国債、中期国債の金利が上昇し始め、国債の利払い費用が増加し、財政赤字が一層拡大するのではないかと懸念する声が聞かれる。

この問題は、金融緩和が、名目のGDP成長率と名目の国債金利のどちらをより大きく引き上げる効果を持つかという問題に言い換えることができる。大雑把に考えると、金融緩和の結果が、名目成長率の上昇率>名目金利の上昇率の場合、歳入が国債利払い費という歳出よりも拡大して、財政赤字縮小という結果を招く可能性が生じる。一方、名目成長率の上昇率<名目金利の上昇率の場合、歳入よりも国債利払い費という歳出の方が拡大し、財政赤字拡大という結果を招く。より単純化して、名目成長率>名目金利の場合、国の借金残高は減少に向かう可能性が生じ、名目成長率<名目金利の場合、国の借金残高は増加し続ける。(厳密に言うならば、名目成長率>名目金利が成立する場合、長期的には国の借金残高は、ゼロになるか、ある数値以上には増えなくなる。名目成長率<名目金利が成立する場合、国の借金残高は、際限なく増加する)。

名目成長率と名目金利はどちらが大きいかという命題は、過去に何度か問題提起されてきた。しかし、深く論争されることはなかった。その理由がはっきりしないので、「命題を立証する過去のデータが不足しているので、本当のことは誰にもわからないからではないか」と勘ぐりたくなる。ここでは、非常に制約されたデータを使い、正しいとは断言できないが、正しい可能性のある答えを、私なりに考えてみることにする。

まずは、ある程度のデータが存在する日本の名目成長率と名目金利の関係を見ることにする。


名目成長率-名目金利 日本

上記のグラフでは、緑色の線が、名目成長率-名目金利であり、目盛は右側となっている。このグラフを見て感じることは、バブル経済以前は、名目成長率>名目金利の期間が長く、バブル崩壊後は、名目成長率<名目金利の期間が長いということだ。実際、名目成長率-名目金利の全期間平均をとると、-0.72%となる。しかし、1990年以前の平均は、+0.39%であり、1991年以降の平均は、-1.72%となる。

次に、日本以上にデータが整備されているアメリカの名目成長率と名目金利の関係を表すグラスを示す。


名目成長率-名目金利 アメリカ

アメリカの場合、名目成長率-名目金利の全期間平均をとると、+0.23%となり、平均すれば、名目成長率>名目金利となっている。ただ時期によってかなり異なっている。1979年以前は、明らかに名目成長率>名目金利であり、名目成長率-名目金利=+2.67%であった。1980年から1996年までは、名目成長率<名目金利であり、名目成長率-名目金利=-2.3%であった。このようにマイナスになった理由は、次のように考えられる。1970年代に2度のオイルショックが発生した結果、スタグフレーションが進行した。1979年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、まずインフレを退治することに全力をあげ、徹底的な高金利容認政策をとった。その高金利容認政策の効果は大きく、インフレ率は、1983年に、一時的には2%台にまで低下した。一方、市場は、スタグフレーションとボルカーのとった超高金利容認政策を忘れ去ることができず、名目金利の低下は、インフレ率の低下よりも、はるかに緩やかなペースで進むことになった。結果として、名目成長率が名目金利を上回るのは、1996年の終わり頃と、非常に時間がかかることになった。1997年以降は、平均すると、若干ではあるが、名目成長率>名目金利となり、名目成長率-名目金利=+0.16%であった。

このように、比較的データのそろっている日本とアメリカだけの過去数十年間の名目成長率と名目金利の関係を一言で言い表すと、日本では若干の名目成長率<名目金利であり、アメリカでは若干の名目成長率>名目金利であった。しかし、世界には、様々な名目成長率と名目金利の歴史を持つ国家が存在している。ネット上で、そうしたデータは、断片的にしか把握することができない。断片的なデータの中で一番まとまった金利のデータは、OECDのサイトに掲載された長期金利(基本的には10年物国債)のデータであろう。その名目金利のデータを、IMFのサイトにある名目GDPの成長率のデータと合わせて掲載すると、下記のようになる。


名目成長率-名目金利 OECD

一見して、わかりにくいグラフである。しかし、どんなに詳しく観察しても、依然としてわかりにくいグラフでもある。理由の一つは、データの数が多すぎることではなく、少なすぎることにある。グラフには22ヶ国のデータしか掲載できなかったが、OECDのサイトにある長期金利のデータは27ヶ国ある。しかし、1981年時点のデータが存在する国は、11ヶ国しかない。少しずつデータの存在する国の数が増えるのであるが、27ヶ国のデータが全てそろうのは、2003年からであり、その後もデータの欠落している国があるので、27ヶ国のデータが完全にそろう期間は、わずか6年しかない。その上、期間ごとに様々な特殊要因が存在することを無視することができない。1980年代は、アメリカと同様に、多くのOECD加盟国の名目成長率と名目金利は高かった。1990年代初頭には、日本だけではなく、北欧を中心に不動産バブルの崩壊が発生した。2000年のアメリカのITバブルの崩壊は、大半のOECD加盟国に影響を及ぼし、2007年のアメリカの住宅バブルの崩壊は、OECD加盟国の全てに大きな影響を及ぼした。その後のユーロ危機の結果、ギリシャを中心とした南欧諸国は異常な経済状況となっており、2012年のギリシャの名目成長率-名目金利は、-29.6%と極端に低い数値となっている。なお、一番自然な方法で、名目成長率-名目金利の平均値を求めると、-1.09%になるが、平均値の計算方法によっては、プラスの値になることもある。計算方法によって差が出る原因は、名目値での高成長、高金利の時代であった1980年代のデータが欠落している国が多いためである。

このように、OECD加盟国だけを見ても、解釈が難しい。それに、断片的にしかわからない発展途上国のデータを加えるならば、名目成長率と名目金利の関係について、多くの人が納得するような解釈を示すことはできない。以下の内容は、根拠が全くないわけではないが、根拠が高いとは言い切れない、私自身の考えの結論である。

①実質GDP成長率が低下し、インフレの進行も緩やかになった多くの先進国については、長期の平均値を取った場合、名目成長率と名目金利は、ほぼ等しくなる。

②インフレ率が高騰すると、名目成長率>名目金利となる。年間のインフレ率が
15%あたりを超えて上昇すると、名目成長率の伸びに、名目金利の上昇が追い付けなくなり、名目成長率>名目金利の状態になる(例 1974年の日本)。

③ ②以外にも、 名目成長率>名目金利となる国は、存在する。それは、実質GDP成長率が高い国である。高度成長を続けていたかつての先進国、現在、高度成長を続けている発展途上国から得られる断片的なデータからは、名目成長率>名目金利となっている国の割合が、現在の先進国以上に高いように思われる。ただ、高度成長を続けている国、時代においては、債券市場が発達しておらず、データそのものが少ない(例 1962年-1969年のアメリカ)。

①と③に、異議を唱える人は多いと思う。名目成長率<名目金利であるという説を支持する人は、多いと思われるからだ。先に、アメリカの名目成長率-名目金利が、1997年以降の平均については、+0.16%になると指摘したが、OECD加盟国についても、+0.01%とかすかにプラスとなる(日本は-1.88%)。しかし、1997年以降は、バブルと、バブル崩壊後の極端な金融緩和政策の結果、名目成長率が水ぶくれし、反対に名目金利は異常な低水準になっている特殊な期間であるとの批判がある。この批判は、アメリカの量的緩和政策が終了し、政策金利が上昇する時期になると、再び名目成長率<名目金利となるはずだ、という主張につながる。この意見が正しいかどうかは、アメリカの量的緩和政策が完全に終了し、しばらくたった後になって、初めて是非の判断が可能となる。現時点では、どちらの意見が正しいかを正確に示すことはできない。

仮に、名目成長率<名目金利が成立すると仮定しても、名目成長率-名目金利の絶対値は、非常に小さい値となる。1991年以降の日本のように、-1.72%というのは、マイナス幅が大きすぎる。1991年以降のOECD加盟国で、日本よりマイナス幅が大きい国は、ギリシャとイタリアだけである。いずれも、1999年以降、ユーロ加盟により国内金利の決定権を失った国である。日銀の1991年以降の金融緩和政策では、名目金利の下げ幅は緩やかなものであった。一方、インフレ率は着実に低下し、マイナスの領域にまで達し、名目成長率も、低下からマイナスにとどまる期間が長くなった。1991年以降の日本の名目成長率が、名目金利を平均して1.72%も下回った理由は、日銀の金融緩和の不足が最大の原因であったと考える。

私は、今年4月4日の異次元金融緩和の後、名目金利は上昇するが、名目成長率はそれを上回る成長を達成する可能性が高いと考えている(ここでは、2014年4月の消費税引き上げの影響は、ゼロであると仮定する)。金融緩和の強化によって、名目成長率が名目金利近辺まで上昇するところまでは、可能であると考える(2012年の名目成長率は、前年の大震災の影響の反動で、1年間に限り高めの数値となっている)。そうなる場合、政府の利払い負担の増加額は、従来よりも抑制される可能性が生じてくることになる。イメージとしては、ゼロ金利制約により高めに推移していた名目金利は、若干上昇するが、インフレ発生とともに、実質金利が低下して行き、名目と実質の経済成長率がともに高まるという、リフレ派の考え方と同じイメージである。しかし、名目成長率<名目金利が是正されるとしても、長い目で見れば、名目成長率=名目金利までであろう。長期間、名目成長率>名目金利を維持するためには、高度成長期のように実質成長率を高める必要がある。私の直観的アプローチでは、現在の潜在成長率は、高くても1%である。よほどの幸運が訪れて潜在成長率が高まることがない限り、高い実質成長率を持続させることは、不可能である。従って、名目成長率>名目金利を実現して、財政赤字の負担を従来より大きく減らすことも、同様に不可能である。

名目成長率=名目金利の実現後、調整インフレ論的な考えに立脚して、インフレ率をさらに5%引き上げ、名目成長率も5%引き上げることにより、実質的な債務残高を減らそうとした場合、名目金利も、長い目で見れば、平均して5%上昇するので、財政再建には役立たない。インフレで財政再建を図るためには、少なくとも、インフレ率を15%以上にまで引き上げる必要がある。この場合、名目金利は名目成長率まで上昇しない可能性が高く、名目成長率>名目金利が実現し、財政再建に役立つ可能性が出てくる。しかし、15%以上ものインフレが進行すると、資源配分を最適化する価格という市場調整機能を破壊するので、実質成長率はマイナスとなってしまう。15%以上のインフレ実現により、国の借金の実質削減を図るという政策は、副作用が大きすぎるので、採用すべきではない。

(*1)で日本政府が巨額の借金を抱えるようになった最大の原因は、デフレであると書いた。その考えは、現在も変わっていない。1991年以降、金融緩和の不足の結果、名目成長率が低下しすぎ、一方、名目金利が高止まった。その結果、名目成長率-名目金利=-1.72%と大きなマイナスとなり、財政赤字が拡大し続けた。将来はともかく、過去においては、社会保障支出の拡大などの要因は、2番目以下であったと考えている。20年前に異次元金融緩和を実施していたならば、今よりも潜在成長率が高かったことは確実であり、かつ国の借金の対GDP比率も小さかったので、名目成長率>名目金利を実現させ、財政再建を図ることも可能であった。しかし、現在は、潜在成長率は低下しており、異次元金融緩和を実施しても、名目成長率>名目金利は実現せず、財政再建を図ることは、不可能である。これも、異次元金融緩和の実施が20年遅れた結果、あまりにも多くの物を失ってしまったことの具体的な例の一つなのである。

関連記事
財政赤字とデフレの関係(*1)




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製造業の衰退と加速化する海外への技術流出

前回、指摘したように、日本の製造業、特に電気機械産業は、労働生産性を大幅に上昇させているにも関わらず、製品価格の低下のため、弱体化しつつあることを指摘した。今回も、同様の内容を、異なる角度から述べてみたいと思う。

現在の日本企業の技術力は、諸外国に比べて、高いのか、低いのか。それを客観的に示す指標は存在しない。ここでは、ネット上で入手可能な、企業の特許の出願、取得の件数や特許資産を代理変数として、日本企業の技術力のレベルを調べることにする。

最初に、2012年の年間において、日本国内において取得された特許の企業ランキングを見ることにする。


日本特許取得
出所 IP Force

ランキングの第一位はパナソニック。表に示した20位までは、すべて日本企業である。外資系企業では、アメリカのクアルコムが25番目に位置しているのが最高である。

登録された特許の数に加え、パテント・リザルト社という会社が、独自の手法で特許の質の評価を加え、特許資産として算出されたランキングを示す。


日本特許資産
出所 パテント・リザルト社 

最初の表の特許取得の時期は、2012年、パテント・リザルト社が質の評価の対象とした特許の登録時期は、2011年度であるので、対象期間は異なる。ただ、全体の傾向としては、似たような傾向を示している。

次に、2012年の年間において、アメリカで取得された特許の企業ランキングを見ることにする。


アメリカ特許取得
出所 IFI CLAIMS

日本と同様に、取得された特許の数に加え、パテント・リザルト社による質の評価を加え、特許資産として算出されたランキングを示す。

アメリカ特許資産
出所 パテント・リザルト社

セイコーエプソンの特許の質が良いらしく、10位に位置している。その結果、アメリカの特許ランキングにおいて、上位10社中に、日本企業は、特許の取得件数では4社、特許資産では5社が入っている。パテント・リザルト社による評価によれば、日本企業は、価値をあまり生まない質の悪い特許を多数取得し、件数だけをかせいでいるという認識は間違いであり、中身も伴った質の良い特許を、アメリカで多数、取得していることになる。

次に、WIPOに出願された特許の企業ランキングを見ることにする。WIPOは、World Intellectual Property Organization(世界知的所有権機関)の略である。


世界特許出願
出所 WIPO 

上位10社の中には、日本企業は3社しか入っていない。しかし、上位30社まで広げると、14社がランキングに入っている。

次に、ヨーロッパ特許庁に出願された特許の企業ランキングを見ることにする。


ヨーロッパ特許出願
出所 ヨーロッパ特許庁

ヨーロッパで出願された特許のランキングなので、アメリカのランキングよりも、ヨーロッパの企業が健闘している。日本企業は、上位10社中では三菱電機だけの1社であるが、上位30社まで広げると、9社を占める。

以上の特許の出願、取得、資産のランキグを見ると、日本企業は、世界においても、相当、健闘していると評価できる。ランキングの上位に占める企業の数は、アメリカ、ヨーロッパ、中国、韓国との比較でも、多い方である。パテント・リザルト社の評価では、日本企業がアメリカで取得した特許の質は、その量を上回っている。ランキングの上位に出てくる企業は、日本企業以外では、多額の利益を稼いでいる、各国を代表するエクセレントカンパニーばかりある。そしてランキングの上位を占める企業は、電気機械メーカーの数が圧倒的に多い。これは、現在の技術革新が、電気機械関係に偏っていることを示す。学術論文の数の上位は、バイオ・医薬品関係が多い。将来、バイオ・医薬品関係の企業が、特許のランキングに数多く登場する時代が、いずれは訪れるであろう。しかし、現時点で、製品開発に直結する特許の数では、電気機械が圧倒的な数を占めている。その中でも多数の上位を占めている企業は、日本企業である。

このように特許という指標に関しては、日本企業の力は依然として強く、海外のライバル企業に劣っていない。もちろん、特許=技術力ではないが、特許と技術力、そして技術力と収益力の間に正の相関関係があることは、正常な姿だと思う。

ところが、日本企業に限ってはそのような正の相関が見られない。特許の出願、取得、資産の面で見て、日本一の企業は、パナソニックである。しかし、2011年度、2012年度の決算によると、パナソニックは、原発事故を起こした東京電力と並んで、日本一の大赤字企業である。特許の出願、取得、資産が比較的多いシャープも、パナソニックに次いで赤字が大きい。どれだけ発明をして特許を取得しても、企業収益に全くといっていいほど結びついていない。

ここから後は、今まで何度も繰り返し書いてきた私の持論であるが、世の中では、ほとんど広まっていない考え方なので、何度も繰り返させてもらう。

日本企業の技術力は高いかもしれない。しかし、日本は、周辺のアジア諸国の中で、最も賃金の高い国である。日本周辺には、日本より賃金の安い国がたくさんあり、かつ、教育面、社会インフラ面などで日本に引けをとらない国も増えてきた。従って、日本企業が、賃金の高い日本国内でモノを生産するといった発想自体が、すでに誤りなのである。日本企業は、生産拠点を、賃金の高い日本国内から、賃金の安いアジア諸国に移すべきである。日本企業の技術力とアジア諸国の低賃金が合体したならば、世界で最も競争力のある企業になるであろう。当然、日本企業の利益水準も高まる。そして、日本国内は、脱工業化をはかり、サービス産業で経済成長をはかるべきである、といった主張をする人が増えつつある。

今後、日本は、一部のサービス産業の振興に力を入れる必要はある。ソフトウエア、国際金融などの高付加価値のサービス産業を発展させることができれば望ましい。しかし、国により、得意な産業、苦手な産業があることは間違いない。日本の過去のソフトウエア、国際金融の変遷を見る限り、日本のソフトウエア、国際金融が、世界を制するようになることは、残念ながら想像しにくい。そしてまた、ソフトウエア、国際金融は、アメリカやイギリスの経済の一部を占めるに過ぎない。ソフトウエアと国際金融だけの成長が、日本経済全体の成長に大きく貢献することは、やはり困難なのである。

今後、日本国内で間違いなく成長していく産業は、医療、介護産業である。しかし、医療、介護産業は、税金や保険料で支えられている寄生産業である。他の産業で稼いで、税金、保険料を捻出して、初めて産業として成立する。他の産業、すなわち基幹産業が成長しなければ、医療、介護産業も成長することはできない。医療・介護産業を、効率化により、税金、保険料の投入金額を抑制することに全力を上げる必要がある。医療、介護産業は、成長率を高めるのではなく、成長率を抑制しなければならない。製造業に属するバイオ・医薬品産業、医療機械産業は別である。

このように考えると、医療、介護産業に支払う、税金、保険料を捻出することのできる最も重要な日本の基幹産業は、依然として製造業が中心にならざるをえない。しかし、賃金の高い日本で、今後も製造業は成り立つのであろうか。

日本の賃金は、周辺のアジア諸国と比べて確かに高い。なぜ高いのであろうか。一つは、経済の発展段階の差としての賃金格差である。日本経済がアジアで一番発展しているのであれば、賃金が一番高くて当然となる。日本の多数派は、ここで、考えが止まるのである。私は、経済の発展段階の差としての賃金格差は、全体の賃金格差の約半分を占めるだけであると考えている。残りの約半分は、日本周辺のアジア諸国の、国家介入による自国通貨安誘導政策の結果であると考えている。日本周辺のアジア諸国が、そろって実施してきた自国通貨安誘導政策=為替操作=近隣窮乏化政策は、日本周辺のアジア諸国の経済成長率を引き上げるのに大きく貢献し、大成功した政策であった。そして、その代わりに、アジアでただ一つの国を大変な窮乏化に導いた。その国が、日本である。

自国通貨安誘導政策を最初に実施したのは、鄧小平が改革、開放政策を始めた中国であり、1979年がスタートの年であった(*1)。その他のアジア諸国においては、1997年のアジア通貨危機が大きなきっかけとなった。アジア通貨危機の原因は、アジアの企業が、外国から巨額の借金をしておきながら、外貨準備が少なかったことが、通貨危機発生の原因であった。この危機以降、大半の日本周辺のアジア諸国は、政府、中央銀行が、巨額の介入を実施し、外貨準備を積み上げる努力を重ねた。巨額の介入による自国通貨売り、外貨買いの操作の継続は、必然的に日本周辺のアジア諸国の通貨価値を割安に誘導、維持する結果を招いた(*2)(*3)。その割安な通貨価値の結果としての低賃金を武器にして、日本周辺のアジア諸国は、日本から、雇用と技術の結合した工場を導入することに成功した。1990年代のバブル崩壊の傷が治りつつあった日本は、2000年代に入って、今度は、産業の空洞化という現象に苦しめられることになった。中でも大きく苦しめられ、崩壊しつつある産業は、電気機械産業である。先に述べた通り、電気機械産業は、技術革新が一番早く、将来性のある産業である。日本周辺のアジア諸国の政府は、電気機械産業の育成に最も力を入れていた。日本周辺のアジア諸国で電気機械産業が比較優位を占めると、その結果として、日本においては、電気機械産業が比較劣位の産業に転落することは、必然なのである(*4)。こうして日本からアジア諸国へと、雇用と技術が怒涛のごとく流れて行った。日本は、多くのアジア諸国に対して貿易黒字を維持していたので、空洞化は悪ではないとの主張も見られた。しかし、2013年の時点で考えてみると、日本の製造業、特に電機機械産業は、壊滅的な大打撃を受けている。超円高・アジア通貨安の進行は、最初に日本国内で比較劣位にある産業に打撃を与えるからだ。過去十数年間の日本の衰退と日本周辺のアジア諸国の目覚ましい成長は、自国通貨安誘導政策がどれほど大きな近隣窮乏化政策になるかを、見事に証明している。

パナソニックとシャープは、世界でも最も多くの特許を保有し、技術レベルが高い水準を維持している企業に属している。しかし、その技術を使って、大きな工場を作り、生産する財務的な余力が、もはやなくなっている。最近のこの2社の戦略は、成長著しいアジア諸国の企業に技術を提供し、少しばかりのライセンス収入を獲得する方向に変わりつつあるようにも見える。日本企業から生産委託を受けていたアジアの企業が、技術を十分に吸収した後、日本企業から独立をはかるケースも増えている。日本企業がリストラした技術者のうち、優秀な人たちは、アジアのライバル企業に再就職し、日本からアジアへの技術流出に大きく貢献している。技術力のすぐれた日本企業が超円高が原因で価格競争に敗れ、優秀な技術者たちが、技術力の劣ったアジアのライバル企業企業に移っていく、こうした日本にとって、とてつもなく大きな損失を、残念ながら、既存の経済学は考慮に入れていない。日本企業がボロボロになるにつれて、アジア諸国への技術の流出は、むしろ増えているが、その巨額な損失金額を、経済学的に計算することができない。

私は基本的には市場の力を信じ、政府の市場への介入は、最小限にとどめるべきだと考えている。しかし、現在の日本の製造業、特に電気機械産業が置かれている悲惨な状況や、技術流出の巨額な損失を考慮すると、国家の支援を受けたアジアのライバル企業に対して、日本企業が単独で勝ち抜くことは不可能であると痛感する。市場まかせにしていたならば、日本の製造業の崩壊が加速化するばかりである。日本の製造業を救うためには、政府による市場へのある程度の介入は、やむをえないことであると考える。最低限、日本円と日本周辺のアジア諸国との通貨価値の格差は、なくすべきである。ただ、経済の発展段階に差がある場合、購買力平価は成立せず、理論的に妥当な為替レートを求めることは容易なことではない。それでも、妥当な為替レートは、現在よりも、円安アジア通貨高であることは、間違いない。昨年11月以降の超円高の是正だけでは、全く不十分なのである。

前回提案した、1ドル=200円までの円安誘導政策、前々回提案した、産業革新機構の活用策は、こうした文脈の中で考え出されたアイデアである。たとえ、このような対策が打ち出されたとしても、産業の空洞化自体は、続くのである。現時点でも、アジアには、賃金が日本の半分以下の国がたくさん存在するからだ。ただ、空洞化の速度は低下し、日本国内の製造業が再生する余地が出てくる。日本国内の製造業の再生無くして、日本経済の復活はない。日本経済の復活なくして、日本が人口減少、超少子高齢化社会を生き延びることはできないのである。

関連記事
中国の経済成長と人民元安誘導政策(*1)
購買力平価から見た円相場 対アジア諸国(IMF)(*2)
超円高の原因と産業の空洞化(*3)
パナソニック大赤字の真の原因(*4)



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生産性上昇の手段 キャピタルフライトによる円安誘導

以前(*1)、日本の労働生産性の上昇率が低下してきたメカニズムを説明した。今回は、日本の労働生産性の上昇率低下要因を、アメリカと比較する形でもう一度説明する。そして、日本の労働生産性の上昇率を再び引き上げる具体的な手段について、最後に述べることにする。

日本の労働生産性と雇用
『(注)分類が、2001年-2004年までは運輸・通信業であったものが、2005年-2011年には運輸業と情報通信産業に分かれた。そのため、運輸・通信業だけは途中に断絶があり、情報産業の分は、2011年の数値から抜け落ちている。』

上記の表で示したように、日本の産業の中で、2001年-2011年の11年間に、就業者(今後は、アメリカ流に自営業者をセルフ・エムプロイメントと考え、雇用者という言葉を使う。)1人当たり実質GDP、すなわち労働生産性が最も大幅に上昇した業種は、「産業 製造業 電気機械」であった。この業種の生産性の上昇率は、11年間に+313.8%と2位以下を大きく引き離して、ダントツの一位であった。そして、生産性が上昇している業種は、製造業が多く、生産性が低下している業種は、第三次産業が多かった。11年間に、日本は、生産性の上昇率が高い製造業から、生産性が低下する第三次産業へと、大規模に雇用を移動させてきた。こうした産業間での雇用の大移動は、日本経済の労働生産性の上昇率の低下に、大変大きな貢献をしてきたのであった。

一般的には、日本には雇用に関する規制が多く、その結果、労働生産性の上昇率の低い企業から、生産性の上昇率の高い企業への雇用の移動が妨げられている、従って、雇用の規制緩和を推進し、労働市場の流動化をはかり、生産性の上昇率の低い企業から、生産性の上昇率の高い企業へと雇用の移動を促し、経済全体の生産性の上昇率を高めるべきである、といった意見がよく聞かれる。

上記のような考え方は、統計をきちんと観察すれば、全くの誤りであることが分かる。現在の日本経済にとって、取り組まなければならない最も重要な政策は、労働生産性の上昇率の高い業種から、労働生産性が低下する業種への大規模な雇用の移動を食い止めることである。そして、労働生産性が低下する業種から、労働生産性の上昇率の高い業種へと、雇用の移動の流れを逆転させることが必要である。

こうした、労働生産性の上昇率の高い業種から、労働生産性が低下する業種への雇用の移動は、日本特有の現象ではない。アメリカおいても、類似の現象が発生していることが確認できる。

日本よりアメリカの統計の方が、産業の業種分類が細かく、一見しただけでは、わかりにくい。ここでは、わかりにくさを承知の上、アメリカの業種を細かく分類した大きな表を掲載する。


アメリカの労働生産性と雇用

アメリカでの労働生産性の上昇率トップは、「コンピューター電気機械」である。アメリカの場合、トップの「コンピューター電気機械」に第14位の「電気機械器具、部品」を加えた分類が、日本でトップの「電気機械」に近い分類となる。つまり、日米ともに、労働生産性の上昇率トップは、電気機械産業である。これは、製品の性能向上が著しく、その性能向上分を、デフレーターの低下で現わしているという要因も大きい。そして、日米ともに、生産性の上昇率の高い業種から、生産性上昇率の低い、あるいは低下する業種へと、雇用が大規模に移動している。こうした雇用の移動は、日米共通の現象である。日米間の相違は、日本の場合、雇用の移動先の多くが、生産性の上昇率が低下している業種であるが、アメリカの場合、雇用の移動先の多くが、生産性の上昇率が低い業種であることだ。結果として、11年間の労働生産性の上昇率は、日本が、+7.7%、アメリカが+18.3%と、アメリカの上昇率が、日本を上回っている。

業種ごとの労働生産性の上昇率と雇用者数の変化だけではなく、GDPの変化を加えた表を、下記に記す。


日本の労働生産性とGDP

アメリカの労働生産性とGDP

上記の表から、日米ともに、労働生産性の上昇率の高い業種よりも、生産性の上昇率が低い業種の方が、デフレーターの上昇率が高く、その結果、名目GDPの上昇率も高くなりやすい傾向があることが読み取れる(日本の場合、一見しただけでは明確ではないが、生産性の上昇率の高い上位13社の名目GDPの上昇率平均は-15.9%、生産性の上昇率の低い下位13社の名目GDPの上昇率平均は-13.8%であり、生産性の上昇率の低い業種の方が、若干であるが、名目GDPの低下率が小さい)。名目GDPを乱暴に単純化すると、賃金と利益の合計値に等しくなる。従って、企業レベルで考えるのならば、生産性の上昇率の高い業種より、生産性の上昇率の低い業種の方が、製品価格が上がりやすく、利益を増やしやすいということになる。ただ、この理論は、ミクロレベルでは正しいが、マクロレベルでは正しくない。生産性の上昇率の低い業種の製品価格が上がりやすく、利益を増やしやすい理由は、生産性の上昇率が高い業種の企業からの富の移転が存在するからである。生産性の上昇率が高い業種の企業が弱体化すると、生産性の上昇率が低い業種の企業も同時に弱体化してしまう。生産性の上昇率の低い業種は、日本よりアメリカの方が名目GDPの成長率が高い。これは、日本よりアメリカの方が、生産性の上昇率が高い業種の名目GDPの上昇率が高いからである。

日本で労働生産性の上昇率が一番高かった「電気機械」は、11年間に生産性を313.8%上昇させ、実質GDPを210.1%上昇させたが、デフレーターが71.9%低下したため、名目GDPは23.4%低下した(普通は、名目GDP=デフレーター+実質GDPであるが、業種ごとのGDPの場合、この式は成立しない)。これは、日本の「電気機械」が、爆発的な生産性の上昇にもかかわらず、それ以上に製品価格が低下したため、名目GDPも同時に低下してしまったからである。日本の「電気機械」に属する電機メーカーは、名目GDPが減少した結果、企業収益が赤字に転落し、国内での雇用の大幅な削減を余儀なくされる企業が続出した。それ以外にも、生産性の上昇率が高い大部分の業種の名目GDPの上昇率はマイナスであり、生産性の上昇率が高い企業は、雇用の削減に動かざるを得なかった。生産性の上昇率が高い企業を解雇された雇用者は、最終的には、生産性が低下する「産業 サービス」、「産業 卸売・小売」などの業種へと流れて行った。

日本の場合は、明らかに金融政策に誤りがあった。日本のGDPデフレーターは11年間に-10.2%であったが、アメリカのGDPデフレーターは11年間に+24.9%だった。この差が、国全体の名目GDPの成長率の差に大きく現れている。名目GDPの成長率は、11年間に、日本が-6%%、アメリカが+46.4%と、アメリカが日本を大幅に上回っていた。その結果、生産性の上昇率の高い業種において、日本の企業は利益を減らしやすい環境に置かれ、アメリカの企業は利益を増やしやすい環境に置かれることになった。結果として、日本の生産性の上昇率の高い業種に属する企業は弱体化し、雇用も減らすことになった。

一方、アメリカの場合、金融政策は適切であった。その一方、企業経営の在り方に問題があったと考えられる。先に示した通り、GDPデフレーターについては、アメリカが正常、日本が異常であった。そして、生産性を最も大きく上昇させた「コンピューター電気機械」の名目GDPを、77%も増やすことに成功した。日本の「電気機械」の23.4%のマイナスとは、大違いである。しかし、アメリカの「コンピューター電気機械」に属する企業経営者は、名目GDPの伸びに満足しなかったようである。日本の「電気機械」を上回る37%の雇用者を削減している。それ以外の、生産性の上昇率が高く、名目GDPも上昇してきた業種に属する企業の経営者も、似たような行動をとってきた。つまり、生産性の爆発的な上昇により、企業レベルでは利益が上がっているにもかかわらず、企業利益の最大化のため、国内での雇用を大幅に削減し、生産コストの低い中国やインドなどに企業活動の何割かをオフショアリングしていったのであった。そのために首を切られた雇用者は、国内の生産性の上昇率が低い医療、介護、飲食業などの第三次産業へと移動して行った。アメリカの問題は、企業利益の最大化のために、オフショアリングをやりすぎたという影響が大きかったと思う。オフショアリングというのは、企業にとってはコスト削減になるが、マクロ的に見たならば、アメリカから海外へのGDPの流出になる。グローバライゼーションの負の側面が、アメリカ経済に悪影響を及ぼした。その結果、従来の中産階級の仕事が減少し、生産性の上昇率の低い低賃金の仕事が、主として増加している。結果として、国全体の労働生産性の上昇率低下と所得の格差拡大が進行している。これは、金融政策では解決しきれない構造問題である。しばらくの間、アメリカ経済の実態は、マクロの統計数字が示す以上に、厳しい状態に置かれることになると考える。しかし、アメリカは、移民の流入による人口の増加、シェール革命の進行によるエネルギー価格の低下という恵まれた将来が待ち受けている。中長期的には、アメリカ経済が再活性化する可能性は高いと思う。

何度か書いてきたように、私はインフレターゲット論者ではない。モノのインフレだけではなく、資産インフレ、為替レート、実質GDP成長率などの多くの指標を最適化することが必要であると考えているからだ。現時点で何が一番重要かと問われたらならば、為替レート、すなわち円安誘導が最も重要だと答える。あえて過激な提案をするならば、為替レートを1ドル=100円ではなく、200円までの誘導を目指すべきである。日本の多くの「電気機械」に属するメーカーは、輸出メーカーとしては壊滅寸前である。現在の政策の延長線上では、ソニー、パナソニック、シャープは、企業としては生き残るであろう。しかし、10年後の姿は、社内に小規模な生産部門を抱えた、輸入商社へと変身している可能性が高い。また、老舗の大手電機メーカーに替わりうる新興の電機メーカーが台頭する姿も見えない。輸入商社に変身しつつある企業を、再び輸出メーカーへと変身させることは、市場原理では不可能である。輸入商社に変身しつつある企業を、再び輸出メーカーへと変身させるためには、多くの政策を動員することが必要である。その中で最も分かりやすい政策が、1ドル=200円までの円安誘導政策である。まず、円高メリット論は、完全な間違いである(*2)。また、1ドル=200円になると、多くの尺度で測った円相場の水準は、円安と判断されるであろう。それでも、BISが発表している長期の実質実効為替レートを使うと、依然として円高と判断される(*3)。ソニー、パナソニック、シャープが、昔のような輸出メーカーに再変身することができるのであれば、業種としての「電気機械」の生産性の急上昇が続く中で、国内での新工場の建設、雇用と輸出の拡大は必至である。「電気機械」以外のメーカーも、同様に国内に新工場を建設し、雇用と輸出を拡大することになる。労働生産性の上昇率の高い業種から、労働生産性が低下する業種への大規模な雇用の移動が止まり、反対に、労働生産性が低下する業種から、労働生産性の上昇率が高い業種へと、大規模な雇用の移動が始まるのである。この結果、日本全体の労働生産性の上昇率が高まり、労働力人口の減少率を上回って、潜在成長率も上昇するのである。アジア周辺の諸国は、大規模介入という手段により、大幅な自国の通貨安誘導に成功している(*4)(*5)。日本の場合、介入は政治的に不可能である。従って、1ドル=200円を実現することは、簡単なことではないが、不可能であるとも言い切れない。日本国内に大量に蓄積された円貨建ての金融資産を、海外の外貨建て資産へと向かわせることができれば良いのである。こうした円貨建て資産から外貨建て資産への大規模な移動は、「キャピタルフライト」と呼ばれることが多い。キャピタルフライトを引き起こすための具体的な手段の一つとして、異次元金融緩和の大幅な拡大は、有力な選択肢の1つになる。キャピタルフライトの発生に成功すれば、1ドル=200円は夢ではなくなる。異次元金融緩和の大幅な拡大の場合、日銀が国債を大量に購入するので、長期金利の上昇率は、小幅なものにとどまるであろう。看板は大規模な金融緩和、しかし、裏では、大規模なキャピタルフライトによる1ドル=200円までの円安誘導を目指すのである。為替介入ではなく、看板通りの金融緩和を続ける限り、欧米諸国も日本を批判しにくい。先に記したように、この案が過激な提案である理由は、2%を上回るインフレ発生などの、痛みを伴う政策であるからだ。しかし、1ドル=200円が現実化した場合、日本経済の成長エンジンの中心部にある電気機械産業、製造業は、壊滅から大幅な成長へと回帰することになる。日本の実質GDP成長率も、確実に上昇するであろう。痛みを大幅に上回る経済成長という果実を獲得する、大変意義のある政策になることは間違いない。

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労働生産性と潜在成長率の低下(*1)
円高メリット論に対する反論(*2)
円の実質実効為替レート 継続する超円高(*3)
購買力平価から見た円相場 対アジア諸国(IMF)(*4)
超円高の原因と産業の空洞化(*5)




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シャープと日本液晶産業の将来

シャープが中国の中国電子信息産業集団有限公司(CEC)と提携し、中国でIGZOパネルを生産することを発表した(2013年6月27日)。従来のシャープについての報道は、いかにして赤字の発生を食い止め、目先の資金を確保するかについてのものが、ほとんどであった。今回、久々に、守りではなく、攻めについての報道がなされた。現在のシャープは、収益の黒字化の継続や、来年9月の社債の償還までの資金繰りも、ある程度目途が立つようになったのであろう。おそらく、近い将来、倒産や外資の軍門に下る可能性は、多少は低くなったと考えられる。

シャープのCECとの提携は、CECが92%、シャープが8%出資する資本金2800億円の合弁会社を作ることである。そして、シャープのIGZOパネルの製造技術を合弁会社に供与し、そのライセンス料の一部を8%の出資(220億円)に充てる。シャープは、IGZOパネルのライセンス料と、製品の一部の販売から得られる収入、合弁会社の配当金の8%を獲得することができる。一方、CECは、ライセンス料と引き換えにIGZOパネルの技術を獲得し、子会社の工場で製品の製造を行い、自社でも製品の一部を販売し、子会社の配当金の92%を獲得することができる。シャープが受け取る付加価値は、全体の一部であり、付加価値の大部分は、CECが受け取ることになる。合弁会社の設立に、シャープは1銭の金も出さず、資金は全額CEC負担であるので、技術を提供するだけのシャープの取り分が少なくなって当然であろう。これは、事実上、シャープが、門外不出の「ウナギ屋の秘伝のたれ」と考えていたIGZOパネルの技術を、中国の国営企業に、安めの価格で売却することを意味する。この結果、シャープは、企業としては生き残ることができるであろう。しかし、ものづくり産業としての日本の液晶産業は、今後、壊滅へと向かうことになるであろう。

ネット上では、最先端技術を中国企業に譲り渡したシャ-プを非難する声が上がっている。私は、残念だが、シャープに残された道はこれしかなかったと考える。過去の経緯を考えると、シャープが、現在、最先端技術を中国に売らざるをえないような状況に追い込まれていることを理解できるからだ。シャープは、日本の政府・日銀の誤った円高容認政策と、無能な経営者が堺に巨大な液晶工場を作って大赤字になったという誤った世間からの非難のため、国内に大工場を二度と作ることができなくなってしまったのである。

私は、シャープの堺工場への投資は、誤りではなかったと考えている。現に、韓国、台湾のライバル企業は、シャープの何倍もの生産能力を持つ液晶工場を建設している。それらの工場は、黒字か小幅な赤字を生みながら、現在も稼働している。液晶技術では世界一のシャープは、本来なら、大量の液晶テレビを生産販売していてもおかしくはなかったのである。しかし、2010年に堺工場がフル稼働してからも、シャープの海外での液晶テレビの販売不振は続き、2011年3月に国内の地デジ特需が消えると、国内販売も減少した。そのため、堺工場では、在庫が積み上がり、生産数量も大きく減少した。このようになった理由は、韓国、台湾の企業が販売する液晶テレビと同じ価格でシャープが液晶テレビを販売した場合、シャープには確実に赤字が発生するからであった。堺工場の生産コストが、韓国、台湾のライバル企業より高かったのである。しかし、第10世代という世界で最新の技術を使い、生産性の高い堺工場の生産コストが、旧式の工場より高くなる方がおかしいのである。生産コストが高くなったのは、リーマンショック後、超円高・韓国ウォン・台湾ドル安が進行した結果である。そして、為替レートがそのように動いた理由は、日本の政府・日銀の誤った円高容認政策と、韓国、台湾の自国通貨安誘導政策、最近よく使用される言葉を使えば、為替操作があったからである。無能であるのはシャープの経営陣ではなく、日本の政府・日銀であった。シャープの経営陣の犯した数多くの失敗は、何度も繰り返し報道されてきた。しかし、シャープの経営陣がどんなに優秀であったとしても、結果はあまり変わらなかったと思う。リーマンショック後の超円高により、日本の大半の輸出企業は損害を受けた。シャープをはじめとする日本の電気機械産業は、国内において比較劣位(韓国、台湾の電気機械産業は国内で最強であり、比較優位を持つが、日本の電気機械産業は輸送機械産業、一般機械産業と優劣の差は無く、国内で最強とは言えないため、比較劣位となる)に位置していたので、円高の打撃を最も大きく受けただけであるからだ。


購買力平価で見た東アジア諸国の通貨の割高・割安度合い

上記のグラフが示すように、韓国、台湾の通貨の為替レートは、IMFの購買力平価で見ると、日本円より常に大幅に安い状態が続いている。本来なら、バラッサ・サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)と言って、途上国から先進国へと経済成長を遂げるにつれて、通貨価値が上昇する傾向が見られるのである。その具体例は、日本円であり、1971年の1ドル=360円から現在までに、大幅な円高となっている。しかし、韓国、台湾の通貨は、経済成長と共に、通貨価値が上昇することはなかった。

購買力平価で見た超円高の原因

上記の表で示すように、韓国、台湾の外貨準備の対GDP比率を見ると、日本を大幅に上回っている。その理由は、韓国、台湾の政府・中央銀行が、大量の自国通貨売り外国通貨買い介入を長年行ってきたからである。韓国は、1997年のアジア通貨危機と2008年のリーマンショックの時、通貨ウォンが投機筋に大規模にカラ売りされ、大幅な通貨安となった。その時、韓国の政府・中央銀行は、外国通貨売り・ウォン買い介入を行った。しかし、それ以外の期間において、韓国の政府・中央銀行は、スムージングオペレーションと称して、大規模な外国通貨買い・ウォン売り介入を実施し、ウォンレートが上昇する速度を最低限に抑制してきた。台湾はもっと露骨であり、台湾中央銀行がより大規模な外国通貨買い・台湾ドル売り介入を実施し、自国の通貨価値の上昇を抑えてきた。そのため、外貨準備の対GDP比率は85%と、日本の比率の約4倍もある。一方、購買力平価ベースの一人当たりGDPは、台湾は日本を少し上回っており、韓国は日本を少し下回っている。先に示したバラッサ・サミュエルソン効果によると、経済成長が進むにつれて、その国の通貨価値は上昇するのが普通である。従って、購買力平価ベースの一人当たりGDPに大きな差のない日本と韓国、台湾の通貨価値に、ここまで大きな格差が生じた理由は、韓国、台湾の政府・中央銀行による長期間かつ大規模な為替操作の結果、韓国、台湾の通貨価値の上昇が抑えられ続けてきたからである。本来、日本と等価であってもおかしくない韓国、台湾の通貨価値は、為替操作によって、日本より大幅に低い水準に押しとどめられていたのである。

リーマンショック前の2007年には、韓国ウォンの購買力平価は対円で20%安、台湾ドルの購買力平価は対円で46%安と、両国の通貨は、割安度合いが若干減少していた。つまり、2007年の時点においてさえ、韓国ウォン、台湾ドルの価値は、日本円よりも割安に操作されていたのであった。この時期を、超円安、円安バブルと表現するエコノミストがいるが、誤った理解である。当時ですら、少なくとも、韓国ウォン、台湾ドルに対して、円は割高であったのである。本来は、韓国ウォンも、台湾ドルも、その後、日本円と等価の方向に向かうべきであった。それが、リーマンショック後に、日本の政府・日銀の誤った円高容認政策と、先に示した韓国、台湾の政府・中央銀行による為替操作により、2012年には、韓国ウォンの購買力平価は対円で44%安、台湾ドルの購買力平価は対円で59%安と、超円高・韓国ウォン・台湾ドル安の状態に戻ってしまったのである。

「液晶はコモディティ化した」とよく言われる。コモディティ化する製品を作ろうとすること自体が、そもそも大間違いであるという意見は多い。私は、コモディティ化の定義を2種類に分けて考えるべきだと思う。1つは、ライバル企業が韓国、台湾である製品である。液晶がその代表である。この場合、日本が価格競争に勝てない理由は、日本の政府・日銀の誤った円高容認政策と韓国、台湾の政府・中央銀行による為替操作が原因である。日本の政府・日銀が、超円高・韓国ウォン・台湾ドル安の進行を阻止していたならば、液晶価格は下落したとしても、シャープを中心とする日本勢は、韓国、台湾勢に、価格面で負けなかったはずである。この場合、コモディティ化で大赤字を出す企業は、おそらく、韓国か台湾の技術力の劣った企業であったであろう。コモディティ化したとしても、日本企業は赤字に陥らないはずであるから、その製品の生産を続けるべきである。シャープの液晶テレビは、価格は下がったとしても、利益を上げることができたはずであるのだ。

もう1つのコモディティ化は、ライバル企業が中国企業である場合だ。最初に示したグラフを見て分かるように、中国人民元の為替レートも、対円で大幅に安く推移してきた。中国も、韓国、台湾と同様に、為替操作を行ってきたのである。しかし、中国の場合、人民元の為替操作がなかったとしても、経済の発展段階の差としての賃金格差は残る。製品価格が下落し、原因が中国企業の製品である場合、日本国内で製造された製品は、品質に大きな差が無い限り、中国との価格競争に勝つことは難しい。中国企業が先導した結果、コモディティ化するいくつかの製品は、日本は製造を放棄するしかない。日本国内の携帯電話、スマホの製造工場は、現在、続々と閉鎖されつつあるが、これはあきらめるしかない。アップルが中国で、サムスンがベトナムで大量生産する製品に、メイド・イン・ジャパンの製品が打ち勝つことは、大変困難である。

シャープは、IGZOパネルという業界最先端の技術を保有している。理想論を言えば、政府が産業革新機構を通して2800億円の資金を用意し、シャープと合弁会社を作り、その合弁会社に92%出資し、残りの8%をシャープに融資し、その融資を原資として、シャープが合弁会社に8%出資すべきであった。そして、その合弁会社が、日本国内に工場を作るのである。そうすれば、日本国内での設備投資が増加し、雇用も増え、技術の海外流出も防ぐことができたはずである。これは、設備投資の拡大につながり、第三の矢である成長戦略の一部を形成することになっていたであろう。しかし、それは、夢の話である。

まず、世論の多数が、シャープの大赤字の原因は、経営者が無能であったことであると考えており、そのような無能な経営者が経営する会社に、2800億円もの資金を政府が出すことは全くおかしい、という批判が必ず出てくる。加えて、市場原理主義者たちは、シャープの経営者が有能、無能にかかわりなく、民間企業の設備投資に政府が金を出すという発想自体がおかしい、と批判したであろう。経済産業省は、背後でシャープを支援していたが、そうした批判を恐れて、シャープに対して、日本国内に工場を建ててもらうという産業政策を打ち出すことができな
かったと考える。

その結果、シャープは、日本政府に頼ることができず、その代わりに中国政府が100%出資するCECという会社に頼ることを決断した。IGZOパネルの技術を、事実上、売却するような決断であるが、IGZOパネルの技術が陳腐化すれば、宝の持ち腐れとなるので、売るなら早めに決断した方がよいとの判断であろう。日本経済新聞の解説によると、CECは、中国政府がIT戦略の中核企業と位置付けている会社だそうだ。中国のIGZOパネル製造工場は、日本の先端技術と中国のコスト競争力の合体した、大変競争力の強い工場となることは間違いない。韓国、台湾のライバル企業は、従来、小型液晶を国内で生産していた。しかし、この日中連合に勝つためには、小型液晶の工場を中国に移して、安く生産するしか方法がない。今後は、大型液晶と同様に小型液晶においても、中国に製造工場が続々と建設されることになるであろう。現在、小型液晶の世界最大手であるジャパンディスプレイは、日本の国営企業であるが、ブレークスルー(技術の飛躍的な進歩)がない限り、日本国内生産では価格競争力を失う。ジャパンディスプレイは、ライバル他社と同様に、工場を中国に移すしか生き残る方法がなくなる。

現在、中国では、テレビ用の大型の液晶パネル製造工場が続々と稼働し始めている。CECの別の子会社は、台湾企業との合弁で、堺工場と同じ第10世代の工場を建設中である。そうした工場が稼働し、歩留まり率が高まれば、従来は、60インチ以上の大型液晶パネルの製造については価格競争力を保持していた堺工場も、競争力を失う。シャープとしては、そうなるまでに、1枚でも多くの大型液晶パネルを作って販売し、投下資本を回収するしか手の打ちようがない。遠くない将来、シャープ、ジャパンディスプレイ、パナソニックの日本国内の液晶工場は、すべて閉鎖に追い込まれ、その一部が、中国へと移転することになるであろう。日本国内のものづくり産業としての液晶産業は、壊滅する可能性が高い。

現在、技術革新は、様々な分野で進行しているが、目に見えるほど速い技術革新は、エレクトロニクス、電気機械産業の分野に集中している。iPS細胞を使った治療技術が進歩し、実際に多くの分野で治療法として確立し、その市場規模が大きなものとなるまで、まだ10年単位の時間が必要であろう。足元で急速な技術革新が起こっている分野は、IT、デジタル家電などのエレクトロニクス、電気機械産業の分野が中心である。日本の悲劇は、いくつかの産業で資金は余っていても、技術革新の速度が遅いのでめぼしい投資先が少なく、資金が企業に積み上がるという現象が起こっている。一方、電気機械産業では、技術革新の速度が速く、潜在的な投資需要は非常に大きい。しかし、資金が大幅に不足していること、依然として円が割高であること、超円高の再発に対する不安があることなどにより、投下資本が回収できるか、経営陣は自信が持てないのである。加えて、次に失敗した場合、再び袋叩きに会うことは確実である。結果として、日本で開発された優秀な電気機械産業の製品は、日本企業の中国工場で生産されるか、中国のEMSに生産を委託されるか、中国企業に技術を売却するなどの形を取る結果、日本国内での設備投資に回らない可能性が高い。その結果、日本の技術革新の果実の大半は、技術レベルの水準がまだ低い中国が受け取ることになる。こうした最も技術革新の速度の速い日本国内の電気機械産業の空洞化現象は、日本経済の潜在成長率の低下に、大変大きく寄与する。脱工業化社会を唱える人は増えているが、脱工業化社会は、現段階では、まだ夢である。夢が現実化するまで、相当な時間がかかるか、永遠に来ないかもしれない。現時点においては、現存の製造業を成長発展させるしか手段はない。

日本の技術革新の果実の多くを、従来以上に中国が受け取る構造が強まることが良いはずがない。日本の技術革新の果実を日本自身が受け取ることのできる構造へと、日本経済の構造を再び転換させることが必要である。日本のものづくり産業としての液晶産業は、いずれ壊滅するであろう。今後は、壊滅するものづくり産業を、可能な限り少なくなるようにする必要がある。日本の電気機械産業の没落の原因は、企業経営に問題があったからではなく、超円高・韓国ウォン・台湾ドル安が原因であったものが多い。超円高・韓国ウォン・台湾ドル安の原因は、日本の政府・日銀の誤った円高容認政策と、韓国、台湾の政府・中央銀行による為替操作が原因であった。超円高によって、日本の電気機械産業は、取り返しのつかない大損害を被った。二度と円高に戻すことがあってはならず、可能な限り円安へと誘導、維持することが、日本の経済成長の前提条件として必要である。電気機械産業が弱体化した原因は、外国の政府・中央銀行による為替操作という市場原理以外の要因が大きく寄与していた。従って、日本政府が産業革新機構などを通じて、電機メーカーに出資、融資の形で援助をすることは、非常事態として許されるべきである。補助金ではなく、出資、融資であるので、プロジェクトが成功したならば、元本+アルファの資金が日本政府に戻り、財政再建にも寄与する。上記のような考え方が日本国内で広まったならば、日本の電機メーカーで何らかのブレークスルーが起これば、政府が援助することにより、新しい工場が、中国ではなく、日本国内で建設されることになるであろう。円安という環境下で、電気機械産業でいくつかのブレークスルーが起こったならば、日本国内での工場建設が増加し、日本の技術革新の果実の多くを、中国ではなく日本自身が受け取ることが可能になる。そうなって初めて、日本の潜在成長率は、再び上方へと移動することが可能になる。日本は、液晶産業で失敗した経験から正しい教訓を学び、日本の製造業を維持し、発展させ、経済成長率の向上を図るべきである。

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