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金融抑圧による財政再建 イギリスと日本

現在の日銀が採用している政策は金融抑圧であり、将来はインフレと金利上昇によって破綻へと向かう、という日銀批判を最近よく耳にする。金融抑圧とは、インフレが進行する中、様々な手段を使って金利を低位に押さえ込む政策をとり続けることである。国債金利を上回るインフレ進行を長期間容認し、インフレによる債務帳消しを少しずつ行い、結果として財政再建を実現させるという政策である。現在の日銀による国債の大量購入の結果としての国債金利の低位維持と、2%のインフレ目標の実現は、金融抑圧に属する政策である。金融抑圧による財政再建は、過去において世界にはいくつも例が存在する。今回は、その中でも最も有名な第二次世界大戦後のイギリスの金融抑圧の中身を説明し、金融抑圧という政策が日本で成功するかどうかを考えることにする。

今回使う資料は、イングランド銀行のHPにある“The UK recession in context — what do three centuries of data tell us? "(ここでは「300年のデータ」という言葉で表現する)の中に使用されているデータを主として利用する。リーマンショック後の不況に対して、過去300年間という長期の経済データから読み取れることのできる教訓を見つけるために書かれた論文である。この中で、長期のイギリスのマクロ経済データがいくつも掲載されているので、そのデータを利用することにした。まず、「300年のデータ」から、イギリスの長期にわたる政府純債務の対GDP比率を、直近の日本の比率と合わせて表すグラフを下記に示す。


政府債務GDP

上記のデータは1830年がスタートである。一方、ネット上では、同じ内容のグラフを1692年から掲載したグラフをいくつも見ることができる。なぜ1692年かというと、その前までは、イギリス国王の私的財産と、イギリス政府の公的財産の間に区別がなかったのである。1692年に、国王の私的財産から分離された勘定で、初めて国債が発行されたという学説が有力であるからだ。「300年のデータ」の中にも、政府純債務残高として同じ数字が存在している。しかし、「300年のデータ」の作成者は、政府純債務残高の金額ではなく、1692年-1829年の推定GDPが気に入らなかったようである。そのため、1692年からのものとは異なる推定GDPを使用し、1830年からグラフ化したものが上記のグラフである。

広く使われている1692年からのグラフでは、イギリスの政府純債務の対GDP比率のピークは1821年、260%である。ナポレオン戦争のための戦費調達が原因らしい。しかし、1692年であれ、1830年であれ、その頃の数値は怪しい。2013年の数値は新SNAベースでの一般政府の純債務残高の対GDP比率である。一般政府の純債務を計算することは、2013年でも簡単な作業とは言えない。中央政府分だけでも複雑である。加えて、日本には、都道府県、市町村が合計して約1800も存在する。それぞれの資産と負債を計算し、純債務を算出して1800団体分合計する。これは、現在のようなメインフレームからパソコンまで様々なコンピューターが使える時代においても、簡単とはいえない作業である。1692年の国債残高は、実質的な政府の債務の一部にすぎず、政府保有の債権も考慮されていない。GDPもイギリスで初めて計算されたのは1948年である。それ以前は推計値であり、どこまで正しいかわからない。

いずれにしろ、左寄りの古い時代のデータは参考値として理解し、右に近づくほど正確性が高まると考えるべきであろう。イギリスの政府純債務の対GDP比率が1819年が最高で260%といっても、ほとんど信用できない。1946年の259%も、現在よりは正確性がかなり劣ることは間違いない。それでも1819年の260%と比較すれば、多少は信頼性が高そうなので、259%前後の数字であったと受け止めるしかない。

ここで重要なことは、イギリスで1692年からデータの存在する政府純債務の対GDP比率は、古い時代は信用できないとしても、政府純債務が分子になっており、政府総債務ではないことである。イギリスでは一般政府が保有する金融資産が少ない。従って、純債務と総債務の比率にそれほど大きな差は存在しない。しかし、日本の一般政府は巨額の金融資産を保有している。そのため、2013年時点で、日本の政府総債務の対GDP比率は243%と、1946年当時のイギリス近くになる。しかし、政府純資産の対GDP比率は123%でしかないことである。しかも、2013年は前年から6%も減少している。少なくとも2013年に関しては、ワニの口は閉じられたのである。これは、円安株高が進行した結果、GPIFや外為特会などで保有している金融資産の価格が大きく値上がりしたためである。2013年の日本と1946年のイギリスとを比較した場合、2013年の日本の方がはるかに財政状態は健全なのである。

ただし、日本とイギリスには大きな違いがある、「300年の歴史」のデータから、長期のイギリスの歳出と歳入の対GDP比率を表すグラフを下記に示す。


財政赤字GDP

見てわかるとおり、イギリスの政府債務の増加原因は、戦争の費用である。従って、国家総力戦であった2回の世界大戦が終了すると、財政収支は黒字化しやすかった。平時でも巨額の財政赤字を出し続ける現在の日本とは、決定的に異なっている。

他にも重要な違いがある。イギリスの歳出と歳入の金額を表すグラフを下記に示す。


歳入歳出

金額なので、縦軸は対数にした。イギリスは戦争が終わった直後に、確かに歳出が減っている。しかし、第二次世界大戦後の減少は短期間であり、すぐに増加に転じている。これは、イギリスが第二次世界大戦後に「ゆりかごから墓場まで」のスローガンを現実のものとするために、社会保障関係費を大幅に増やしたからである。第二次世界大戦後も直後の短期間を除いた場合、歳出は増加し続けていたのである。これは現在の日本と同じである。最大の違いは歳入面にある。日本は、バブルが崩壊し、それから20数年もたっているのに、いまだに20数年前よりも歳入金額が少ない。一方、イギリスでは戦争終了後も継続して歳入を増やし続けている。イギリスは、戦争で経済が疲弊した後、その後に大きな政府を目指していたのである。社会保障関連の支出は大幅に増加したのであるが、同時に歳入も同じくらい増やしている。そのため、財政収支は多少の黒字で、プライマリーバランスは大幅な黒字になっている。第二次世界大戦後のイギリスは税収を継続して増やし続けてきた点が、バブル崩壊後の日本と決定的に異なっている。日本政府がバブル崩壊後にいかに歳入を減らしたかは(*1)を始めとして何度も取り上げてきた。

ここからが金融抑圧の話になる。第二次世界大戦後の金融抑圧は、名目GDP成長率をできるだけ引き上げ、国債金利をできるだけ引き下げるという政策である。ここでは、イギリスを代表する国債としてコンソル債(永久国債)の利回りと名目GDP成長率とを比較し、その差を同じグラフに入れて下記に示す。


成長率と金利

コンソル債の利回りは、長期国債の金利の代表と考えてよい。そして「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の差を緑色のグラフで示した。緑色のグラフがプラスになっている時期が金融抑圧期といえる。第二次世界大戦の前から金融抑圧は始まっている。ただし、金融抑圧の大きさは、上記のグラフからは読み取りにくい。そこで、1830年から「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の値を累計したグラフをつくってみた。そのグラフを、政府純債務の対GDP比率のグラフと合わせて下記に示す。

政府債務比率と金融抑圧

赤が、「名目GDP成長率-コンソル債利回り」の累積値である。赤の線が下向きの時期が金融抑圧ではない時期、上向きの時期が金融抑圧の時期となる。金融抑圧は1933年-1980年の48年間続いたと言える。この期間でも、第二次世界大戦の時期は、政府純債務の対GDP比率は大きく上昇している。しかし、第二次世界大戦直後の1946年から1980年まで続いた金融抑圧期には、政府純債務の対GDP比率は258%から49%まで209%も減少している。計算してみると、209%のうち、金融抑圧による減少分と、それ以外、すなわち増税と歳出削減による減少分が、だいたい半々になる。

金融抑圧による債務帳消しの効果は大きかった。問題は、それが永遠に持続可能ではないということである。金融抑圧を示す赤い線の2013年の値は、ほとんどゼロに近い。これは、長期で見た場合、コンソル債の利回り(r)と名目GDP成長率(g)が等しいことを表す。1830年-2013年の184年という長期間において、r=gが成立しているのである。これは、(*2)で説明した成熟した先進国で観察されたr=gという結論とも一致する。なお、ソローモデルやピケティモデルではr>gが結論となる。しかし、ソローモデルもピケティモデルもrは国債金利ではなく、定義の異なる別のものを意味している。従って、名目GDP成長率=長期国債金利は、ソローモデルやピケティモデルとは矛盾しない。ソローモデルやピケティモデルを根拠にして、名目GDP成長率<長期国債金利と主張するのは、経済理論の利用方法が誤っているのである。

長期でr=gが成立する場合でも、1933年-1980年のイギリスのように47年の間も、r<gが成立することがあり得る。しかし、それは永続しない。理由は、金融抑圧を長期間続けると、必ずインフレ率が上昇するからである。金融抑圧とインフレ率を表すグラフを下記に示す。


物価と金融抑圧

1933年-1980年の間の最後の10年くらいは、インフレがひどくなっている。ただ重要な点は、1970年代のインフレは、イギリスだけで発生した現象ではないということである。日本も含め、世界の多くの国で発生している。特に1970年代初頭の好況と、2度にわたるオイルショックは、世界的なスタグフレーションを引き起こした。イギリスのインフレ率のピークは1975年の24%、日本のインフレ率のピークは1974年の23%であり、イギリスは日本のインフレ率を少し上回るだけである。従って、最後の10年間のスタグフレーションに金融抑圧が与えた影響は少ないはずである。1970年代初頭の世界的な好景気や、2回にわたるオイルショックなどの世界共通の原因によるインフレの方が、より大きくインフレ率の上昇に寄与していたはずである。金融抑圧を長期間続けた場合、必ずインフレが発生するが、金融抑圧だけで10%をこえる高率のインフレは、簡単には発生しないと思う。

最後に、政策金利であるバンクレートと金融抑圧の関係を表すグラフを下記に示す。


金利と金融抑圧

金融抑圧の後半では金利がかなり大きく上昇している。ただ、金融抑圧期のイギリスの金利を巡る環境は、非常に複雑である。しかし、この金利環境の差が、金融抑圧期のイギリスと、現在の日本との決定的な差であると考える。

金融抑圧の期間に、第二次世界大戦が発生している。この戦争の前後は、戦時期特有の統制経済が存在していた。さらに重要な点は、ポンドは第二次世界大戦直後において、ドルと金に次ぐ第三番目の基軸通貨であったことである。第二次世界大戦を境に、アメリカ経済はイギリスを圧倒する世界最大の経済大国へと成長した。一方、イギリス経済は戦争を通じて相対的に弱体化した。しかし、依然として大英帝国以来のスターリング経済圏を保持していた。そのため、イギリス国外には多額のポンド建て資産の保有者が存在し、第二次世界大戦直後から1967年までの期間において、ポンドはドルに対して何度も大きく売られるという事件、すなわち通貨危機が発生していた。にもかかわらず、イギリス政府は、基軸通貨であるポンドの価値を維持することを優先課題としていたのである。

政策金利であるバンクレートは、1932年-1951年の間、2%に固定されていた。1951年に2.5%に引き上げられる。この引き上げは、金融政策の復活と呼ばれている。為替の規制も存在していた。ポンドの交換性が回復されたのは、1958年のことである。1958年にポンドとドルの交換が自由化されたわけであるが、それ以前にポンドとドルの交換が禁止されていたわけではない。一定の規制の範囲内で交換は行われていた。第二次世界大戦終了後から、段階的に規制が廃止され、多くの規制が廃止されたのが1958年であったのである。第二次世界大戦直後から、ポンドは多くの規制が存在していたにもかかわらず、常に対ドルでの売り圧力が存在していた。先に書いたスターリング経済圏のポンド建て資産保有者によるポンド売りドル買いである。その売り圧力に絶え切れなくなり、イギリスは、1949年にポンド平価の大幅な切り下げに追い込まれた。

1951年に金融政策が復活したが、その最優先の目的はポンドの価値の維持であった。ポンドはたびたび売り圧力にみまわれたので、そのたびにイングランド銀行は金利の引き上げにより、ポンドの売り圧力を押さえ込もうとせざるをえなかった。それでもポンドの売り圧力はやまず、1967年にイギリスは、再びポンド平価の切り下げに追い込まれる。この後、イギリス政府は、ポンドの基軸通貨としての地位を放棄する方向へ政策を転換した。

1967年以降、イングランド銀行は、ポンドの価値を維持するために金利を引き上げる必要性が低下した。この時からロンドンは、基軸通貨ポンド取引の中心地から、ユーロダラー取引の中心地へと大きく変貌していくことになる。1972年以降、金利はインフレ抑制のために大幅に引き上げられたが、インフレを簡単に抑制することはできなかった。しかし、これは先に書いたとおり、イギリスだけではなく、世界的な現象であったのである。1970年代初頭の世界的な好景気やオイルショックがなければ、利上げは必要であったであろうが、10%をこえるような大幅な引き上げは必要なかったはずである。

1950年代-1960年代のイギリスは、基軸通貨ポンドの価値を維持するために、常に金利を引き上げる必要性が存在していた。この点が現在の日本と全く異なっている。現在の日本は、国内に蓄積された巨額の資金が、極端なリスク回避志向のために海外に流出しようとしない。一方、海外で大量に流通しているドルが、リスク回避用の通貨として円に乗り換えられ、日本国内に流入し、円高を引き起こすという圧力に日本は常にさらされている。現在の日本は、ただでさえ資金余剰である日本国内に、海外から資金が流入し、さらなる資金余剰と円高が発生しやすいのである。1950年代-1960年代のイギリスは、金融抑圧が困難な環境であったのにもかかわらず、結果として金融抑圧を続けることに成功した。現在の日本は、金融抑圧が非常に容易な環境であり、必要な政策でもあった。しかし、少し前までは、金融緩和を渋り、デフレと円高により経済不振と巨額の財政赤字を積み上げてしまったのである。金利という点では、第二次大戦後のイギリスと現在の日本とでは、環境が180度異なっているのである。

このイギリスの経験から、現在の日本はどのような教訓を得られるであろうか。第一に、金融抑圧は絶対に採用すべき政策である。第二に、金融抑圧は永遠に続けられる政策ではないということである。いずれ必ずインフレ率が高まるとともに金利も上昇し、長期的には、r<gがr=gへと引き戻される圧力がかかるということである。従って、増税もまた必要な政策である。私は以前から繰り返し述べているとおり、発生するインフレに対しては、ドッジ・プラン・バージョン2を採用すべきと考えている。進行しつつあるインフレに対しては、増税を中心とする財政政策により押さえ込むという考え方である。消費税増税によるデフレ不況促進効果が、少なくとも短期間は大きく存在することが、日本では証明された。次に増税を実施するのは、インフレ進行時に行うべきである。消費税だけではなく、インフレやバブルを防ぐ様々な増税を組み合わせて同時に実施すべきである。

金融抑圧の実体は、インフレ税である。これは、預金、国債などの確定利付き債権の保有者に対する資産課税であり、格差縮小につながる良い税金である。しかし、日本は10数年もの間、デフレを容認し、インフレ税とは正反対のデフレ補助金を預金、国債の所有者にばらまいてきた。この巨額の債権、資産の保有者へと向かう隠れデフレ補助金のおかげで税収は減少し、日本の財政状況は大きく悪化してしまった。デフレ補助金をやめて、インフレ税の徴収に戻すことは絶対に必要なのである。

1946年-1980年の間、イギリスの財政再建は大変順調に進行した。1946年当時のイギリスと比較すれば、現在の日本の財政状況は、はるかに良好である。イギリスは、金融抑圧によるインフレ税と、増税や歳出削減の組み合わせとの半々により、財政再建に成功した。日本もこの組み合わせで財政再建に望むのがベストであろう。まずは金融抑圧、その後インフレが発生したら消費税を含む各種増税を組み合わせて実施するのが望ましい。金融抑圧なき消費税増税は、経済をデフレ不況に戻し、デフレ補助金という隠れ補助金のために税収を大きく減らしてしまう。その先は金利の急上昇を通ずる財政破綻しか道は残されていない。財政を本気で再建するために必要な政策は、消費税の増税を実施する前に、金融抑圧というインフレ税の徴収をできるだけ長く続けることなのである。


リンク先記事
財政赤字とデフレの関係(*1)
名目成長率と名目金利の比較(*2)


追記
2015年2月25日
日本経済新聞29面 経済教室
カーメン・ラインハート ハーバード大学教授
債務削減へ「金融抑圧」再び

ラインハート氏との違い
(1) ラインハート氏「(日本は)長引くデフレが金融抑圧による債務削減を阻んだ。」
→日本はバブル崩壊後、銀行の不良債権問題を処理するため、すぐにゼロ金利と量的緩和を実施すべきであったが、しなかった。2013年4月の異次元緩和は
20年遅すぎた。日本のデフレと政府債務残高膨張の最大の原因は、金融政策の失敗にあった。
(2)「金融抑圧を債務再編の代替ではなく、補完と位置づけるのが最善。」
→まず先に金融抑圧が必要。その後にインフレが発生した場合、本格的な緊縮財政を実施すべき。緊縮財政の準備だけは事前にしておく必要がある。


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テーマ : 経済
ジャンル : 政治・経済

スイス国立銀行の債務超過転落

1月15日にスイス国立銀行が、1ユーロ=1.2スイスフランの為替レートの上限撤廃を突然発表した。この直後から発生した急激なスイスフラン上昇の影響は大きく、スイスフランは値上がりしないと決めつけ、スイスフラン建ての債務を保有したり、スイスフランのショートポジションを保有していた投資家が、大きな損失を出したり、破綻したというニュースがいくつも流れた。一方、私の一番の関心事は、スイスフランの為替レートが急上昇することにより、スイスの中央銀行の純資産がどうなるかであった。直感的に「債務超過転落」という単語が浮かんだからだ。1企業、1個人の債務超過転落よりも、中央銀行の債務超過転落に関心があったからだ。今回は、スイスが1ユーロ=1.2スイスフランという上限を撤廃した理由、スイスフラン上昇が引き起こす影響、中央銀行の債務超過転落が引き起こす結果について述べることにする。

「中央銀行のバランスシート拡大 リスクからリターンへの発想の転換」(*1)という記事を以前書いた。そこでは、巨額のバランスシートを持つ香港、シンガポール、台湾、スイスを取り上げた。そしてそれらの国の経済が発展した理由は、日本とは異なり、中央銀行が巨額のバランスシートと外貨建て資産を保有していることが一因と結論づけた。日銀が量的緩和に踏み出して以降、中央銀行がバランスシートを膨らませることにはリスクを伴うと言われ続けてきた。黒田総裁になって、量的緩和の規模が拡大すると、そうした意見はますます強まることになった。バランスシート拡大の先には、インフレが必ず発生するという根強い考え方が日本には存在する。

私は、中央銀行のバランスシート拡大にリスクはあるが、それ以上に経済成長というリターンが存在すると考えている。経済成長を実現させるためには、誰かがリスクをとる必要がある。日本経済が低成長から抜け出すためには、最初に中央銀行がリスクをとる必要がある。中央銀行がリスクをとってバランスシートを拡大させれば、モノや資産の価格上昇を通じて、名目ベースの企業収益率が高まる。これは起業を志す新しい企業家が増えると同時に、起業が成功する確率が高まることをも意味する。この結果、日本経済の成長率も高まる。従って、中央銀行がバランスシート拡大というリスクをとることにより、日本はリターンを増やすべき、すなわち経済成長率の上昇を実現させるべきだと考えている。

中央銀行のバランスシート拡大をリスクと見る考え方は、日本だけではない。スイスでも同じような考え方が存在していた。スイスの場合、バランスシートの拡大リスクと外貨建て資産の保有リスクという2つのリスクをとっていた。今回、スイスが1ユーロ=1.2スイスフランの上限撤廃を決定した理由については、いくつかの推測がなされている。その中では、スイス国立銀行が、バランスシート拡大リスク、外貨保有リスクをこれ以上とれなくなったからだという意見が一番有力だと思う。

スイスでは、2014年11月30日に、外貨準備の20%を金で保有すべきという国民投票が行われた。この投票は否決されている。しかし、こうした投票が行われる背景には、金をたくさん保有したいという願望だけではなく、中央銀行が外貨建て資産というリスクの高い資産を大量に保有することは危険であり、金の方がより安全だと感じている人たちが、スイス国民の中に一定割合存在していたことがあるはずである。

スイス国民が不安を感じていたはずのグラフを下記に示す。


スイスBS

スイス国立銀行のバランスシートと外貨建て資産は、リーマンショックの後から急激に増加している。その中の2012年9月6日に、スイス国立銀行は、スイスフランの為替レートに、1ユーロ=1.2スイスフランという上限を設けること発表した。

2015年1月22日にECB理事会が開かれ、その場でECBによる国債購入策が決定された。1月15日の時点において、すでにそのことは確実視されていた。その場合、ユーロからスイスフランへと資金逃避が発生することは必死であった。この環境下で、1ユーロ=1.2スイスフランを維持する場合、巨額の介入の実施を強要されることは間違いない。実際に、スイスフランの上限撤廃の時期の直前には、スイス国立銀行の介入金額、すなわち保有外貨建て資産=バランスシートは急激に拡大していたことがわかっている。さらなるバランスシート拡大と外貨建て資産の保有拡大に対しては、世論の中から反対の声が高まることは十分予想できたはずである。民主主義国家であるスイスは、世論の反対を押し切ってまで、1ユーロ=1.2スイスフランを死守することは、政治的に許されなかったのであろう。こうした政治的な観点からは、1ユーロ=1.2スイスフランの上限維持という政策は、持続可能性がなかったのである。

スイスの世論は、スイス国立銀行が保有する巨額の外貨建て資産の価値が下落し、スイス国立銀行が損失を被ることを嫌ったのである。そこで、スイス国立銀行の純資産の推移のグラフを下記に示す。


SNB純資産推移

スイス国立銀行の純資産の変動は大きい。為替レート、金価格、債券価格などによって大きく変化している。発表済みの最新の決算は2013年のものであるが、スイス国立銀行の年間利益は91億スイスフランという巨額の赤字であった。この最大の原因は、金価格の下落による152億スイスフランの評価損である。2番目に大きかったのは、円安による円建て資産の79億スイスフランの評価損であった。この結果、スイス国立銀行の2013年の決算は大幅な赤字になり、その分、純資産も減少した。ただし、金には金嗜好という特別の魔力がある。一方、外貨建て資産には金のような魔力が存在しない。日本円などの外貨建て資産の値下がりにより、スイス国立銀行が損失を被ったことに対しては、批判があったはずである。

スイス国立銀行は、巨額のバランスシートと巨額の外貨建て資産の保有というリスクをこれ以上とれなくなり、1月15日に1ユーロ=1.2スイスフランという上限は撤廃され、スイスフランの価値は急騰する。すると、スイス国立銀行が保有する外貨建て証券に巨額の為替差損が発生する。そこで、スイス国立銀行が公開している数字から、スイス国立銀行の為替差損と直近の純資産を試算してみた。


SNB純資産試算値

上記の表がその試算値である。スイス国立銀行の外貨建て資産は、ユーロ、米ドル、円、ポンドの順に多い。その割合は、2014年9月末時点のものまでが公表されている。バランスシートは11月末まで公表、外貨準備は12月末まで公表となっている。それらの数字を元にして、2014年11月末-2015年1月23日の間に発生した為替差損の金額を計算した。スイス国立銀行は金の保有額も大きいので、金の評価損も同時に計算した。すると、上記の期間の為替、金の評価損は合計で780億スイスフランという計算になった。この金額を11月末の純資産733億スイスフランから差し引くと、1月23日時点での純資産は47億スイスフランの債務超過という結果になる。

この結果から1月23日時点でのスイス国立銀行は債務超過になっているかどうかは、微妙と言わざるをえない。理由は、マイナス47億スイスフランという数字は、金と為替の評価損益だけから算出した純資産の試算値であることだ。いくつかの仮定や推測が含まれている上、純資産はそれ以外の要因でも変動するからだ。その中で影響が一番大きいものは、スイス国立銀行の保有債券の価格上昇、利息収入である。これを修正すると、スイス国立銀行の純資産は増加するはずであり、その金額は数十億スイスフランか、それを上回る金額になるかもしれない。だから微妙になってしまう。

ただ確実に言えることは、1月15日18時30分直後の1ユーロ=1.2スイスフランの上限撤廃が発表されてからのパニック状態の中で、1ユーロ=0.8スイスフラン台のレートがついていた18時50分前後の数分間においては、スイス国立銀行は100%の確率で債務超過に転落していた。1月16日以降、主として金価格の上昇により、債務超過額の試算値は縮小しつつある。そのため、公式な記録に残る月末時点において、スイス国立銀行が債務超過に転落しているかどうかは、現時点では明らかではない。しかし、1月15日の日中のごく短い期間において、スイス国立銀行が債務超過に転落していたことは、100%間違いない。

スイス国民は、スイス国立銀行のバランスシート拡大と巨額の外貨建て資産にリスクを感じていた。そのため、スイス国立銀行は、これ以上外貨建て資産を増やすことができず、介入を中止せざるをえなくなった。しかしその結果として、スイス国立銀行には巨額の損失が発生し、少なくともごく短期間においては、債務超過にまで転落してしまったのである。これは、大変皮肉な結果としかいうことができない。

スイス国立銀行は、本当に大きなリスクを抱えていたのであろうか。スイス国立銀行のバランスシートの対GDP比率と香港金融管理局、シンガポール金融管理局、台湾中央銀行、日銀の比率を表すグラフを下記に示す。


5ヶ国BS GDP

2014年11月末時点において、スイス国立銀行のバランスシートは日銀よりは大きいが、香港金融管理局、台湾中央銀行、シンガポール金融管理局よりは小さい。また、IMFの資料によれば、サウジアラビアが香港と台湾の間、すなわちスイスの上にある。

次に、スイス国立銀行のバランスシートに占める保有外貨資産の比率を香港金融管理局、シンガポール金融管理局、台湾中央銀行、日銀との比較で示す。


5ヶ国外貨建て資産 BS

シンガポール金融管理局、香港金融管理局、台湾中央銀行の資産の大部分は、スイス国立銀行と同様に外貨建て資産である。サウジアラビアも同様に外貨建て資産である。日銀だけは外貨建て資産が非常に少ない。これは、日本の場合、為替介入を日銀ではなく政府の特別会計で実施しているからである。

上記のグラフは2014年11月末時点である。2015年1月23日時点では、スイス国立銀行のバランスシートの対GDP比率はより上昇しているはずである。それでも、香港の比率までは絶対に到達していない。加えて、香港の比率が上限というわけでもない。

自国通貨高抑制のための介入は無限に可能であるという意見も、非常に有力である。私はこの考え方は間違いだと思う。スイス国立銀行の保有外貨建て資産が、GDPの1兆倍にまで膨らんだ場合、そのはるか手前で、ハイパーインフレとバブルが必ず発生する。つまり、許容できないインフレとバブルの発生という介入の上限が、経済的にも存在するのである。

そこで、インフレとバブルを巡る状況を見ることにする。スイス、日本、香港、シンガポール、台湾の消費者物価の推移を表すグラフを示す。


5ヶ国CPI

バランスシートを拡大し続けてきた5ヶ国であるが、大幅なインフレ率の上昇は発生していない。中でもスイスのインフレ率は低い方であり、2014年12月時点のインフレ率は-0.3%とデフレである。バランスシートの拡大=金融緩和の強化であるが、インフレは発生しにくいのである。

次に、スイスの住宅用不動産価格の推移を表すグラフを下記に示す。


スイス住宅価格

モノのインフレより先に発生するのは、資産価格の上昇であろう。現在の日本のように、資産選択における極端なリスク回避志向がない場合は、緩和マネーはモノよりも資産へと向かいやすい。1980年代後半の日本も、2000年代半ばのアメリカも、モノより先に、資産へと資金は向かった。1月15日よりも前のスイスにもそうした傾向は現れていた。物価が上がらない中、地価は上昇し続けていた。そのため、スイス国立銀行が、1ユーロ=1.2スイスフランという上限を撤廃した理由は、不動産バブルの進行が原因という説もある。これは、中央銀行のバランスシートリスクの限界説に次ぐ2番目に有力な説だと思う。私の目では、地域ごとに違いはあるにしても、平均の住宅用不動産価格が20年以上前の過去最高値さえも更新していないスイスの地価が、バブルであるとは思えない。しかし、日本はスイスより地価の値下がりがずっと激しいが、金融緩和を強化すると不動産バブルが発生するという考え方が根強く存在している。その意味において、不動産バブル回避説という考え方が存在することは理解できる。

不動産バブル回避説が間違っていた場合でも、スイスが今後も無制限の介入を長期間続けた場合、いずれかの時点において、不動産価格はバブルの領域へと上昇していく。不動産バブルを税制やマクロプルーデンスなどの規制で抑制しないのであれば、金融緩和につながる為替介入を停止する必要がある。しかし、不動産バブルを税制やマクロプルーデンスを使って抑制するならば、まだ相当大規模な介入余地が残っているはずである。

経済的には無限の介入は不可能であるにしても、スイスにはまだ介入を続ける余地が十分存在していた。しかし、国民の不安感から生じる政治的圧力をスイス国立銀行の幹部は感じとり、介入を止めてしまった。このツケは、スイスフラン高を通じて経済の供給サイドの弱体化という現象をもたらすことになる。しかし、現在のスイスは、現在の日本とは置かれている環境が異なる。スイスは貿易黒字、経常黒字、対外純資産の対GDP比率が非常に高い。加えて、スイスには移民がたえず流入し続けている。そのため、少子高齢化は進行するが、人口減少は発生せず、人口は増加し続けるのである。この点が日本と決定的に異なる。

私が繰り返し主張してきたことは、日本の場合、人口のさらなる減少が予想されるため、将来、対外純資産の取り崩しに向かわざるをえないという現実がある。それならば、人口減少が本格化する前に、できるだけ対外純資産という貯蓄を増やし続けなければならないという必要性が存在する。世界の中では、対外純負債を抱える国が多く、スイスのような対外純資産がほしくてたまらない国が世界の多数を占める。

しかし、現在のスイスには、これ以上の対外純資産を保有する必要性が存在しない。現在のペースで巨額の経常黒字を維持し、対外純資産を増やし続けても、そうした資産を増やすことに意味を見いだせないのである。過剰な対外純資産は、あっても良いが、なくても別にかまわない。それならば、スイスフランの価値を引き上げてもかまわないはずである。政治的な観点からは、介入が持続不可能だとしても、経済的な観点からは、介入はまだ十分持続可能である。しかし、持続させることにあまり意味が存在しない国であることもまた事実なのである。この点は、香港、シンガポールと共通なのだが、両国は現在もハングリー精神が旺盛である。

次に、スイスフランの実質実効為替レートの長期の推移を表すグラフを下記に示す。


スイス実質実効

2015年1月15日の上限撤廃により、スイスフランの実質実効為替レートは急上昇したが、1月23日時点で、その上昇の程度は1970年代の日本の円高よりも小さなものである。加えて、日本周辺には、先にグラフで示した台湾のように、中央銀行が巨大なバランスシートに外貨建て資産を大きく積み上げるという極端に大規模な為替介入を行って、自国通貨を安く維持し、日本から技術を導入し、日本と同じ製品をより安く作って輸出し、日本を追い越そうとする国が存在した。上記のグラフにも示した中国、韓国、シンガポール、香港だけではなく、日本周辺のアジア諸国の大半が、程度の違いはあれ、台湾と同じような自国通貨安誘導政策を採用してきた。この日本周辺のアジア諸国による極端な近隣窮乏化政策により、1995年まではあまりにも強すぎた日本の輸出産業は、その後、急速な衰退へと向かった。スイス周辺には日本周辺のアジア諸国のような国が存在しない。

スイスは、日本より輸出依存度が高い国ではあるが、輸出環境が日本のように著しく不利な環境へと変化したわけではない。スイスフランが上昇した結果、スイスの輸出産業は打撃を受け、経常黒字は減少するであろう。しかし、その損失は限定的であり、スイスの輸出産業が現在の日本の輸出産業のようにボロボロになることはない。現在確認できる最大の打撃は、株価の急落である。2007年6月のピークから15%ほどまでは下落した。しかし、日本のようにピークから82%も下がることは考えられない。

当時の日銀審議委員であった植田和男氏の研究によれば、過去の中央銀行の債務超過は、インフレ、特に高率のインフレを招いたということであった。その中には、1977年-1979年の西ドイツも記されている。この時の西ドイツは、少しばかりのインフレが発生し、1979年11月に5.4%のインフレ率を記録している。原因は第二次オイルショックだと思うが、債務超過と並行してインフレ率の上昇が発生したことは間違いない。一番インフレ率が低かったのは1997年-2000年のチリであったが、それでもインフレ率は4%以下であったとのことである(ただし、これは植田氏の講演内容の一部であり、全体の趣旨ではない)。

先にグラフを示したとおり、スイスの現状は、わずかなデフレである。中央銀行の債務超過が発生した場合、その後、間違いなく発生する現象は、輸入品価格の低下を通じるデフレの深化である。スイスフランが今後上昇すればするほど、スイス国立銀行の債務超過額は拡大する。しかし、その先に発生する現象は、インフレではなくデフレの深化なのである。従って、中央銀行の債務超過転落は必ずインフレを引き起こしてきたという植田氏の研究結果(正しくは、結果の一部分)は、過去においては正しかったとしても、今後は正しいものではなくなる。中央銀行の債務超過転落の後、デフレが発生することもありえるのである。1ユーロ=1.2スイスフランという為替レートの上限を守るという約束を破った結果、スイス国立銀行は大変大きな信任を失った。信任を失った罰則は、インフレではなく、デフレの深化なのである。

スイスにとって問題となるのは、スイスフラン高の結果生じるスイス国立銀行の債務超過ではない。スイス国立銀行は、現在保有する外国証券等の利子、配当と、外国銀行を中心にした超過準備に対する年率0.75%の利子を、同時に獲得することができる。通貨発行益がバランスシートの資産側だけではなく、負債側にも発生する。その結果、1月末時点でスイス国立銀行が債務超過であった場合でも、遠くない将来、間違いなく債務超過からの脱出が可能である。

スイスは、1ユーロ=1.2スイスフランの上限を死守したとしても、すでに海外に巨額の資産を保有し、外貨という収入も十分に多く、これ以上対外純資産を拡大させることに経済的な意味があまり見いだせない国家である。スイス国民が中央銀行のリスク拡大を望まないのであれば、スイス国立銀行はその要望に応えることはできる。その結果発生するスイスフラン高がもたらすデフレ不況は損失であるが、かつての日本が受け続けた損失と比較すると、大きな損失にはならない。一方、1ユーロ=1.2スイスフランの上限撤廃は、スイス国立銀行の債務超過転落というスイス国民が嫌がっていたリスクを、少なくともごく短期間は現実のものとしてしまった。しかし、スイス国立銀行の債務超過転落は、スイスフラン高の結果であり、原因ではないので、何の悪影響をもスイス経済にもたらさない。中央銀行の債務超過転落が現実のものとなっても、インフレという悪影響が発生しない例が存在するという事実を、今後のスイス経済が証明してくれるはずだ。


2015年2月27日追記
ユーロ・スイスフランレート

1月末のスイス国立銀行のバランスシートが発表された。このバランスシートを使って、1月中のスイス国立銀行の純資産を計算してみると、下記のような推計値が算出できた。なお、1月15日のスイスフランの対ユーロレートの安値は、上記のグラフに記録されている18時45分の1ユーロ=0.8517スイスフランを使用した。

スイス国立銀行の純資産

スイス国立銀行は、1月15日18時45分の安値の時点において、625億スイスフランの債務超過に転落していた。しかし、1月15日の終値では、120億スイスフランの純資産に戻っており、1月末には349億スイスフランの純資産にまで拡大した。この結果、スイス国立銀行が債務超過に転落していたのは、2015年1月15日18時47分30秒前後の数分間という非常に短い期間においてだけであった。

巨額のバランスシートと外貨建て資産を保有するスイス国立銀行の通貨発行益は大きい。今後、スイスフラン高が近い将来に進行するか、そうでなければ急激なスイスフラン高が進行しなければ、スイス国立銀行に債務超過転落は発生しない。しかし、公式な記録に残る月末ベースでの債務超過転落が発生しなくても、記録には残らない短期間の間、スイス国立銀行に債務超過転落が発生していたという事実は、記憶に残しておくべきである。


リンク先記事
中央銀行のバランスシート拡大 リスクからリターンへの発想の転換(*1)


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アメリカの長期金利低下 謎ではないが複雑な構造

2013年12月に、アメリカのFRBは、テーパリングを開始し、国債とMBSの購入金額を減少させることを決定した。現状のペースでテーパリングを進めると、2014年中にも国債とMBSの購入金額はゼロになる。この間、アメリカの10年物国債金利は2013年末に一時3%をこえる水準にまで上昇した。その後、アメリカの金利は低下傾向にある。アメリカの金利低下の原因はいろいろと出されているが、現状では通説と呼ばれるような考え方は存在していないと思う。

ここでは、アメリカの金利の低下原因を追求するのではなく、「アメリカの金利はなぜ下がるのか」という疑問を持つこと自体が誤りであることを説明する。そして、アメリカの長期金利の決定要因が非常に複雑になっている構造を示したいと思う。その構造を理解すれば、日本に対する「為替操作」の非難が不当であるという、表題とは異なるが、前回と全く同じ結論に達することを示す。

まず、アメリカの資金循環統計(Financial Accounts of the United States)から、アメリカの国債の発行残高と主な所有者を表すグラフを下記に示す。


アメリカ国債投資部門別保有金額

2014年3月末のアメリカ国債発行残高は12兆5908億ドルであり、そのうち、海外投資家が5兆9601億ドル保有している。財務省の統計によると、そのうち7割弱の4兆0540億ドルは、外貨準備としての保有である。その次の保有主体が、FRBであり、2兆3196億ドルである。この2つの主体でアメリカ国債全体の65.8%を所有している。次に、アメリカ国債の保有比率の推移を表すグラフを下記に示す。

アメリカ国債投資部門別保有比率

1990年代半ばから、海外投資家の保有比率が急激に増加したが、リーマンショック直後の時期に当たる2008年末に天井を打ち、そこからは増加してはいない。代わって急増しているのがFRBである。

次に、アメリカ国債売買のフロー、すなわち国債の投資部門別売買と、国債発行残高の純増額(記号をマイナスにする)を表すグラフを下記に示す。


アメリカ国債投資部門別売買

リーマンショックの翌々年の2010年にアメリカ国債発行残高の純増額は、1兆5796億ドルとピークに達した。この巨額の国債発行に対して買い向かったのは、海外、家計、FRBを中心とする投資家であったが、この年は内外のほとんどの投資家が国債の買い方となった。その後、家計は売り越しに転じ、2014年1-3月期の年率で見ると、FRBと海外投資家が買いの中心となっている。

FRBによる国債購入は、年内に終了する可能性が高い。そして、来年からは保有国債の償還分への再投資も止める可能性が高いので、FRBの保有国債純増金額はマイナスになる可能性が高い。しかし、だからといって、アメリカの国債金利が上昇するとは限らない。FRBは、2012年9月に、毎月400億ドルのMBSを購入するQE3を開始したが、加えて毎月450億ドルの国債の購入をも実施することを決めたのは2012年12月であった。そして実際に国債の購入を始めたのは、2013年1月になってからである。その結果、2012年のFRBの年間国債保有純増金額は、わずか27億ドルにとどまった。それにもかかわらず、2012年中に、10年物国債金利は、少しではあるが低下している。FRBが国債を買わなくても、金利が上昇しない例が、2012年という近い時期に存在するのである。

より詳しく説明すると、(*1)などで述べたとおり、FRBがQEを実施している間、金利は明確に上昇も低下もしていない。あえていうならば、少し上昇している。QEは、国債の需給改善効果と、インフレ期待の上昇による金利引き上げ効果を同時に引き起こす。その結果、QEと金利との相関関係は小さく、後になって振り返ってみると、金利引き上げ効果の方が少し大きかったというのが結論である。このことは、テーパリングの終了、すなわちQEが完全に終了した場合、金利が上がるか下がるか、どちらとも言えないということを意味している。あえて言うならば、インフレ期待の縮小から金利が低下する可能性が少し高いと言えるだけである。QEの終了により、インフレ期待が低下し、FRB以外の投資家が従来以上にアメリカの国債を購入するようになり、FRBの国債購入停止分を補い、結果としてアメリカの長期金利が低下する可能性が、金利が上昇する可能性より少し高いのである。「QEが停止に向かう中、アメリカの金利はなぜ下がるのか」という疑問を持ったり、問題を設定すること自体が間違いなのである。

数年前までの日本では、「日銀が量的緩和を強化した場合、インフレ期待の発生から国債金利が上昇し、日本の財政が破綻する」という意見が多数派であった。この考え方に立つならば、量的緩和が終了すると、インフレ期待が低下し、金利は当然低下しなければならない。数年前の日本の常識からすると、QEの終了による金利低下は、当然すぎる結果であったのである。しかし、実際にはアメリカでのQEと長期金利の間には、最初から相関関係は小さく、どちらかというと金利引き上げの効果が少し大きかった程度であった。数年前の日本の常識は、日本ではなくアメリカにおいては、完全には正しくなかったが、50%強は正しかったのである。従って、疑問を持つとしたら、「QEが終了に向かい、インフレ期待が低下する中、アメリカの金利はなぜもっと低下しないのか」という疑問を持つ人がいてもおかしくないはずだ。

アメリカの金利決定のメカニズムは、もっと複雑なのである。ここでは、例として、海外投資家の日本株購入による日経平均株価の引き上げ効果とを比較してみたいと思う。海外投資家による日本株の買い越し金額と、日経平均株価を表すグラフを下記に示す。


海外の日本株買い越し

1990年初頭にバブルが崩壊し、日本株は大幅に下落することとなった。その中で、1991年から海外投資家が大量に日本株を買い越し=国内投資家が日本株を売り越すことになった。流通市場だけで、1991年以降、海外投資家は88兆円もの日本株を買い越し=国内投資家は88兆円もの日本株を売り越した。バブル崩壊後、海外投資家が大量に日本株を買い越す年には、日経平均株価は上昇し、海外投資家が日本株の買い越し金額を縮小したり、売り越した年には、日経平均株価は下がることとなった。この結果、(*2)で示したように、昨年の日本の株価上昇により、日本の対外純資産を50兆円以上減少させる方向に働き、実際にドル建てで見た日本の対外純資産は、過去最高ではなく、前年比で3483億ドルもの巨額の減少につながった。海外投資家が日本の大株主になる場合、日本の株価が上昇すると、対外純資産が大幅に減少するという巨大なマイナスの効果が発生することを繰り返し強調してきた。

ただ、日本株の場合、海外投資家は、理由なく株を買っているのではない。海外投資家が日本株を大きく買い越す時、日本の景気の回復、すなわちファンダメンタルズの改善という現象が必ず同時に発生している。従って、日本の株価が上がるかどうかを正しく予想するためには、海外投資家が買うか売るかを考えることよりも、日本の景気が回復するかどうかを考える方がより重要である。1990年以降の日本の株価は、それ以前と異なり、景気によって決定されるようになった。それ以前は不景気であっても、金利低下を材料にして株価が上がることがしばしば見られた。日本の株価形成が、景気やファンダメンタルズによって決定されるというのは、本来、株式市場の正常な姿である。しかし、日本の国内投資家は、景気が良くなって株価が上昇すると、必ず大規模に株を売り越し、景気が悪くなって株価が大きく下がると、株を少しばかり買い越すようになった。この株価が戻れば必ず売り越すというヒステリシス(*3)という現象を強力な金融緩和を通じて解決しなければならないことを繰り返し書いてきた。このような環境下にあるとは言え、海外投資家の主力である年金、投信、ヘッジファンドなどは、日本の景気、ファンダメンタルズを予想しながら、日本株を売買しているのである。そのため、日本の株価は海外投資家が決めると言っても過言ではないが、海外投資家が売るか買うかを気にすることなく、日本の景気やファンダメンタルズを正しく予想できれば、将来の日本の株価の予想も可能になるのである。

一方、アメリカの国債市場は、日本の株式市場と全く異なった構造を持っている。今年のアメリカの予算教書によれば、2014会計年度以降の10年間の財政赤字の金額は、年平均で6600億ドル、国債の純増ベースでは、年平均で5300億ドルと予想している。これからも、毎年、5300億ドル前後の国債発行残高の純増を予想しなければならない。FRBによる国債の実質購入金額がマイナスになった場合、いったい誰がアメリカの国債を年間5300億ドルも買うのであろうか。おそらく、最大の国債の買い手は、今後も海外投資家であり続けるであろう。そして先に書いたとおり、海外投資家の国債購入金額の7割前後は、外国の政府、中央銀行による外貨準備増が目的である。

ここで大変難しい問題が発生する。海外投資家、特に外貨準備増のためのアメリカ国債購入は、アメリカの景気動向や金融政策とは、ほとんど無関係に決定されることである。2005年2月、FF金利を連続して引き上げる中、アメリカの長期国債の金利はほとんど上昇することはなかった。この現象を、当時のグリーンスパン議長は「謎」と表現するしかなかった。当時からアメリカ国債の最大の買い手は、海外投資家であり、その中でも外貨準備増の国債購入が多くを占めていた。グリーンスパン議長はFF金利を引き上げて、長期金利の上昇を目指したのである。しかし、外貨準備増の国債需要は、アメリカのFF金利とは無関係に決定される。海外投資家はFRBの金融引き締め策を無視して、アメリカの国債を買い続け、結果としてアメリカの長期金利は上昇しなかった。そのため、当時のグリーンスパン議長は、外貨準備増のための国債の買いが原因かもしれないとは考えてはいたが、結論を出すことができず、長期金利が上昇しない現象を「謎」と表現せざるをえなかったのである。長期金利が上昇しない原因が、外貨準備増のための国債の買いが原因であるとの説が確立するまで、もうしばらくの時間が必要であったのである。

現在の海外投資家によるアメリカ国債の購入金額は、2005年当時よりも大きく増加している。従って、アメリカの長期金利を予想するためには、世界中の国の国際収支を分析し、その中で外貨準備がどれだけ増えるかを予想する必要がある。しかし、そのような分析は、現時点では不可能である。従って、主として外貨準備増を目的としたアメリカ国債の買いがいくら発生するかを、きちんとした根拠を示して計算することは誰にもできない。アメリカ経済の成長率がいくらで、インフレ率がどうなるか、そして、FRBの金融政策がどう変化するかを分析することは、従来通り必要である。しかし、それだけでは不十分なのである。外貨準備増を中心とする海外投資家の国債購入予想金額を別個に計算しなければならない。しかし、現状では、そのような計算は誰にもできない。だから、アメリカの長期金利の予想は、従来よりも難しくなっているのである。

先に書いたことを繰り返すが、日本の株価の場合も、ほとんどが海外投資家の日本株の売買によって決定されるといっても間違いではない。しかし、海外投資家の売買は、日本の景気やファンダメンタルズによって決定される。従って、海外投資家の売買を分析し、予想することは、必ずしも必要ではない。海外投資家の売買予想を省略し、日本経済の先行きを徹底的に予想するだけで、日本の株価がある程度予想可能になる道が、今も昔も存在するのである。

しかし、アメリカの国債金利を予想するためには、アメリカのファンダメンタルズとは全く異なる要因を分析する必要がある。世界各国の経済を分析し、アメリカ国債に対する外貨準備増の国債需要を予想するという、とてつもなく困難な作業が必要なのである。従って、FRBが国債の購入金額を減らすことがわかっただけで、アメリカの長期金利がどうなるかを予想することなど、誰にもできないのである。そこまでアメリカの金利決定要因は、複雑化してしまったのである。

最後に、アメリカの経常収支と所得収支の推移のグラフを示す。


アメリカの経常収支と所得収支

アメリカの経常赤字の水準は、依然として高い。しかし、上記のグラフよりも、おそらく低い可能性があることを(*4)で説明した。その上、アメリカは世界最大の純債務国である。にもかかわらず、所得収支が恒常的に黒字である。昨年の所得収支は、2288億ドルの黒字であった。これは、世界最大の純債権国である日本の所得収支の黒字額16.5兆円、1700億ドルを上回る。

アメリカは国債を外国に売却し、低利で資金を調達し、その資金を直接投資や株式投資に回し、高い利益を獲得し、世界最大の純債務国であるにもかかわらず、所得収支の黒字が世界一という手品のような芸をする国でもある。このような手品が可能になる原因の一つは、海外投資家が金利が低めのアメリカ国債を大量に購入し続けているからである。そしてその約7割は、外貨準備増が目的である。

ところで、外貨準備増を目的とするアメリカ国債の買いとは、具体的に一体何なのであろうか。各国が経済規模に見合った外貨準備を持つのは当然である。そして、その対象になる割合が一番高いのは、世界の基軸通貨であるドルである。そしてドルを買うと同時に購入する割合の一番高い金融資産が、アメリカ国債なのである。しかし、世界中の国の外貨準備の適正規模を正確に計算することなどはできない。適正値が算出されることもあるが、大きな幅のある参照値くらいに受け止めるべきであろう。そして、多くの国では、大きな幅のある参照値の平均の外貨準備を上回る規模の外貨準備を保有するようになっているはずである。その結果が、毎年、発生するアメリカ国債に対する買い需要なのである。外貨準備に白黒を付けることはできないが、間違いなく、黒い外貨準備、すなわち、適正規模をこえる為替操作のための外貨準備増が大量に存在しているはずである。明確な為替操作を意図して外貨準備を積み上げる国は一部だと思うが、通貨危機の発生を完全に避けるために十分な規模の外貨準備の保有を目指して、外貨を買い続ける場合、それは結果として為替操作につながるのである。アメリカの国債金利が低位で安定することが可能になった理由の一つは、アメリカ以外の国が、為替操作の規模を年々拡大しているからである。

基軸通貨国であるアメリカは、為替操作用のドルとアメリカ国債の継続的な買いを容認しているのである。そして、世界各国が為替操作を拡大させることは、アメリカの金利を低位にとどめ、アメリカの所得収支を増やすというメリットをアメリカにもたらしている。一方、為替操作によるドル高の結果として、輸出減少という損害が発生しているであろうが、それは大きな金額にはならない。為替操作を実施している国は、発展途上国が多く、アメリカ製の製品と競合するケースが少ない一方、補完関係にあるケースが多いからである。ドル高を通じた少しばかりの輸入増加というマイナスの効果は、金利低下などのプラスの効果よりも小さい。為替操作用のアメリカ国債購入は、世界各国だけではなく、アメリカにとっても大きな利益をもたらしているのである。ある一定規模以上の為替操作を、アメリカは必要としているのである。為替操作が減少すると、国債の買い手が少なくなり、金利上昇が発生してしまう。世界各国も、アメリカも、為替操作を通じて相互依存関係にあるのである。(*5)で示したように香港やシンガポールなどは、異常ともいえる規模で為替操作を行っているが、アメリカから非難されることは全くない。

一方、為替操作を最も厳しく非難される国が、日本である。理由は、自動車産業というアメリカ国内で政治力が強い産業と、補完ではなく完全に競合する産業を日本が持っているからである。アメリカは自動車産業の援護のために、過去以上に現在の日本の介入や金融緩和を為替操作と決めつけて認めようとしない。数年前までは、アメリカが為替操作の常習犯として最も怒っていた対象は、中国であった。中国に為替操作を許さないのであるから、日本にも許すわけにはいかない、という論理で、日本もまた介入が簡単には許されなかったのである。しかし、最近は、中国の為替操作に対する非難は、口先だけになっている。日本にとっての最大のガンは、アメリカのビッグスリーである。リーマンショック時につぶれかけたため、アメリカは、リーマンショック直後の時期に、軍事同盟を締結し、当時世界で第2位の経済大国てあった日本にではなく、軍事的には潜在的な敵国であり、世界で第3位の経済大国であった中国に、アメリカ国債の購入を要請せざるをえなかった。ビッグスリーを存続させるためには、人民元安なら容認できるが、円安だけは絶対に容認できなかったのである。現在でも、中国の為替操作は事実上容認しているが、日本の介入と円安をもたらす金融緩和だけは、決して認めようとしない。結果として、日本だけが、アメリカから差別され、世界からも差別され、経済も没落することになってしまった。日本はこうした現状を認識した上で、日本に対する差別をなくすように、アメリカや世界に対して差別解消の要求を粘り強く続ける必要がある。

海外からアメリカへの資金流入はバブルを引き起こすという意見もあるが、現時点では正しくない。リーマンショックは、資金がサブプライムローン市場とそれに準ずる一部の不良な住宅ローン市場に、過剰な資金が流れこみすぎた結果である。現在では規制が大幅に強化されており、同じ形のバブルは発生しえない。日本では、1990年以降は、資産価格の上昇をすぐにバブルに結びつける見方が多すぎる。アメリカでは、ローレンス・サマーズのように、アメリカにとっての適正な金利はマイナスであり、現在のプラスの金利は高すぎるという見方も存在するのである。

最初に示したとおり、結論は前回と同じである。為替操作は世界中いたるところで行われており、それはアメリカ国債の購入を通じ、アメリカの金利を低下させ、アメリカに利益をもたらしている。アメリカは為替操作という海外からの資金流入に依存しながら、実は利益を獲得している。従って、経済規模を考慮した場合、それほど規模が大きいとはいえない日本の介入と金融緩和だけを非難するのは、明らかな差別である。日本は、上記のような海外からの資金流入が、アメリカと世界各国の相互依存関係を作り出していることを説明すべきである。アメリカの経済学者の中では理解している人はいるはずである。しかし、政治家は、日米ともに、ほとんど理解していない。日本が金融緩和を大幅に強化し、資金の対外流出が進めば、当然、アメリカにも金融資産が流れていく。それが直接間接にアメリカの金利低下を通じて、アメリカの経済成長や所得収支の黒字拡大につながるのである。そうしたアメリカにとってメリットもある日本の金融緩和策を、アメリカの一部にすぎない自動車産業の利益のために、日本だけには禁止することは、不当であり、差別であることを主張し続けなければならない。しかし、差別を完全に解消するためには、時間がかかる。そのため、しばらくは、円安誘導を隠し、インフレターゲットや財政再建などの別の看板を掲げながら、日本は大規模な追加の金融緩和を続けるべきである。


リンク先記事
アメリカQE1、QE2、QE3の効果(*1)
2013年末対外純資産が過去最高を更新 ドル建てでは減少(*2)
日本の株式市場のヒステリシス(*3)
世界最大の対外債務国アメリカの強さ(*4)
購買力平価から見た円相場 超円高による産業の空洞化(*5)


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アメリカQE1、QE2、QE3の効果

アメリカのFRBは、2013年12月18日のFOMCで、量的緩和第3弾(QE3)の縮小を決定した。月額850億ドルの証券購入額を100億ドル減らし、750億ドルまで縮小するという内容であった。ちょうどQE3が開始された2012年の9月に、アメリカのQE1、QE2の効果について書いたことがある(*1)。今回は、QE1、QE2と比較しながら、QE3がもたらしたいくつかの異なる効果について述べたいと思う。昨年9月にも使用したグラフを更新し、加えて、いくつかの別のデータとあわせて説明することにする。

まずは、QEという政策の核心部分である、FRBのバランスシートと資産内訳の推移のグラフを下記に示す。


FRBの資産内容

以前、説明した通り、QE1は、必ずしもバランスシートの拡大を伴わなかった。しかし、QE2、QE3においては、バランスシートの明確な拡大を見いだすことができる。

次に、マネーストックM2の推移のグラフを下記に示す。


マネーストックの推移

QEの期間、マネーストックの増加率が増えたのは、QE2の期間だけであり、QE1、QE3の期間は増えていない。QE否定論者の中には、マネーストックの伸び率が低いことを根拠にして、QEに効果がないと批判する人がいる。しかし、このような批判者は、QEという政策を、古いマネタリズムの教義の枠内でしか理解することのできない人たちである。QEは、マネーストックと無関係ではないが、直接的な関係は薄いことを理解しなければならない。

次に、中長期国債の金利の推移のグラフを下記に示す。


中長期金利の推移

QEの間、中長期の金利はやや上昇している。QE3の期間では、2013年5月からの金利上昇が目立つ。これは、5月の始め頃に、FRBが、将来、QE縮小を開始するであろうとの予想が現れ始めたからである。その少し後の5月22日に、バーナンキ議長が、QE縮小を初めて示唆している。QEが金利を引き下げる効果があるとは言えないが、金利を引き上げる効果があるとも言い切れない。QEと金利の関係は複雑、としか言えないのが現状だと思う。

次に、代表的な資産価格である株価と住宅価格の推移のグラフを下記に示す。


株価と住宅価格の推移

QEが、株価と住宅価格という資産価格を引き上げる効果があったことを、見いだすことができる。QE2では、住宅価格の下落を止めることに失敗している。それを除けば、QEが、資産価格の下落を食い止めたり、上昇に向かわせたりする効果は大きかったと断言できると思う。

次に、為替レートの推移のグラフを下記に示す。


為替レートの推移

以前の記事(*1)では、QE1、QE2がドル安を引き起こし、その結果、対外純輸出は増加したと書いた。しかし、QE3では、ドル安は発生していない。一方、日本では、QE3開始から2ヶ月ほど遅れて、アベノミクスによる量的緩和強化の予想から、円安という大きな効果が発生している。

次に、消費者物価上昇率(CPI)の推移のグラフを下記に示す。


消費者物価上昇率の推移

CPIの引き上げ効果は、QE1、QE2では、商品価格の高騰の影響を通じ、ある程度、存在した。しかし、QE3においては、バーナンキ議長も認めている通り、CPI引き上げの効果は現れていない。

次に、失業率の推移のグラフを下記に示す。


失業率の推移

アメリカでは、多くの国と異なり、FRBが物価の安定だけではなく、雇用の最大化も目指さなければならないという法的義務を課されている。実際、バーナンキ議長も、雇用の拡大のためにQEを続けるという決意を何度も述べている。QEは、失業率の上昇阻止、低下に、貢献してきたとものと思われる。

ところが、現在のアメリカでは、失業率の低下が、必ずしも雇用の最大化につながっていない。 就業率の推移を示すグラフを下記に示す。


就業率の推移

アメリカでは、グラフの赤茶色で示した年齢16歳以上の就業率か、あるいは分子を就業者ではなく、労働力人口にした労働参加率を見ることが多い。これは、アメリカには、雇用における年齢差別禁止法という法律が存在するためである。しかし、アメリカ社会も、日本ほどではないが、高齢化が進行しており、高齢者の就業率は大きく低下する。従って、グローバルスタンダードである生産年齢人口(16歳-64歳)の就業率をOECDのサイトから引用した数字が、グラフの濃紺色の線である。

このグラフを見ると、生産年齢人口の就業率上昇は、非常に鈍い。これは、多くの失業者が職探しを諦めてしまっているからである。ただ、アメリカでは、雇用の絶対数は、日本よりもはるかに速いスピードで増えている。問題は、雇用の増加率が、人口の増加率を、直近においても、ごくわずかしか上回っていないことである。この問題は、バーナンキ議長を悩ませてきた問題であり、次期イエレン議長も、しばらくは悩まなければならない問題となり続けるであろう。

次に、鉱工業生産指数の推移のグラフを下記に示す。


鉱工業生産の推移

経済の体温を適切に表す指標を1つだけ上げるとすれば、日本では、鉱工業生産となるであろう。アメリカでは雇用統計の方が重視されるが、鉱工業生産も、重要統計であることに変わりはない。鉱工業生産は、11月に住宅バブル崩壊前のピークを上回り、過去最高を記録した。この回復にも、QEは貢献したものと考えられる。

次に、新設住宅着工件数の推移のグラフを下記に示す。


住宅着工件数の推移

先に示した住宅価格と同様に、回復はしているものの、水準は低い。しかし、住宅価格にしろ、住宅着工件数にしろ、水準が低いことが問題と考えるべきではない。将来、まだいくらでも伸びる伸びしろがあると考えるべきであろう。日本と異なり、アメリカは人口が増え続けているのである。住宅価格、住宅着工件数は今後も上昇し続け、近い将来においても、アメリカ経済の力強い回復の牽引力となり続ける可能性が高い。

次に、すべての指標を総合した実質GDPの推移のグラフを下記に示す。


実質GDPの推移

QE1の実質GDPの引き上げ効果は、明確に見いだすことができる。しかし、QE2、QE3では、表面上は、それほど明確な実質GDPの引き上げ効果を見いだすことはできないと思われる。

以上、アメリカの主要な経済指標を見てきた。その中で、QE3の効果は、どのように評価できるであろうか。目立った効果は、株価と住宅価格の上昇である。それ以外で、鉱工業生産なども回復しているが、QEが行われていない時期にも伸びている。従って、QE3の効果が大であるとは断言できない。

それでは、QE3は、資産価格の上昇以外に効果がなかったのであろうか。悪い言い方をすれば、資産バブルを引き起こす効果しかなかったのであろうか。その答えは明らかにNOである。財政赤字の推移を示すグラフを下記に示す。


財政赤字の推移

単月の財政赤字は、変動が非常に大きいので、過去12ヶ月、つまり1年間の財政赤字額を合計してグラフ化した。QE3が始まって以降、財政赤字は急速に縮小しつつある。

アメリカでは、議会のねじれの影響で、「決められない政治」が続いているとも言われる。しかし、議会全体で一致している点は、財政赤字の削減である。ただ、削減のための手段が異なっていた。オバマ大統領と民主党は、主として高額所得者に対する増税の実施を柱にしていた。一方、下院を支配する野党共和党は、社会保障費の削減を柱にしていた。この両者の激突で、2012年の終わり頃、アメリカ経済は財政の崖から突き落とされるかもしれない、という予想が広がっていた。両者の妥協が成立しなかった場合、年間5000億ドル前後の強制的な財政赤字削減策が実施され、その結果、アメリカ経済は、再び景気後退に突入するかもしれない、という心配であった。民主、共和がギリギリで妥協案を成立させ、財政の崖を回避できた、というのが常識的な理解だと思う。

しかし、両者の妥協の結果、いくつもの財政赤字削減策が実施に移され、実際に、財政赤字は大きく減少したのであった。QE3の直前の2012年8月末から2013年11月末までの15ヶ月間の財政赤字削減額は、6100億ドルにものぼる。年率にすると、4900億ドルである。この金額は、財政の崖による年間の財政赤字削減額に近い金額である。対GDP比で2.9%、日本に当てはめれば、1年間で国家の財政赤字額を14兆円前後削減したのである。アメリカ経済は、財政の崖を回避したのではなかった。与野党間の妥協により、大規模な財政赤字削減策が次々と実施され、財政の崖からころげ落ちるのと大して変わらない不況圧力を、アメリカ経済は受けていたのである。

にもかかわらず、アメリカ経済は崖から落ちることはなかった。その理由は、QE3が、アメリカ経済の景気回復力を、強力に下支えしていたからである。QE3という景気刺激策がもたらした税の自然増収と、増税、歳出削減による財政赤字削減額が、年率で4900億ドルにも達し、景気回復と財政赤字の大幅な削減という結果につながったのである。

経済の成長、財政再建の2つの問題を同時に解決することは非常に難しい。アメリカでは、QE3という大規模な量的緩和策と、議会における財政赤字削減策の実施により、その2つを同時に解決することに成功しつつある。これこそが、QE3の最大の成果と言うべきである。ただ漫然とアメリカの景気指標を眺めるだけでは、QE3の効果を見いだすことはできない。QE3は、見えにくいところで、大変大きな効果を発揮していたのである。大規模な財政赤字削減という不況促進策が実施されていなければ、QE3によるアメリカ経済の刺激策の効果は、統計上に、もっと分かりやすい数値の形で現実化していたはずであるのだ。

日本は、このアメリカのQE3の成果から、今まで以上に学ばなければならない。日本では財政赤字削減を強く主張する政党がなく、バブル崩壊後、財政赤字は傾向としては拡大する一方であった。日本でも、財政再建を強く主張するエコノミスト、経済学者は存在する。しかし、その多くは構造改革派であり、量的緩和を、無意味、あるいは有害と考える人が多数派だと思う。増税、歳出削減、いくつかの構造改革も必要であろう。しかし、本当に財政再建を成功させるためには、大規模な量的緩和策が前提として行われることが、必要最低限の条件であるのだ。


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アメリカの量的緩和政策(*1)








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労働分配率 低下するアメリカ 横ばいの日本

経済の日米比較は、今までも何度か行ってきた。例えば、(*1)では、労働生産性の伸び率に光を当て、両国とも労働生産性の伸び率の高い産業から、労働生産性の伸び率の低い、あるいは低下する産業へと、労働者が大規模に移動するという経済構造を持つことを説明した。この現象とも一部重なり合うのであるが、今回は、労働分配率の日米比較を行うことにする。

労働分配率を見る前に、日米の経済が、どのような経緯をたどってきたかを頭に入れておく必要がある。日米の実質GDP成長率が、過去において、どのように変化してきたのかを表すグラフを下記に示す。


日米のGDP

過去44年間の日米の実質GDPの変化の数字を読み取ることができる。1990年以前は、日本の実質GDP成長率が、アメリカの実質GDP成長率を上回る年が多かった。1991年以降は、日本の実質GDP成長率が、アメリカの実質GDP成長率を下回る年が多くなった。そのため、失われた20年と呼ばれている。

次に、日米両国の所得分配について、どうであったかを見る。まずは、日本の労働分配率の推移を下記に示す。


日本の労働分配率

上記のグラフには、2つの線が描かれている。国民経済計算ベースと法人企業統計ベースの労働分配率である。数値が異なる理由は、長くなるので省略させてもらう。アメリカと比較すべき数値は国民経済計算ベースの方である。しかし、日本の場合、最新データが2012年3月期までしか存在しない(上記グラフは、2011年12月までの数字を使用)。一方、アメリカには、2013年6月期までのデータが存在する。日本には、直近のデータが存在しないため、2013年3月期までのデータが存在する法人企業統計の数字も同時に掲載した。

日本では、1990年代に、労働分配率が上昇し、企業収益が圧迫され、日本の実質GDP成長率の低下を招いたと主張するエコノミストがいる。一方、1998年をピークとして、労働分配率が、10年ほどの間低下し続けたが、これこそがデフレ不況が長引いた原因になったと主張するエコノミストがいる。ここでは、どちらの意見が正しいかの判断は避ける。ただ、このどちらの意見を持つエコノミストがいたとしても、直近の日本の労働分配率に大きな問題があるとは主張できないであろう。現在の日本の労働分配率は、高すぎでもなく、低すぎでもない、適切と言っても良いような水準に落ち着いている。

これに対して、アメリカの労働分配率は、日本とはかなり異なった動きを示している。そのグラフを下記に示す。


アメリカの労働分配率

アメリカの労働分配率は、1991年以降、大きく低下している。上記のグラフは、目盛りが小さいので、暴落しているかのように見える。実際の低下率の幅は、5%強であり、暴落しているわけではない。それでも。最近、大きく低下する傾向が続いていることは間違いない。

労働分配率が低下した結果、他の何かが上昇していなければならない。その中で最も大きく上昇していたのは、企業利益であった。そのグラフを下記に示す。


アメリカの企業利益

企業利益は、法人税、配当、内部留保の3つに分解できる。この3者の中で、法人税は減少気味である。伸びているのは、配当と内部留保であり、その二つを合計した税引き後利益である。

アメリカでは、1981年に大統領に就任したレーガン大統領が、レーガノミクスと呼ばれる新自由主義的な経済政策を推進した。しかし、レーガン政権の間、労働分配率に大きな変化はなかった。労働分配率が直近のピークを打ったのは、1991年であり、パパ・ブッシュ政権の末期である。労働分配率が低下し始めたのは、平等という価値を比較的重視する民主党のクリントン政権下である。再び新自由主義的な政策を推進したブッシュ政権下でも、労働分配率は低下し続けた。2009年に政権についた民主党のオバマ大統領は、格差是正や中間所得層の利益拡大を繰り返し訴え、平等という価値を比較的重視する考え方の持ち主である。しかし、オバマ政権が誕生して以来、労働分配率の低下は加速している。

アメリカの労働分配率の低下は、経済政策が原因ではない。経済環境の変化が原因である。多くのエコミストは、経済のグローバル化が原因だと考えているようである。私は、その表現は、事実を適切に表現しているとは思えない。私は、(A)アジアを中心とする発展途上国の教育水準の上昇と、(B)IT革命の進化が、原因と考える。(A)アジアを中心とする発展途上国の教育水準の上昇は、モノ作りの仕事を、アメリカから奪い、中国を中心とするアジアの発展途上国へと移した。また、(B)のIT革命の進化は、オフィスの定型的な事務作業の仕事を、アメリカから奪い、インドを中心とするアジアの発展途上国へと移した。従来、アメリカの中間所得層が担っていた工場労働、オフィス事務に必要な仕事の量が減ってしまったのである。首を切られた労働者は、介護などの福祉施設、レストランの従業員、スーパーのレジ係などの、従来から賃金の低かった産業へと移動せざるをえなかった。一方、世界で最も競争力の強いアメリカの多国籍企業は、スキルの高い少数精鋭の従業員を雇い、巨額の利益を獲得し、成果を上げた従業員や、企業の幹部、トップの給料は、従来より大幅に上昇することになった。しかし、アメリカ全体としては、新しく生み出された付加価値が、労働者への分配に回される金額は少なくなり、企業の内部留保として積み上げられたり、株主への配当へと回されることになった。経済学の見地から見ても、自由な市場というのは、資源配分を最適化する機能はあるが、公正な所得分配を実現する機能は、最初から備わっていないのである。

アメリカと同様な労働分配率低下圧力、賃金低下圧力は、日本にも押し寄せてきている。それにもかかわらず、日本では労働分配率が下がっていない。その理由はいくつか考えられるが、一つ言えることは、日本人が、アメリカ人と比較した場合には、平等の価値を重視し、平等を否定してまでも、自由という価値を実現することに対しては、抵抗感を感じる人が多いからだと考えている。日本でも、平等という価値を非常に重視する共産主義思想は、今やほとんど支持されていない。一方で、市場原理主義的な観点から、社会保障などの所得再分配の機能を果たす政府の役割を、大幅に縮小するという考え方は、学者の間では一定の支持を持つが、普通の人々の間での支持は高くはない。最近、大きな問題となっている、企業が黒字の場合、従業員を勝手に解雇することができないという裁判所の判例も、そうした社会の価値観を反映したものであったのであろう。

幸いなことに、日本は、アメリカと異なって、1991年以降、労働分配率の低下は発生していない。しかし、それを喜んではいけない。一番最初のグラフに示した通り、1991年以降、日本の実質GDP成長率は、アメリカより低い年が多くなっているのである。1991年以降、アメリカは、経済が成長し、一握りの人たちは非常に豊かになった。日本は、経済の成長率が低くなり、アメリカと比較した場合、皆が等しく貧しくなったのである。「皆が等しく貧しくなった」という表現も正しくない。労働者の内部で、非正規雇用者の数が増え、正規雇用者との格差が拡大してし
まったのである。

先に示したように、日本がアメリカほど労働分配率が低下しない理由の一つとして、相対的に平等を重視する日本人の価値観が根底にあると考える。しかし、今後も、アジアを中心とする発展途上国からの賃金低下圧力は続く。このままでは、いかに平等の価値観が強かろうと、アメリカのように、労働分配率が低下する社会へと移行する圧力に耐え切れなくなる可能性は存在する。しかし、日本とアメリカでは置かれている経済環境に差が存在する。賃金低下圧力の原因が、(A)アジアを中心とする発展途上国の教育水準の上昇によるモノ作りの仕事の減少は、アメリカと共通している。しかし、(B)IT革命の進化によるオフィスワーカーの仕事の減少は、日本語という言語障壁のために、日本はアメリカほどは大きな影響を受けていない。それに代わって、アメリカ以上に大きく影響を受けているのは、(C)アジア周辺諸国による自国通貨安誘導政策という近隣窮乏化政策である(*2)。③の円高アジア通貨安の構造は、以前から何度も繰り返し書いているように、政策対応により是正することが可能であり、同時に是正すべき課題である。昨年11月からの円安により、一部は是正されたが、十分には是正されていない。こうした円高アジア通貨安の構造は、あらゆる手段を使って是正する必要がある。その結果として、日本経済の成長率の低下の防止と、格差拡大の防止が、同時に可能となってくるのである。


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