株式市場のバブル論からヒステリシス論への転換

アベノミックスは、バブルを引き起こし、景気回復を図る政策であると批判されることがある。バブルの結果としての景気回復であるならば、次に発生するバブル崩壊後に、大変痛い目にあることが確実であるからだ。

この意見が正しいならば、諸外国に比べて、日本の株価の上昇率は高すぎることになる。ネット上で世界の長期の株価指数が入手可能なサイトは、Yahoo Finance USAである。そこから取り出すことのできる1984年4月以降の日・米・英の3ヶ国の代表的な株価指数の動きを見ることにする。


日米英の株価の推移

日本の株価の上昇率は、米英と比較して圧倒的に劣っている。日本がバブルであるならば、米英では、いずれもより大きなバブルが発生していることになる。

この他にネットで入手可能な株価データとしては、MSCIが算出する世界各国の株価指数がある。世界中の主要な機関投資家が、株のグローバル運用を行う場合、MSCIの指数をベンチマークとして採用することが一番多い。MSCIの指数は、世界の先進国、新興国を幅広く網羅しており、一番古い指数は、1969年12月から算出されている。MSCIの指数は、ネット上にも掲載されている(クリックして、さらに下から三行目のAGREEをクリック)。しかし、MSCIの指数は、MSCI・バーラ社の重要な知的財産なので、見ることはできても、無許可で転載することができない。従って、グラフをお見せすることはできない。

MSCIの指数で、1984年4月にまでさかのぼってデータが存在する国は、20ヶ国ある。その20ヶ国の1984年4月-2013年5月の株価上昇率を調べると、トップは香港、アメリカが第5位、イギリスが第12位、日本は第20位、すなわち最下位である。また、MSCIの指数が存在する先進国、新興国の43ヶ国の株価指数の大半は、2000年のITバブル崩壊の直前、2007年のアメリカ住宅バブル崩壊の直前、直近、という3つの期間に株価のピ-クをつけている。日本は1989年12月が株価のピークであり、例外に属する。日本の仲間としては、日本よりピークが少し早かったニュージーランド、日本よりピークが少し遅かった台湾があげられる。しかし、ニュージーランド、台湾は、いずれも株の配当利回りが高く、配当を考慮した投資収益率を見ると、日本は、直近がピーク比で大幅なマイナスであるのに対して、ニュージーランド、台湾は、直近がピークである。昨年11月-今年5月の期間、日本の株価は急上昇したわけであるが、世界各国の長期の株価指数の動きと比較すると、今年5月末の日本の株価は、バブルとは正反対であり、世界の中で最も株価低迷が長引いている国であることは、間違いない。

株価の過去最高値からの下落率を見ると、日本よりも、ギリシャを筆頭とするユーロ圏に属する6ヶ国の方が、下落率が大きい。しかし、こうしたユーロ圏諸国の株価下落が継続している期間は、日本より短い。加えて、ユーロ圏諸国は、現在、深刻な景気後退の最中にあるので、景気回復の時期にある日本とは、事情がかなり異なる。

昨年11月ー今年5月の日本の株価上昇を見て、バブルと主張する人たちは、海外の株式市場と比較した場合、日本の株価が、あまりにも長期間低迷し過ぎているという視点が欠けている。同時に、この期間、国内投資家は株を大幅に売り越している。加えて、長期の株価下落が経済全体に及ぼす悪影響を、低く評価しすぎている。一部の金持ちが資産を減らすだけではないことを、後で示す。

1878年に東京株式取引所が設立されて以来、日本経済が最も危機に陥った年は、1945年であった。第二次世界大戦以前の株価は、1943年にピークを打ち、その後下落に転じている。しかし、その時、政府は戦時金融公庫という組織を作り、株価の買い支えを行っていた。そのため、戦局が悪化する中でも、株価の下落はごくわずかであった。3月10日の東京大空襲で、取引所のある兜町近辺も大きな被害を受けた。それでも、3月17日から、終戦直前の8月12日まで、取引所での株の取引は続けられた。その際、戦時金融公庫に加えて、取引所自らが、国家資金を使って、株価の買い支えを実施し、株価の下落を阻止していた。東京大空襲の時点で、日本経済はほとんど崩壊寸前であったと思う。時の政府は、終戦直前まで、株価の下落と株式市場の閉鎖がより大きな経済の混乱をもたらすことを避けるために、株の無制限購入を行い、株価下落を防ぎ、取引所の機能を維持していた。時代は戦時下の統制経済の時期であったが、株式市場が日本経済に占める地位は、現在より低かった。そうした環境下において、株価の下落を阻止し、取引所の機能を維持することは、日本経済にとって、重要な政策だということを、時の政府は理解していたのである。

日本は、1989年以降、23年以上の間、株価は、傾向としては下落し続けている。仮に、こうした状況が将来もずっと続いたと仮定するならば、どのようなことが発生するであろうか。いくつかのシナリオが考えられるが、そのうち、極端であるため、わかりやすい3つのシナリオを取り上げる。一番目のシナリオは、バブル崩壊以降ずっと続いている海外投資家の買い越しvs国内投資家の売り越しのパターンが継続し、日本企業の株の大半が、海外投資家の手に渡ることである。この場合、海外投資家が大株主となった日本企業の何割かは、海外の企業に吸収合併されるか、本社を海外に移し、東証での株式上場を廃止し、海外の取引所で海外の企業として株が売買されることになるであろう。企業の機能も、日本支社に必要なものを除いて、日本から海外へ移転することになる。二番目のシナリオは、いくら買っても株価が上昇しない日本の株式市場に幻滅を感じ、海外投資家が日本株を大量に売り始めることである。この場合、日経平均株価は、スパイラル的に下落することになる。国内投資家が、際限なく下がり続ける株を、いつまでも保有し続けることはできない。その上、株価が際限なく下落した場合、上場廃止基準に抵触し、多くの企業は上場廃止に追い込まれるであろう。上場廃止となった企業の何割かは、投資家が、未上場のまま株を保有し続け、経営を続けるであろう。しかし、残りの企業は、解散させられ、財産を株主に分割して返還され、企業は消滅してしまうであろう。三番目のシナリオは、第二次世界大戦中のように、政府、あるいは、それに準ずる機関が、株の無制限購入を行うことである。この場合、上場企業の大部分の大株主が、実質的には日本国政府になる。株価が反転上昇したとしても、政府が、株を売却する意向を示せば、再び株価は低迷し続けることになる。株価の長期下落が続いた場合、上記の分かりやすい極端な三種類のシナリオが発生する可能性は低いが、三種類のシナリオが様々な組み合わせで混じりあったシナリオが発生する可能性は、高いと思われる。いずれのシナリオが発生しても、日本経済が正常な形で成長する姿は想像できず、日本経済が大打撃を受けることは間違いない。

以前、国内投資家は、株価が上昇すれば、必ず株を売るという行動に出る結果、株価が本当に上がりにくくなる、「株式市場のヒステリシス」(*1)という現象が日本で発生していることを説明した。20年以上、株価が低迷するという環境下においては、株価の戻り局面で株を売るという行動をとることが、株で儲けようとする国内投資家にとっては、必要かつ正しい行動であるからだ。その結果、日本の株価は、本当に上昇しにくくなってしまったのである。前回、記したように、昨年11月第2週以降の27週間の株高局面で、海外投資家の9.9兆円の買いに対して、国内投資家は、それと同金額の株を、過去最高の速度で売却してきた。これは、「株式市場のヒステリシス」が発生していることの明確な証拠である。しかし、それを放置し続ければ、先に示した株価下落のシナリオのように、日本経済が大打撃を受ける道へと進んでいく可能性が生じる。

4月4日に決定された異次元金融緩和は、株価の上昇を維持することも、目的の一つであったはずである。異次元金融緩和が20年前に実施されていたならば、「株式市場のヒステリシス」が発生することを、100%の確率で防ぐことができた。しかし、「株式市場のヒステリシス」が発生し、定着してしまった後において、異次元金融緩和を実施しても、「株式市場のヒステリシス」から抜け出すことが可能であるかどうかは、わからない。前回、異次元金融緩和の結果、日本株に関しても、遠くない将来、国内投資家が株を買い始めると書いた。この場合でも、国内投資家は、株価の下落局面で、株の買い越し金額を増やし、株価の上昇局面で、株の売り越し金額を減らすことまでしか、確実に期待することはできない。株価が戻り高値を更新するためには、依然として、海外投資家の買いが必要になるかもしれない。「株式市場のヒステリシス」から抜け出すことに成功するかどうかは、現時点では明らかではない。

従って、現在の異次元金融緩和だけでは、「株式市場のヒステリシス」から抜け出すことができず、異次元金融緩和の第二弾が必要になるかもしれない。しかし、インフレ率が2%に近付けば、異次元金融緩和の第二弾を発動することができなくなる。それ以外に、「株式市場のヒステリシス」から抜け出す手段として、投資家の株式市場についての認識や理解を変えてもらうという方法がある。現在の日本は、「株式市場のヒステリシス」という、大変重くて危険な病をわずらっているということを、日本の多くの投資家に理解してもらうことである。まず、昨年11月以降、株価が急速に上昇したのは、日銀の金融緩和によって余った資金が株式市場に流れ込み、バブルが発生しているという考え方は、完全に間違っていることを、理解してもらう必要がある。昨年11月以降、国内投資家の資金は、過去最高の速度で株式市場から逃げ出していたのである。直近の株価の水準も、諸外国の株価と比較した場合、非常に低い水準にあることは、先に示した通りである。また、昨年11月以降の株価上昇は、海外投資家が日本株を買っているだけである、と正しく理解している人も増えている。しかし、その理解は正しいけれども、十分な理解ではない。国内投資家が過去最高の速度で株を売却するという、「株式市場のヒステリシス」が発生しており、放置したならば、日本経済が大打撃を受ける可能性があるというところまで、理解を深めてもらう必要がある。

株価というのは、単に、企業収益だけで決定されるものではない。投資家の株式市場に関する現状認識や先行きの予想に大きく左右される。バブル崩壊後、国内投資家は、企業収益が改善し、株価が上昇する局面で、株を大規模に売却し、企業収益が悪化し、株価が下落する局面で、株を小規模に購入してきた。現在直面している大問題が、「株式市場のヒステリシス」であり、放置した場合、日本経済が大打撃を受ける可能性があるという理解が、多くの国内投資家に広まる必要がある。そうなれば、株価が上昇した場合、従来のように簡単に株を売ることを躊躇する国内投資家が増えると思う。「株式市場のヒステリシス」から抜け出すためには、何が必要かを真剣に考える国内投資家が増えると思う。「株価が上がれば株を売る」という国内投資家の凝り固まった行動パターンに変化が生じれば、その時、「株式市場のヒステリシス」から抜け出すことが可能になる道が開けるのである。

「株式市場のヒステリシス」から抜け出すことに成功し、株価の上昇が継続したならば、その時は、景気回復の結果、企業業績は改善し、名目、実質のGDPは増加してくることになる。その段階まで達することができたならば、株価がファンダメンタルズをこえて、さらに上昇するという本物のバブルが発生しないように、株価をコントロールする必要が出てくる。その手段としては、金融引き締め政策への転換ではなく、増税という財政政策を使うことが、正しい政策であると考える。

現時点においては、多くの国内投資家に、現状の認識、理解を、「株式市場のバブル論」から「株式市場のヒステリシス論」へと変えてもらうことが必要である。日本の株価は、上がることが問題なのではなく、上がりにくい強固な構造が出来上がってしまっていることが、真の問題なのである。その認識、理解が広まれば、脱出が困難な「株式市場のヒステリシス」から抜け出す道が、先に見えてくるのである。

関連記事
株式市場のヒステリシス(*1)

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量的緩和がもたらすマイナスのポートフォリオ・リバランス効果

前回、昨年11月14日以降、猛烈な勢いで日本株、外国株、外国債券を売り越してきた日本の国内投資家が、今後、日本株、外国株、外国債券を買い越し、円安・株高が続く可能性があると書いた。今回は、その根拠について説明してみたいと思う。

経済や株式、為替市場の分析はいろいろとできるが、その先行きを予想するのは難しい。株価や為替レートについては、効率的市場仮説という有力な理論がある。乱暴に言い換えるならば、相場の先行き予想不可能論という理論である。そうした学説が有力であるほど、予想は難しい。また、予想をするならば、重要な論点をすべて解明してから予想すべきなのであるが、今回は、難しいいくつかの重要な論点を、とりあえず無視することによって、予想をしている。さらに、今回使用する財務省の国際収支統計は、正確性に欠けると少し前に批判したばかりの統計であり(*1)、正確性の少し欠けるデータに基づいた予想でもある。従って、厳密な分析に基づく予想ではなく、考えられる有力なシナリオの一つの提示というくらいの感じで受け取っていただきたい。

まず、野田前総理の衆議院解散発言があり、アベノミックス相場の出発点ともいえる、昨年11月第2週から、株式相場がピークを打つ直前の、今年5月第3週までの日本株の投資部門別売買状況のグラフを示す。


投資部門別売買短期

見ての通り、外国人すなわち海外投資家の買い越しが9.9兆円であり、ダントツの買い越し金額となっている。国内投資家は、信託銀行、個人を中心に総売りの状況である。ただ、この傾向は、バブル崩壊後の20年以上の間、変わりなく続く傾向でもある。バブル崩壊後の1991年から今年5月末までの日本株の投資部門別売買状況のグラフを示す。

投資部門別売買長期

海外投資家の買い越しが81.5兆円であり、やはりダントツの買い越し金額である。国内投資家は、信託銀行が多少の買い越しになっている以外、個人を始めとする投資家は、すべて売り越しである。量的緩和の強化が、海外勢の買いvs国内勢の売り、という従来の構造の拡大を通して株高を引き起こすという状況は、以前から、(*2)で指摘し、そうならざるをえない理由を(*3)で指摘していた。ただ、今回の海外投資家の買いは、27週の間に9.9兆円の買い越しである。過去を調べてみると、27週という期間に海外投資家が日本株を買い越した最大の金額は、2005年7月第1週-2006年第1週の27週間に7.8兆円の買い越しというのが従来の記録であった。その過去最大の記録を、今回は、上回ったのである。

量的緩和の強化により、日本株については、国内投資家が売り越し金額を拡大させることは、事前の予想通りであったが、予想外の事態も発生した。国内投資家が、大挙して売り越し始めたものは、日本株だけではなかったことである。国内投資家の外国株と外国債券の売買のグラフを下記に示す。


外株買い越し額

外債買い越し額

国内投資家の外国株式売買の金額は、
1996年1月-2013年5月  34.6兆円の買い越し
2012年11月-2013年5月  4.9兆円の売り越し

国内投資家の外国債券売買の金額は、
1996年1月-2013年5月  193.6兆円買い越し
2012年11月-2013年5月   7.6兆円兆円の売り越し

国内投資家は、従来、大幅な買い越しであった外国株、外国債券を、昨年11月以降、合計12.4兆円も売り越している。

国内投資家が、日本株、外国株、外国債券を、昨年11月以降、合計22兆円前後売り越した資金は、どこへ行ったのであろうか。従来なら、日本の国債がその有力な移転先であったであろう。

しかし、その国債市場に大きな変化が起こっている。下記に、国債発行残高の純増金額と、日銀保有国債の純増金額を示すグラフを記す。


国債発行残高純増金額

2012年の国債発行残高の純増金額は、31兆円であった。一般会計の建設・特例国債発行金額とは、かなりの差があるが、差があることは、毎年のことである。2012年度の補正後と比べた2013年度の国債発行予定金額については、一般会計の建設・特例国債発行金額は、6.6兆円減の42.9兆円、借換債などを含む発行総額は、10兆円減の170.5兆円、カレンダーベースの市中発行金額は、7.2兆円増の156.6兆円である。国債の償還金額はわからない。従って、2013年、2014年の国債発行残高の純増金額はわからないが、2012年の31兆円から大幅にかい離することも、考えにくい。

一方、日銀保有国債の予定純増金額は、2013年が51兆円、2014年は50兆円である。2013年、2014年の国債発行残高の純増金額が、50兆円をこえる可能性は、低いと思う。ということは、日銀以外の主体が保有する国債の残高は、2014年末までの間は、減少し続けることになる。国債の実質的な発行金額は、マイナスになる可能性が高い。国内投資家が日本株、外国株、外国債券を売った資金を日本国債へと振り向けようとしても、買えない可能性が高い。これは、金利が上昇して、国債価格下落懸念のために買えないか、金利が低下して、国債利回りに魅力がなくなって買えないか、どちらかの状況になるはずである。日銀以外の主体が保有する国債残高は必ず減少するので、融資のできる金融機関以外は、大部分の余資を、利回りが0.1%以下の預金で運用せざるをえなくなる。しかし0.1%以下の預金は、長期間運用する場合、利回りが低すぎる。そのような環境が続けば、値上がりした日本株、外国株、外国債券を売るという戦略自体を、修正する必要が出てくるであろう。すなわち、日本株、外国株、外国債券の売り越し金額を減らす、さらには、押し目を待って買い越しに行くという投資戦略に変更する必要性が生じてくることになる。

中央銀行が資産の購入を通じて、資産価格の変動と資産の移転を促し、景気回復につなげようとする政策の効果は、ポートフォリオ・リバランス効果と呼ばれている。普通のポートフォリオ・リバランス効果は、無リスク資産からリスク資産への資産移転を狙うものである。しかし、昨年11月以降、日本の国内投資家は、ひたすらリスク資産から無リスク資産へと資産を移転し続けてきた。現時点では、ポートフォリオ・リバランス効果は、ゼロというよりも、大幅なマイナスの効果しか顕在化していない。しかし、国内投資家は、いつまでマイナスのポートフォリオ・リバランス効果を維持し続けることができるであろうか。そう長続きはしないと思う。昨年11月から今年5月までの日本株、外国株、外国債券の売り越し金額22兆円というペースは、速すぎたと思う。今後は、日本株、外国株、外国債券の売り越し金額は減少し、価格下落局面では、買い越しに回るケースも増えてくると思う。そう遠くない将来に、ポートフォリオ・リバランス効果は、マイナスからゼロへと向かい、やがてはプラスになることを期待してもよいと思う。このように、国内投資家の投資戦略が変化し、無リスク資産から日本株、外国株、外国債券というリスク資産への移転が始まるならば、その結果、トレンドとしての円安・株高が続くということは、十分起こりえる有力なシナリオの一つになると考える。円安・株高は現在の日本にとって、最も重要な経済成長のエンジンであり、そのトレンドが逆転しないかぎり、景気回復は、今後も進行し続けるであろう。


関連項目
不正確な統計と債券・為替市場の困難な分析(*1)
金融の量的緩和と資産効果(*2)
日本の株式市場のヒステリシス(*3)



テーマ : 経済
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通貨発行益(シニョレッジ)を獲得できない日本銀行

2013年5月29日に、2012年度の日銀の決算が発表された。 (日銀HPより)

日銀決算

昨年後半からの円安により、為替の評価益が拡大し、経常利益は前年比5956億円増の1兆1316億円となった。しかし、外国為替等取引損失引当金を3018億円積み立てたため、当期剰余金は前年比469億円増の5760億円となった。上記の表には書かれていないが、その中から、前年比470億円増の5472億円の国庫納付金が国に納められることになった。この国庫納付金に日銀が支払った
2606億円の法人税を加えた合計8078億円の金額が、通貨発行益(シニョレッジ)とも呼ばれるものの実体である。日本の場合、中央銀行も法人税を支払っているが、中央銀行に法人税が課されず、国庫納付金=通貨発行益となる国もある。また、日本の場合、日銀出資証券の政府保有分に対する配当金も通貨発行益の一部であるが、最近はゼロであり、多い年でも数百万円レベルの金額なので、ここでは無視することにする。

日銀は、通貨発行益の金額が少ない。下記のグラフのように、アメリカのFRBは、日銀よりはるかに多くの国庫納付金(=通貨発行益)を納めている。


通貨発行益


金額ではFRBが日銀を大幅に上回っている。そこで、通貨発行益の対GDP比率を見ることにする。

通貨発行益の対GDP比率

GDPを考慮しても、日銀の通貨発行益の金額は少ない。理由は、日本の金利が全般的に見てアメリカよりも低く、かつ、日銀保有資産の中心が、金利が低く、残存期間が短い国債、貸し出しが中心であったことである。保有金額が大きくても、リスクを嫌って、金利が低い資産を中心に運用して来たからである。加えて、円高が進行すると、わずかばかり保有する外貨建ての保有資産に為替差損が発生し、結果として、通貨発行益の元となる税引前当期剰余金の金額が低迷し続けてきたからである。

一方、アメリカでは、リーマンショック直後、資金がショートし、何もしなければ倒産確実であった多くの金融機関に対して、FRBが直接大量の資金を供給し続けた。しかし、その際の貸出金には、低くはない金利がきちんと付されていたのであった。金融危機が去ると、供給された資金は、次々と返済され続けた。すると今度は、FRBがGSE債や国債という長期で金利も比較的高い資産を大量に購入し続けた。この量的緩和政策に加え、オペレーションツイストという短期債から長期債への乗り換え政策も実施され、金利収入は増加し続けることになった。FRBは、そうして得た巨額の果実を、国庫に納付し続けているのである。リスクを取らない日銀と違って、FRBはリスクを取って、金融危機を早めに終結させ、景気回復を確実なものとしただけではなく、巨額の通貨発行益を獲得し、国家の歳入拡大に貢献してきたのである。

日銀のFRBに対する通貨発行益の少なさは明らかである。しかし、世界にはアメリカの上を行く国がある。以前、台湾の中央銀行が、巨大なバランスシートを維持しながら、経済成長に貢献してきたことを書いた(*1)。台湾中央銀行のHPの中国語サイトには、純利益の項目はあるが、国庫納付金(=通貨発行益)の金額は見つからなかった。しかし、台湾で報道され、日本語に翻訳された週刊東洋経済の中で、台湾中央銀行は、2001年-2010年の10年間に、2兆1000億台湾ドルの国庫納付金を納めていたことが記されている。これは、10年間合計の対GDP比で1.8%である。対GDP比1.8%を同期間の日本にあてはめると、10年間で89兆円、同期間の日銀の通貨発行益(4.9兆円)の18倍である。それだけ巨額の国庫納付金を納め続けることができた理由の一つは、下記に示したバランスシートの大きさである。


BSの対GDP比率

台湾中央銀行は、巨大なバランスシートというリスクを取ってきた。加えて、資産の大部分は、外貨建て資産であり、巨額の為替リスクも取り続けてきた。その結果、台湾ドルは割安に維持され、輸出は伸び、毎年巨額の経常黒字を計上することになった。そして一人当たりの購買力平価ベースでのGDPは日本を上回り、豊かな社会を築くのに成功した。それに加えて、中央銀行の巨額の国庫納付金を通して、国家の歳入増にも貢献してきた。このように書くと、いいことずくめであるように見える。しかし、先に記した週刊東洋経済の記事の表題は、「中央銀行栄え、国滅ぶ台湾、代償大きい最大の公営事業」であり、台湾中央銀行の政策が、国民に豊かさをもたらしていない面が大きいと書かれている。

台湾国民の不満の一番目の原因として、実質金利がマイナスの状態が長く続き、貯蓄が目減りしていることがあげられている。私は、日本が巨額の政府債務を抱えるようになった最大の原因は、デフレの結果、実質金利が高止まりする中で、政府から預貯金、確定利付き債券の保有者に、富が移転するという巨額のデフレ減税が継続して実施された結果であると考えている(*2)。台湾のように実質金利がマイナスとなるインフレ増税こそが、財政再建のために、現在の日本に不可欠な政策であると考えている。

また、台湾の場合、低金利にもかかわらず、株式バブルは発生しなかったが、不動産価格は上昇し続けてきた。台湾国民の不満の二番目の原因は、不動産価格の高騰により、国民が住宅を購入しにくくなったことがあげられている。しかし、その不動産価格の上昇も、過去1-2年の動向を見る限り、天井を打ったように見える。

台湾国民の三番目の不満の原因は、通貨安のために、輸入する原材料価格が上昇し、その結果、輸出の国際競争力を弱めているというものである。この三番目の原因は、100%事実誤認である。本来、日本経済の成長を牽引すべきであった薄型テレビや半導体産業が、韓国勢だけではなく、台湾勢にも完敗した最大の理由は、両国が極端な自国通貨安誘導政策をとってきた結果である。台湾の自国通貨安誘導政策の規模は、韓国を上回っている。今年に入ってから、日本の金融政策は近隣窮乏化政策であるとの非難が巻き起こっている。しかし、過去10数年間の日本経済凋落の最大の原因は、台湾などの多くの東アジア、東南アジア諸国が、国家による巨額の為替介入という自国通貨安誘導政策を採り続けた結果なのである(*3)

少し前までの日本は、「中央銀行と国が、ともに滅ぶ」という状態であった。台湾国民が感じる「中央銀行栄え、国滅ぶ」という実感は、そのように感じる一部の台湾国民が、「井の中の蛙、大海を知らず」であることが最大の原因だと思う。台湾中央銀行の政策は、将来はともかく、過去においては、どう考えても大成功した政策であったことは、間違いない。

G20に属する日本は、台湾と違って、為替介入に大きな制約を課されている。従って、日銀が購入する資産としては、外貨建て資産を除かなければならない。そうなると、日銀の購入資産の中心は、国債にならざるを得ない。日本の場合、現在の金融政策を続けた場合、2014年12月末の日銀のバランスシートの対GDP比率は、60%程度になる。最近、多少低下したとはいえ、対GDP比率で90%以上の規模を維持している現在の台湾中央銀行に比べれば、バランスシートの金額は、まだ小さい。

台湾の金利とCPI

上記のグラフを見て分かる通り、台湾の消費者物価の前年比上昇率を見ると、リーマンショック前の資源価格高騰時には、5.8%まで上昇し、リーマンショックの後にマイナス2.3%まで下落した。その後については、短期のブレは大きいが、2%前後でだいたい推移している。その間、台湾中央銀行のバランスシートは拡大したままであった。そうした環境下で、日本の公定歩合に相当する政策金利を操作することにより、消費者物価上昇率をだいたいにおいてコントロールすることに成功している。やや高めのインフレの期間は短かったし、デフレの期間も、日本より短かった。台湾の場合、中央銀行自らがCDを発行し、大量の為替介入によってばら撒かれた資金を中央銀行に回収するという不胎化政策が採られている。このCDの発行金利はプラスであり、日本における超過準備に対する付利と似たような機能を果たしている。こうした金融システムの下では、実質的には量的緩和の状態でも、金利はゼロにはならない。中央銀行の巨大なバランスシート、低金利、低インフレ、台湾ドル安の中で、経済成長が持続してきたのである。もっとも、将来を考えた場合、巨大なバランスシートがもたらすリスクが小さいとしても、巨額の外貨建て資産の価格が変動するというリスクは存在する。

日本も、今年4月に開始された異次元金融緩和の結果、2%のインフレ率実現が見えてくれば、もう一段の金利上昇は必至であり、その際、日銀保有の国債に対しては、隠れ含み損が発生することは間違いない。出口政策を論じる時に、一旦、インフレと金利上昇が始まれば、止めることが不可能になる、あるいは、日銀が長期国債の売却に追い込まれて巨額の売却損を被り、その結果、巨額の国民負担が生じるという意見がある。台湾の現状は、そうした意見に反論する一つの有力な判断材料を提供してくれる。巨大なバランスシート維持したまま金利を引き上げ、インフレ率をコントロールすることができる道が存在していることを示してくれている。中央銀行の保有資産の多くが国債と外貨建て資産という違いはあるが、インフレ率をコントロールすることができるだけではなく、債券の売却損とは正反対の、通貨発行益を毎年獲得することが可能な道もまた、存在していることを教えてくれている。

アメリカの場合でも、出口戦略の実施時には、保有債券の評価損が出ることは間違いない。ただ、アメリカの場合は、そうした保有債券の評価損という批判に対して、過去の巨額の国庫納付金の合計を考慮すれば、それほど大きな損失にならないという反論がある。日本の場合、同様な反論ができないのは残念である。過去に蓄積された日銀の通貨発行益の金額の少なさは、嘆くしかない。日銀が獲得することができたはずの通貨発行益は、高めの利子率が付く中長期債券の保有者に取られてしまったのである。これもまた、異次元金融緩和が20年前に実施されなかったことにより、日本が多くの物を失いすぎたことの、具体的な例の一つなのである。


関連記事
スイス国立銀行、中国人民銀行、台湾中央銀行との政策比較(*1)
財政赤字とデフレの関係(*2)
超円高の原因と産業の空洞化(*3)

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